File.10「白・紅」

 俺は階段を全力で駆け上がる。足腰を十分に鍛えてきた俺にとっては、このくらい朝飯前だ。いや本当に朝飯前なんだが。


 クローが隠れている3-A室はフロアの最東端に位置しており、今俺が居る位置はその真反対だ。幸いにも周辺に人影はなく、目的地までは直線で100メートル程だろうか。普段、廊下を走ることは御法度とされているが、今回は例外。俺は3-A室に向かって全力で駆け出した。


 15秒程で部屋の前に辿り着くと、俺は迷うことなく引き戸を勢いよく開け、間髪なく室内へと身を乗り出した。


 「きゃっ!」


 「おわっ!!」


 俺は何者かと正面衝突し、二人揃って尻餅をついてしまった。


 「痛ってぇ……ん?」


 俺は痛めた尻をさすっていると、見覚えのある人物をの当たりにした。


 「うあっ!ごっ、ごっ、ごめんなさいですっ!!と思います……」


 この挙動不審な話し方と特徴的な髪色、間違いない。


 「君、昨日俺の目の前に居た――」


 「うあっ!わっ、ゆっ、ゆいはこれで失礼しますっ!!」


 少女は慌てて立ち上がると、俺の元を立ち去ろうと目をつむり、足早に歩み始めた。


 俺は反射的に少女の腕を掴んで止めに入る。


 「やっ!!!」


 「あっ、ごめん!」


 少女は俺の腕を激しく振り払い、自身の腕を胸元に引き寄せるとその場に静止した。小さな身体は薄暗い部屋の中でも分かるほどに震えている。ここまで露骨に嫌がられると多少傷ついてしまうが、そんなのは今はどうでもいい。


 「……驚かせてすまなかった。君もクローを探しに来たんだよな?」


 「……」


 「ああ、いいんだ。気にしないでくれ。俺は別の場所を探すよ」


 これ以上、少女を刺激しないようにこの場を立ち去るのが得策だと考えた俺は、廊下へと振り返り、マップを確認する。



 「……あのっ!!」


 「うおっ!」


 「あっ!ごっ、ごっ、ごめんなさいですっ!!と思います……」


 彼女の声に驚いた俺は反射的に大声を上げてしまった。それに驚いた少女はと両手で口元を覆い隠す。


 気を取り直すべく、少女は大きく深呼吸をしたのち、勇気を振り絞って話を切り出す。


 「そのっ、見つからなくて……」


 「見つからない……クローのことか?」


 コクリと小さく頷く少女。マップを確認しても、この部屋内に赤色の点が一つ、間違いなく存在しているのだが、一体どういうことだろうか。


 俺は部屋全体をじっくりと見渡す。一見何ら変哲のない普通の教室なのだが、どこにもクローらしき姿は見当たらない。


 マップを最大限まで拡大すると、部屋の中心部に赤色の点が光っている。念のためマップの他の場所も確認してみるが、どれも共通しているのは、隠れ場所の中心部に赤色の点が光っているということだ。


 つまり、正確な位置情報までは明かされていない、と予想できる。


 「とりあえず、ロッカーをひと通り探してみるか。この部屋にいることは間違いなさそうだしな。君も――そういえば、名前聞いてもいいか?」


 「えっ、あっ、そ、その……」


 急な質問に動揺しているのか、少女は再び挙動不審になってしまった。こういう時は自分から名乗るべきだよな。


 「すまんすまん、俺は御角陽彩だ、よろしくな!」


 俺は怯える少女に対し、小動物を触るように優しく手を差し伸べる。すると、緊張が和らいだのか、少女は胸元に引き寄せていた手をスッと下ろし、再び大きく深呼吸をする。


 「……ゆいの名前は、”白百合 結衣しらゆり ゆい”といいますっ。どうぞよろしくって思います……!あうっ!」


 白百合結衣と名乗った少女は、頭を勢いよく下げた拍子で俺のてのひらに顔面を強打してしまった。俺は俺でてのひらが軽くうずいている。


 「おいおい、大丈夫か?」


 「ちょっとぶつけただけなので、だっ、大丈夫だと思います……!あうっ!」


 自らの顔を押さえつつ慌てて後退した白百合は、今度は後方に置かれていた教卓に背中を打ち付け、反動でその場に倒れてしまった。


 「おいおい……本当に大丈夫か?」


 「うぅ……」


 白百合はゆっくりと立ち上がると、恥ずかしさのあまり顔面を両手で覆い隠した。指の隙間から僅かに見える頬が赤く染まっている。


 「結衣、ホントにドジでおっちょこちょいで……それに、人と喋るのも苦手で……」


 うん、だろうな。


 「御角……さん……はすごいですね。私みたいな人にも分け隔てなく話せるなんて……何だか、憧れちゃいます……と思います……」


 彼女の志望動機は分からないが、お世辞にもクロッカスに向いているとはいえない性格でも、こうやって入試を受けに来ているんだ。きっと複雑な事情があるのだろう。彼女からはどことなく、この入試に対する強い意志を感じた。


 「……白百合さん」


 「うっ、はいっ……!」


 「白百合さんは、クロッカスに入りたいんだよな?」


 俺が質問を投げかけると、白百合は即座に大きく頷いた。それを確認した俺はすぐに個別ロッカーが設置されている部屋の後方へと移動した。


 「よし、一緒に探そうぜ。間違いなくこの部屋にクローは隠れているはずだ」


 「あっ、えっ、でも――」


 「俺は左側から順番に開けてみるから、白百合さんは右側を――何か言おうとしてたか?」


 「いっ、いいえ!何でもないです……!と思います……」


 白百合も俺に続いて部屋の後方へ移動し、ロッカーを開けようとする。


 しかし、どのロッカーも電子ロックがかかっており、開けることができない。メモリングを翳(かざ)してみても、全く反応がない。


 「サイズ的に入っていてもおかしくないんだけどなぁ……」


 入試とはいえ、さすがに生徒の個別ロッカーまでいじるようなことはしないということか。


 「……あっ」


 何かに気がついたのか、白百合が小さく言葉を漏らした。


 「どうかしたのか?」


 俺が問いかけると、白百合は俺の後方をゆっくりと指さした。俺もそれに釣られて振り返る。


 「御角さんの後ろの箱、まだ調べていない……と思います……」


 「ホントだ、気がつかなかったな――これ、”DUST BOX”って書いてあるぞ。しかもペダル式だ」


 俺はゴミ箱のペダルを軽く踏む。すると、蓋が開くと同時に白色の球体が飛び出し、俺の顔面に直撃した。


 「どわっ!!っ痛ぇなぁおい!!」


 俺は片手で顔を押さえつつ、白百合に親指をグッと立てた。


 「白百合さん、ファインプレーだぜ!」


 「いっ、いいえそんな……」


 白百合は困惑しつつも、僅かに口元が緩んでいた。


 「さあ白百合さん、コイツとペアリングしてくれ」


 「あっ、えっ、でも――」 


 「俺のことは気にしないでくれ。それに、コイツを見つけられたのは白百合さんのお陰だ。まだ時間もあるし、俺は他の場所を探してみるよ」


 「……」


 白百合はその場に固まったまま、クローに手を差し伸べられずにいた。まあそれもそうか。自分のせいで目の前の人間が不合格になった、なんてことになれば重い責任を感じてしまうだろうからな。彼女の性格なら、きっと合格後も気に病んでしまうに違いない。


 でもそれは俺も同じだ。ここで俺がペアリングをしてしまったら、彼女はきっと不合格になってしまう。ある意味、責任の擦り付け合いになってしまうが、二人とも二次試験を乗り越える方法は一択だ。


 俺は白百合に対し屈託のない笑顔を向け、再び親指をグッと立てる。


 「大丈夫だ、俺はこんなところで絶対に終わらねぇ!また最終試験で会おうぜ、白百合さん!」


 「うっ、あっ、み、みかどさ――」


 俺は白百合の返答を聞く前に3-A室を去った。俺のためだけじゃない、彼女のためにも、この二次試験は必ず突破しなければならない。俺は駆け足で1階へと向かいつつ、マップを確認する。


 《5/100》


 「うわっ、やべぇ……」


 残り5体、それに対し残りの受験者数は100人程。かなり狭き門になるな……


 高等部の本館に隠れていたクローは全てペアリング済になってしまった。あとは……


 「……あれっ?」


 俺はマップ上でとある違和感を見つけた。ずっと不動であるはずの赤点が、一つだけ隣のエリアに移動したのだ。クローは隠れ場所を移動しないはずだが、例外も存在するのだろうか。


 「……行ってみるか」


 赤点の移動先は第一体育館の第一倉庫。他4体の隠れ場所とはかなり離れているため、これが本当のラストチャンスになりそうだ。



————————————————————◇◆



 「はぁ……はぁ……ここだよな……」


 少し迷ってしまったが、俺は第一体育館の第一倉庫の前に到着した。全速力で向かったこともあり、かなり酸欠気味になってしまった。肩で大きく息をしつつ、徐々に呼吸を整える。


 倉庫内には、既に10人程の受験生が血眼ちまなこになって探索をしていた。しかし、この人数で探しても見つからないことなんてあるのだろうか。


 倉庫内を一通り見渡していると、あるひらめきが浮かび上がった。

 

 「ヤツは球体だから、ボールの中に紛れ込んでいるんじゃないのか……?」


 我ながら鋭い推察だ。俺はバスケットボールやバレーボールの入ったカゴを一つずつ調べ始める。だが……


 「……だめだ、ちっともみつからねぇ」


 残り時間は2分、俺は再びマップを確認する。間違いなくこの倉庫内にクローはいるはずだ。それに、残すクローは1体のみ。つまり二次試験を突破できるのはあと一人というわけだ。俺は極度の焦りと蓄積した疲労により、異常なほどの汗をかいている。


 まずいまずい、ホントに何処にいるんだ……


 受験生の中には、既に諦めてしまった者、血迷って体育館内を走り回る者、もちろん根気強く探し続けている者もいる。


 俺の気持ちも切れかかっているが、ここで諦めてしまえば、白百合との約束も、そして親父との約束も果たせなくなってしまう。


 「諦められるかよっ……!」


 残り時間は1分、俺は倉庫の奥に配置されてあるスチールラックを調べることにした。カラーコーンやビブスなどが保管されており、既に他の受験生が漁った痕跡が見られる。


 一縷の望みに賭け、俺は棚の下段から上段にかけて素早く物色する。


 最上段には、カゴに入り切らなかったであろうバレーボールが3つほど放置されていた。ほこりを被ってかなり草臥くたびれているが、気にせず退かしていく。


 1つ、2つ、そして3つ目に手を掛けた瞬間――


 「アンッ♡」


 「……アンッ?」


 3つ目のバレーボールから機械交じりの変な声が発せられた。それに、このボールだけやけに硬い気がするな。


 俺は抱いた違和感を払拭すべく、再び3つ目のバレーボールに手を差し伸べる。


 「イヤンッ♡」


 「んん??」


 まさかとは思うが……


 俺はそのバレーボールに手をかざし続けてみる。すると、3秒ほどで綺麗な白い球体へと変化していったのだ。


 このサイズ感、形状、これは――間違いなくクローだ。


 そして、その物体からホログラムが映し出される。

 

 《御角 陽彩 ペアリング 完了》


 「これって、もしかして……」


 間もなくして、メモリングの一斉通知が鳴り響く。


 《二次試験終了 通過者100名 二次試験通過者は速やかに訓練施設の広場に集合すること》


 マップを確認すると、倉庫内の赤点は緑色に変化しており、残数カウンターは《0/100》と表示されていた。


 争奪戦に敗れた周りの受験生は、肩を落としつつ広場へと向かい始めた。


 全員が倉庫を去ったのを確認した俺は、ペアリングしたクローを棚から下ろし、舐め回すように観察する。

 

 「いや、どうみても同じ試験用のクローだよな……さっきの変な声はやっぱり気のせいだったか?」


 「もーーっ!ミーを下品な目でジロジロ見ないでもらえるかしら?」


 「どわっ!!ってええっ!?」


 急に喋り出した球体に驚いた俺は、狼狽うろたえてその場に尻餅をついた。どうやら気のせいではなかったようだ。


 「ふぅ……ようやくこのほこり臭い部屋から出られますわ」


 そう言い放った直後、球体から脚が生え、つぶらな……とはいえないほど大きな瞳に長い睫毛(まつげ)、昆虫のように小さな……ではなくツインテールのように頭部から長く垂れ下がった羽、いや耳か?さらに紅色の花をモチーフにした髪、というか飾りのようなものまで付いている。こいつが試験用クローでないことは一目瞭然だ。


 つまり、最後の1体はこいつではなかったのだろう。多分だが、他の受験生が俺と同じタイミングで本物のクローとペアリングを完了させたのだ。俺はこの派手髪クローにぬか喜びさせられたということか。


 「はぁ……」


 俺は溜息交じりに頭を抱える。何故こいつが試験に紛れ込んでいるのかは不明だが、こんな見た目ではすぐに牡丹田にバレてしまうだろう。遅かれ早かれ、俺は不合格への一途を辿るのみになってしまった。


 「ちょっと、何を落胆していますの?」


 派手髪クローは、落ち込んでいる俺を不思議そうに見つめている。


 「何をって、お前はどうみても試験用クローじゃないだろ。派手髪だし、目デカいし、何故か喋ってるし」


 「ミーは試験用クローですわよ」


 「嘘つけ」


 「嘘じゃないですわっ!!!!!!!!」


 「うおっ!声でけぇよ……」


 興奮気味の派手髪クローは、怒りのあまり大きな瞳を尖らせている。コイツ、やたらと人間くさいな……


 派手髪クローは座っている俺に近づくと、俺の膝の上に乗っかり、頭をブンと振って左右から垂れ下がっている羽だか耳だか分からんブツをたなびかせる。


 「ミーは”アカツキ”と申しますわ。かつてクロッカスの第一線で活躍しながらも、惜しまれつつ引退した、伝説の気高き”ルミナスクロー”ですわよ!」


 「アカツキ……?ルミナス……?」


 アカツキと名乗る派手髪クローは、胡散臭い自己紹介が終わると満足げな態度を取った。


 「でも、そんな伝説のクローさんがどうしてこの試験に紛れ込んでるんだ?」


 「……まあ、そんなの貴方には関係ないことですわ」


 「いや、関係しかないだろ」


 「関係ないですわっ!!!!!!!!」


 「うおっ!だから声でけぇよ……」


 このアカツキとかいうやつ、随分と頑固だし、何より面倒な性格していやがるな。クローの中にも、こんなにが強いタイプが存在するのか。


 「まあ、そんなの今はどうでもよろしくてよ?」


 アカツキは俺の膝から飛び降りると、今度は俺の耳元へと近づき、声量を小さくして呟く。


 「ミーと契約したからには、貴方を必ず合格へと導いて差し上げますわ」



 コイツ、本気で言ってるのか……?

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