盤上の逃亡者

兵馬俑

第1話

 天天てんてんの乗組員になれば豊かな生活が保証され、さらに巨万の富を得られるチャンスがあるからと、今年も大勢の若者が試験会場に詰めかけていた。しかし会場の外では、「賭博のコマになるなんてやめろ」と親に説得される者も少なくない。

 都室とむろは10年前、15歳で訓練学校に入学した。自分もああやって会場前で母に止められたなと、懐かしくほろ苦い気持ちになる。

 会場は都から離れた闘技場で、屋根のない巨大な敷地には砂漠が敷かれ、その周りには約5万人が収容できる観客席が設けられている。建築材料は赤石と呼ばれる鉄鉱石で、頑丈なそれは天天てんてんの本体にも使用されている。

 都室は上級乗組員として、もっとも見晴らしの良い席に通された。他にも自分のような「試験官」が横にずらりと並んでいる。みな、戦闘に着用する活動服ではなく、式典用の装い……体全体をたっぷりと包み込むようにできた紺色の袍服を着用している。

「あ、きたきた億万長者。聞いたぜ、河水省に豪邸を建てたんだって?」

 隣の席は、同期の伊千佳いちかだった。都室を見るなりニヤリと言った。

 都室は椅子に深く腰掛け、長い足を組んだ。

「お前は船を買ったらしいな。毎晩遊女を呼んで宴会か?」

「俺の遊びは知れてるさ。今期は二十機しか倒せなかったからな。それより年間最優秀のお前だ。なあ、豪邸にはやっぱり川が流れてるのか?」

「橋つきのな」

「ははっ、そりゃすごい」

 試験が始まり、天天てんてんの操縦を覚えた受験者が順に天天てんてんに乗り込み、直進やUターンなどの簡単な操縦を披露していく。天天てんてんは全長約4メートル。人型で、頭部に箱型の操縦室が設けられている。操縦室は目線の位置にぐるりと穴が開いており、乗組員は吹き曝しのそこから外を見る。

 この操縦試験は都室のような上級乗組員も審査に加わるが、まともに試験を見ている者はいない。退屈そうに椅子に掛け、目を閉じていたり、隣の者と談笑している者がほとんどだ。みな、こんな試験で適性が見極められると思っていないのだ。だから見なくても「可」を下す。

「そういや、李千がいないな? あいつも呼ばれていると聞いたが」

 伊千佳いちかがキョロキョロと周囲を見回す。

「李千なら珠府じゅふの戦いで負傷した。……大した怪我ではないそうだが、ショックを受けて休養中だ」

 頑丈な赤石に守られていても、急所の窓を撃たれたら命を落とすこともある。都室も体のあちこちに銃創がある。ただし命の危険を感じたのはたった一度だけ。あの日のことを思うと、今でも背筋が凍りつく。自分はここで死ぬのか……天天てんてんの窓をこじ開けられ、生身の敵兵士を見た瞬間、都室はそう覚悟した。

「はは、プライドの高いあいつらしい。包帯を巻いた姿で俺たちの前に出たくなかったんだな」

「あいつは敵兵士を見たんだ」

 都室が言うと、伊千佳いちかは首を傾げた。

「敵兵士は迫雷はくらいを出て、李千の天天てんてんに飛び乗った。窓を長剣でこじ開け、丸腰の李千に襲いかかった」

 敵の戦闘機、迫雷はくらいは、全長約3メートル。天天てんてんとの大きな違いは、箱型の操縦室が水車のように上下に移動することだ。

「うっ、ええっ?」

 嘘だろ。え、怖すぎる、窓をこじ開けて? ぶつぶつ言いながら、伊千佳いちかは両腕をさすった。

「しかし、それでよく怪我で済んだな……」

 伊千佳いちかの呟きに、都室は苦笑した。

「その兵士に殺意はなかった。李千はただ、ひとつ質問されただけらしい」

 彼だろうなと、都室は確信している。忘れもしない。窓をこじ開けられた時の太陽の眩しさ、逆光で顔の見えない大柄な男、その手に握られた、赤石の鉄剣。

 丸腰の都室は、頭をフル回転して命乞いの言葉を探した。そして絞り出した言葉が、「これは戦争じゃない」だった。

 男の振り上げた長剣が、止まった。

 都室は生き延びたい一心で、「これは戦争じゃない。俺を殺したって、戦況は何も変わらない。これは前線賭博。あんたも、俺もっ……同じ盤上のコマだっ……」と上擦った声で言った。

 信じられなかったのだろう、男は再び長剣を振り上げた。しかしその刃は都室に振り下ろされる寸前で、どこかから飛んできた銃弾から男の身を守るため、角度を変えた。

 男を見たのはそれが最初で最後。李千も、逆光で男の顔は見なかったという。だがその質問をされたということは、同じ男に違いない。

「質問?」

 伊千佳いちかが聞いた。

 闘技場では、受験生が操作する天天てんてんが猛スピードで前進している。周回も見事だ。スタート位置に戻る。天天てんてんのハッチから出てきた受験生は、どうだ見たかというような、自信に満ちた表情だ。

 操縦技術は、訓練でみな同程度に上達する。

 乗組員としての適性は、試験では測れない。実際に、前線に出てみなければ。

 この国では、敵兵との戦闘を「前線賭博」と呼んでいる。都室ら乗組員は、命の危険と引き換えに、莫大な賞金と名声を手に入れることができるのだ。

 しかし敵は違う。敵は賭博などとは夢にも思わず、本当の戦争だと思って、死に物狂いで立ち向かってくる。それに直面した時、これは「賭博」ではなく「戦争」なのだと、即座に切り替えられる者が、適性のある人間だ。

「『これは戦争じゃないのか』と、聞かれたそうだ」

 都室は闘技場を眺めながら、静かに答えた。

 別の受験生が、うまく操縦できなかったがために、悔しそうに歯噛みしていた。





 漠上ばくじょう母艦、宇漠うばくの甲板デッキの片隅で、佐了さりょうは髪を剃っていた。

「また剃ってるのか」

 背後から甲斐連がいれん隊長の声がした。隣にやってきて、あぐらをかいて座る。甲斐連がいれん隊長は26歳。褐色の美丈夫で、美しい赤髪は髪留めを取ると腰まで届く。

「もう十分短いだろう。やめろやめろ。頭皮を傷つけるぞ」

 佐了は構わず、坊主にしか見えない頭に短剣を沿わせた。

「まったく、何がそんなに気になるんだか」

「疫を落としているんです。俺の髪は不吉ですから」

 佐了はカラスよりも濃い黒髪だ。村では不吉と忌み嫌われ、母親には「早く戦地へ行って来い」と12歳で追い出された。

「いつまでそんな迷信信じてんだ」

「隊長だって」

 隊長の故郷では、髪を御守りにする文化がある。だから安易に髪を切るなと言うし、切った髪は捨てるなと言う。

「ひねくれ者と一緒にするな」

 隊長は佐了の髪を摘み上げた。思わず佐了は「あっ」と声を出す。

「高貴な墨色だ。俺は美しいと思うがな」

「闇の色です。俺の村では、この髪色の人間は卑しく、村人に危害を加えると恐れられてきたんです」

 隊長は鼻で笑った。バカにするなと、佐了はムッとした。

「本当です。俺の父は罪人なんです。牢から抜け出し、母を襲った」

 佐了はジョリジョリと髪を剃っていく。

「村でもずっと坊主でいたんです。俺の髪を見ると、母は父にされたことを思い出してしまうから……兵士の中にも、きっと黒髪を恐れる者がいる。俺は人に迷惑をかけたくないんです」

 隊長が口を開きかけたその時、警報が鳴った。

『敵襲、敵襲、207部隊、32部隊、出動。直ちに珠府じゅふ戦線に参加せよ。繰り返す。207部隊、32部隊、出動。直ちに珠府じゅふ戦線に参加せよ』

 自分の隊が呼ばれ、佐了は身を引き締めた。立ち上がり、床に落とした髪を足で蹴散らす。柵の隙間から、広大な砂漠に黒髪が舞った。

 隊長に続いて甲板を駆け、檻のような昇降機で待機場に降り立った。赤いライトで照らされたそこには、搭乗員を待つ迫雷はくらいが、膝を抱えた子供のような姿勢で並んでいる。

 黄亜帝国軍の主力兵器、迫雷はくらいは、砂漠の色に合わせた黄土色だ。橋のような通路からそれに飛び移り、ハッチを開ける。

 操縦席は伏臥位ふくがい式で、操縦桿をうつ伏せで握る。乗り込み、うつ伏せの姿勢になると、ハッチが閉まった。操縦桿を握る前にまず、身につけた剣類を機体の鞘に納める。

 ふうっと一つ息をつき、操縦桿を握った。

 キイィィィン、と甲高い音を発てながら、迫雷はくらいが動き出す。宇漠うばくから発艦すると、眩しい光の中に突入する。ふわりと機体が浮き上がり、次に、ガチャンガチャンと迫雷はくらいが戦闘体勢を構築する。膝を抱えた子供は砂漠の上で、二足歩行の人型兵器に生まれ変わった。そのままスウッと砂漠を滑走する。

 戦場を変えながら、敵との戦いは何十年も続いている。珠府じゅふは、砂漠に埋もれた鉄の都だ。かつては砂漠の中にある街として、行商人や旅人で賑わっていたらしい。

 それが今や戦場だ。街は砂漠に埋もれてしまったが、至る所に大型工場や、演劇場や、病院といった、大型施設への抜け穴がある。

 珠府が見えてきた。天天が待ち構えている。

『32部隊に告ぐ。敵は天天であり、生身の乗組員ではない。彼らも同じ思いでいる。我々は同じ人間だ。血を流さずに戦おう』

 通信機から、いつもの隊長の言葉が流れる。佐了は、隊長のこの考えに懐疑的だ。

 生身の人間を殺さなければ、この戦争は終わらない。敵は天天を操縦する乗組員だ。

 一機の天天に狙いをつけ、加速した。

 戦闘方法は主に三種類。銃撃戦、体当たり格闘、全長2メートルの巨大刀剣による剣戟。

 乗組員によって得意不得意の差はあるが、敵は銃撃と体当たり格闘を得意とし、刀剣は滅多に使わない。

 この天天もそうだった。直前まで銃撃を続け、こちらが剣を振り下ろした瞬間にはスイっと身を翻した。すぐさま別の天天が後方から撃ってくる。

 迫雷はくらいは赤石よりも強度の低い鉄が使われているため、剣で防がなければ銃弾が貫通してしまう。

 佐了は素早く操縦桿を操作し、刃で銃弾を受けた。

(飛び道具ばっか使いやがって! 接近戦ならっ、俺の方が強いのにっ!)

 銃撃を剣で捌きつつ、敵の操縦室を仕留める機会を窺う。

 周囲では、敵味方を問わず、バタバタと機体が煙を噴いて倒れていく。

 どこからか、箱型の操縦室がスウっと砂漠を滑ってきた。この戦争では、機体から操縦室を切り離す→戦闘能力なし。とみなされ、それ以上の攻撃は禁止とされている。

 プシュン

 銃弾が、壁を貫通し、佐了の頬を掠めた。

 ガツン、と機体に衝撃が加わり、景色が一回転した。機体と操縦室を切り離せば、これ以上の攻撃を受けることはない。自然と視線が「離脱」の桿に向かう。

 しかし視界の隅で、停止した箱型の操縦室を捉え、佐了の胸に、危険な発想が芽生えた。

(あれを斬りたい)

 戦争協定では禁止されている。でもそもそも戦争協定ってなんだ。馬鹿げてないか。一人でも多くの敵を殺すのが、戦争なんじゃないのか。この戦争が終わらないのは、そんな馬鹿げた協定を守り続けているからじゃないのか。

 頬からたらりと血が垂れた。

 佐了は箱型の操縦室へ接近した。

 剣を振り下ろす。さすが赤石に守られた操縦室だ。斬れない。だが刃は箱の中心に沈んでいく。箱は斬れないが、乗組員がいるであろう部分は押しつぶされ、下の砂漠が赤黒く色付いていく。

『17号機っ! 何をしているっ!』

 通信機から甲斐連がいれん隊長の声がした。

 プシュン、と貫通した銃弾が、佐了の目の前を通った。佐了は急いで操縦桿を操作し、その場を離れた。

 また、停止した箱型の操縦室が目に止まった。あれもやろう。心に決め、接近する。

『やめろっ! 気でも狂ったかっ! 無抵抗の相手を攻撃するなっ! 戦争犯罪だぞっ!』

 佐了は笑った。戦争犯罪ってなんだ。こちらの領土に攻め込んできて、どうして敵と決めたルールに従わなくちゃいけないんだ。

 この箱の中にいる敵は、仲間を殺したかもしれないのに。

 佐了は剣を振りかぶった。

『やめろっ!』

 隊長の制止を無視して剣を振り下ろす。ガンッ、と衝撃音とともに、箱が凹んだ。

 グッグッ、と力を入れていく。

 もう少し、というときに、別方向から天天がやってきた。

 佐了は箱型の操縦室を拾い上げ、それを正面から迫ってきた天天に向かって投げつけた。天天が味方の箱に向かって乱射する。しかし、赤石でできた頑丈な箱に穴が開くことはない。

 それを見たらますます激情が込み上げた。何が戦争協定だ。俺たちよりも高性能の機体に乗って、気が向いたように襲来して、操縦室を切り離したら攻撃するな? 舐めんじゃねえぞっ!

 目についた敵の操縦室に剣を振り上げた。 

 ガツン、と刃に阻まれる。これもまた別の天天だ。戦いを挑もうとするような気迫が伝わってくる。

 グイグイと剣を交わしながら、ここだという瞬間を見つけて剣を振り上げた。しかしそれも、絶妙な角度で切り返される。上手いと素直に感じ、次に、まずいかもしれないと、汗が噴き出した。

 まるでこちらの動揺を見透かしたように、敵が鋭い刃を突き出す。佐了は交わせない。刃が正面を貫き、操縦室に入ってきた。

「くそっ」

 このままでは串刺しだ。

 佐了は操縦室を切り離した。プシュッと後方に吹き飛ぶようにして、操縦室が落下する。間一髪のところで串刺しは逃れたものの、本体から離れたら何もできない。

 報復される前に、いっそ出ようかと思ったとき、

『17号機っ! そのまま中にいろっ! 俺が拾うっ!』

 通信機から隊長の声がした。

「拾うって……」

 背後の小窓から外を見ると、迫雷はくらいが一機、こちらに迫ってきていた。

 ぐらりと揺れた。隊長の迫雷はくらいに拾い上げられたのだ。

 隊長の迫雷はくらいは砂漠をスイっと滑走し、障害物を避けながら、こんもりと起伏になった場所へと向かう。近づいていくと、空洞があった。中に入る。劇場のようで、屋根を突き破って侵入した隊長の迫雷はくらいは、張り出しの観客席に着地した。

 舞台上でも、激しい戦闘が繰り広げられていた。

 観客席から通路へ行く。所々に砂漠が積もった赤絨毯の通路を進んでいくと、天井の高い空間に出た。激しい損傷を受けた迫雷はくらいが倒れているだけで、他には何もいない。

 いくつも通路が伸びているが、一箇所は完全に砂漠に埋もれてしまっている。

 気配を感じた。何かがいる。隊長も察したのか、佐了が乗った操縦室を地面に置いた。

 直後、プシュン、と銃撃され、隊長は剣でそれを交わした。通路の影から、天天がヌッと現れた。

 隊長は敵の攻撃を見事に交わし、格闘戦に持ち込んだ。

 相手が格上とわかるなり、敵は操縦室を切り離した。

 隊長は潔く攻撃をやめる。カッと頭に血が昇り、佐了はマイクの電源を入れた。

「隊長っ! 敵を殺さないでどうするんですっ!」

『佐了っ……お前だったのかっ!』

「あそこにいるのは仲間を殺した仇ですっ! 将軍ならっ、仇を討ってくださいっ!」

 きっと、そこの迫雷はくらいをやったのはあいつだ。迫雷はくらいの乗組員は死んでいる。操縦室が銃弾で蜂の巣なのだから。

『佐了、お前っ……自分が何をしたのか分かっているのかっ……』

 ダメだ。話にならない。佐了は鞘から剣を引き抜き、ハッチを開けた。敵の操縦室に向かってダッシュする。

 穴を目掛けて剣を突き刺し、てこの原理でグイグイとこじ開ける。毛穴という毛穴から汗が噴き出した。

 グイッと上部が持ち上がる。敵とご対面だ。血の気のない、驚愕の表情。

「佐了っ!」

 背後から隊長の声。

 佐了は剣を振り上げる。しかしピタと止まる。敵が「助けてくれ」と命乞いしたからではない。天天の通信機から、『甲斐連がいれん失格!』と聞こえたからだ。

(なんで……敵の通信機から、隊長の名前が……? まさか、傍受されているのか?)

 敵が、慌てて操縦室を出て、逃げていく。

 追いかけようと体ごと向けたが、次に聞こえた、『大波乱ですっ! 連勝記録保持者の甲斐連がいれんが失格っ!』という言葉に、視線が通信機に引き戻された。

 肩に手が置かれ、びくりと振り返った。間近で甲斐連がいれん隊長に睨まれ、体がこわばる。

「馬鹿なことしやがって」

「隊長……これ、どういうことですかっ……」

 隊長はスイと通信機に視線をやった。通信機からは、『いやあ、甲斐連がいれんが失格とは驚きましたね。私は甲斐連がいれんを軸にして買っていたので、今日はもう消化試合です』と呑気な声が流れる。

 隊長は操縦席に飛び乗ると、スイッチを操作し、通信を切り替えた。

都室とむろがやりましたっ! 芭丁義ばていぎを撃破っ! これで都室は通算二千機撃破っ!』

『お手持ちの闘券は、結果が確定するまで大切にお持ちください』

『えー、試合の途中ですが、ここで緊急速報です。亜軍の佐了が暴走し』自分の名前が呼ばれ、佐了はヒヤリとした。『無抵抗の乗組員一名を殺害。殺害されたのは、11部隊の信陽しんようです』

 隊長が顔を上げ、目が合った。

「佐了、お前、宇漠に戻るな」

「なぜ……ですかっ……確かに俺は協定を破りましたっ! でもこの戦争に勝てばっ」

「まだ分からないのかっ!」

 通信機からは、佐了の出生地、年齢……通算撃破数などの情報が読み上げられていく。

「わかりません……っ」

 佐了は意地を張った。

「これは戦争なんかじゃない。賭博だ。黄亜帝国は、とっくの昔に敗戦したっ……聞いただろうっ! 黄亜帝国なんて国は存在しないっ! 俺たちは亜軍の兵士と呼ばれているっ!」

 信じられるはずがない。佐了はブンブンとかぶりを振った。隊長が操縦席から出て、佐了の両肩をガッチリと掴む。

「佐了、宇漠には戻るな。戻ったら、お前は確実に殺されるっ……」

「隊長はっ……知っていたんですかっ!」

「薄々だ。俺だって最初は信じられなかった。お前と同じように、乗組員を殺そうとした」

 鼻水が下りてきて、ズズッと洟をすすった。

「……どうして、俺が殺されなきゃならないんですかっ」

「決まりを破った」

 駄々っ子のように首を横に振る。

「佐了、俺の迫雷はくらいに乗って、できるだけ遠くへ逃げろ。そして二度とその名を名乗るな」

「俺はっ……」

「分かってる。お前は何も悪くない。だが敵の支配下で許されないことをした」

 くらりと眩暈がした。支配下? 敗戦国? 

 ガラガラと建物が音を立て、砂が降り注ぐ。

「試合が終わる前に行けっ!」

 隊長が肩から手を離し、佐了は箱から地面に落下した。尻餅をついた状態で、箱の上に立つ隊長を見上げる。尊敬してやまない赤髪の美丈夫は、痛みを堪えるようなぎこちない笑みを浮かべ、言った。

「お前には悪いが、俺は、真実を知る者が増えたことを嬉しく思う。佐了、どうか生き延びてくれ。俺の孤独を紛らわせてくれ」

 佐了が答えるより先に、隊長は「行けっ!」と急かした。

 佐了は身を翻し、隊長の迫雷はくらいへと走った。乗り込むと涙が溢れた。ゴシゴシと腕で目を擦り、剣を機体の鞘に納め、操縦桿を握った。


 日が暮れ、懐かしい草原が見えてきた。砂漠に迫雷はくらいを乗り捨て、佐了は草原に足を踏み入れた。

 三日三晩、ほとんど寝ずに砂漠を移動した。できれば見知らぬ地へ逃げ込みたかったが、途中から方向感覚を失い、故郷に辿り着いてしまった。

 相変わらず貧相な村だ。耕地の土には潤いがなく、民家の外に繋がれた山羊は貧相で弱々しい。

 腹が減ったが、こんな貧しい村から食料を盗むのは心苦しい。もう少し奥の村へ行こうと、佐了は茂みの中を進んだ。

 そこへ、この村に似つかわしくない、キイイン、という走行音が聞こえ、佐了は足を止めた。木陰に身を隠す。

(特高……っ)

 二人乗りの機体は、特別高等警察のものだ。佐了が来た砂漠方面からではなく、内地からやってきた。こんな僻地に何の用かと思えば、彼らは民家を訪ね、「佐了が来なかったか」と声高に聞き、佐了はギョッとした。

「佐了?」

 村人の声も、かろうじて聞き取れた。佐了は気配を殺す。

「12歳までこの村に住んでいた。莉布りふの息子だ」

「ああ、汚れた血の……」

「汚れた血?」

「奴は犯罪者の息子だ。何をしでかすか分からないと、この村のモンはみんな恐れとった。特高がなんの用だい。奴が何かしたんか」

「戦争犯罪を起こした。死罪に値する重罪だ」

「はあ……やっぱりなあ……」

「この村に逃げ込む可能性がある。匿いそうな」

「ないない。奴はこの村には来んよ。絶対に来ん。匿う奴もおらん」

「親でもか」

莉布りふが奴を匿うもんか。戦争に行って清清しとった女だぞ」

 特高は顔を見合わせた。他の家も手分けして回る。どこも似たような回答だったのだろう、彼らは一箇所に集まり、何やら話し合うと、機体に乗り込み、去っていった。

 躊躇う理由はなかったのだ。ここは自分を捨てた村。遠慮なく食べ物を頂こう。

 佐了は夜が深くなるのを待ってから、村人の家に忍び込み、食べ物を食って回った。

 最後は実家に入った。空腹は満たされたが、実家からも何か盗んでやらないと、気が済まなかったのだ。どうせ自分は、何もしなくたって嫌われているのだし。

 そうっと窓から中を伺う。母の背中にギョッとした。

(起きてる…………何、してるんだ?) 

 母は床に正座し、何かを大事そうに握りしめている。その姿に胸がキリキリした。自分よりも大切にされている『何か』が羨ましかった。

 そうしてしばらく床に正座していた母は、手に持っていたものを引き出しに入れると、部屋を出ていった。

 佐了は窓から部屋に侵入し、引き出しへ向かった。大事なものなら、奪ってやる。まだまだ悪事をし足りない。

 引き出しを開ける。中に入っていたのは小さな巾着だった。金かと、ワッと胸が高鳴った。

 中を見る。しかし、予想に反して入っていたのは……髪だった。

 月明かりにかざし、じっと目を凝らして見つめる。

 心臓が激しく波打った。

「俺の……髪……」

 隊長の故郷では、髪を御守りにしたり、まじないに使ったりすると言っていた。大切な者の髪を巾着に入れ、夜な夜な身の安全を願うのだ。

 咄嗟にそんな話を思い出した自分に苦笑した。母が、俺の身を案ずるわけがないではないか。その逆ならともかく。

「誰かいるのっ」

 母の声に、佐了は驚いて巾着を落とした。

「ああっ!」

 母は声を上げ、床に落ちた巾着に飛びつく。暗くて互いの顔は分からない。

「なんてこと……なんてことっ……ああっ、なんてことしてくれるのっ! 他人が触れたら効力がなくなってしまうでしょうっ! 佐了が死んだらどうしてくれるのっ!」

 まさか本当に、安全祈願だったのかと、佐了は信じられない気持ちで胸を押さえた。

「母様」

 母がバッと顔を上げた。ちょうど、雲に隠れていた月が姿を現し、佐了を照らす。

 母の目がかっ開いた。

「佐了……」

 その目が痛ましげに細められる。佐了、佐了……とうわごとのように言いながら、母は佐了の坊主頭におずおずと手を伸ばした。

「佐了……どうして……どうして……ああ、こんなに短くして……軍隊でも、嫌なことを言う人がいるの?」

 佐了は咄嗟にかぶりを振った。母は眉間に皺を寄せる。

「村で言われたことを引きずっているのね。かわいそうな佐了……佐了っ! 私の大切な子……」

「母様……俺の身を案じてくださってたんですか……」

「それしかできないもの」

「母様……辛かったでしょう。あなたを苦しめた男とそっくりの黒髪を、布越しとはいえ、毎日両手に握りしめ、念じるのは……」

 でも、母はそれをしてくれた。この狭い孤独な空間で、俺の身をひたすら案じてくれていた。

 母は眉間の皺を深くした。その悲しげな表情に、佐了は胸がはやった。母の手が坊主頭を撫で回す。

「佐了……ガタガタじゃないの……自分で剃ったの?」

 佐了はこくんと頷いた。昔は母が剃っていたことを思い出し、自分は嫌われていたわけではなかったのだと、佐了は気づいた。

 




 豪邸を建てたものの、試合や試験官の仕事が忙しく、都室が自宅に帰るのは久々だった。

 玉砂利の敷かれた庭は、東の島国から庭師を呼び寄せ、作らせた。清々しい水の音。竹筒に水がたまると、カコン、と音が鳴る。

 石灯籠で照らされた踏み石を進み、玄関へ行く。竹の扉をガラッと開けると、奥から賑やかな声がした。

 都室はため息をついて、中へ入った。気付かれないように自室へ向かおうとしたが、ちょうど廊下に出てきた男娼に見つかってしまった。

「都室さんっ!」

 男娼はぱあっと目を輝かせ、駆け寄ると、都室の腕を引っ張って、どんちゃん騒ぎの座敷に誘った。

「あらっ! 都室っ! お帰りなさいっ!」

 思わず「うわ」と声が出た。一体、何人男を連れ込んでいるのか。酒、果物、肉料理……贅を尽くした宴会。部屋には香が焚かれ、甘ったるい匂いが立ち込めている。

「ねえ都室、白色の虎が欲しいんだけど……」

 母がおもねるように言う。何でも欲しいものは与えてきたが、虎などダメに決まっている。

「何をおっしゃっているんです。そんな猛獣いけませ」

「一回の試合で買える金額よ。いいじゃない。縁起もいいし、きっと勝率も上がるわよ」

 こめかみがピリピリと痛んだ。

 天天は迫雷はくらいよりも頑丈とはいえ、命を落とす乗組員は少なくない。だから10年前、母は「乗組員なんて危険な仕事、やめなさい」と、試験会場前で都室を止めたのではなかったか。あれほど母の愛情を強く感じ、胸が苦しくなったことはない。だからこそ、女手一つで自分を育て上げてくれた母に楽をさせるのだと、都室は母を振り切って、試験会場の扉を叩いたのだった。

「ね、ね?」

 母は少女のように目を輝かせ、両手で懇願のポーズをとった。

(母様、俺だって命懸けなんですよ。母様がくれたこの体には、至る所に銃創や、痣があるんですよ。あれは試合ではなく戦争です。戦場に出た瞬間、俺の命は盤上の駒となり、運に握られるんです)

 胸に湧いた言葉をグッと堪え、都室は「わかりました」と絞り出した。

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