このまま

あやひら

第1話

 面白い映画を観るよりも、「自分にぴったりな一本この世のどこかにあるかもしれない」と空想に浸るほうがよほど面白い。期待して観た映画がつまらなかったら耐えられない。がっかりしたくないのだ。


 だというのに、今私は祖父と一緒に映画館に来ている。祖父は無口な人でほとんどしゃべらない。いつも口は一文字を描いていて、しかめっ面でまっすぐ背筋を伸ばして歩く姿は針金によく似ている。


 朝、だまって彼に映画のチケットを差し出された。浅黒い彼の手が、空のように青い二枚の紙を私につきだした。

「誰かと行ってこいってこと?」私の問いかけに彼は首を振った。黙って窓を指さす。窓の向こうには昨日ピカピカに洗われたばかりの祖父の車。

「一緒に行こうってこと?」

彼はうなずいて言った。私はたぶん2週間ぶりに彼の声聞いた。

「観たかったんだろう」


それは正しくて、間違っていた。正確に言うと、夢想する時間が好きなのだ。どんな話なんだろう。どんなふうに心を動かされるのだろう。泣けるだろうか。笑えるだろうか。考えている時間が好きなのだ。本編さえ観なければ、いくらでも期待することができて裏切られる事もない。


とはいえ、せっかくチケットを買ってくれたのに断るのも忍びなくて、結局わたしは映画館に来ていた。祖父の誘いを断れたことなんて人生で一度もないのだ。

そこはいわゆるミニシアターだった。赤を基調としていて、薄暗い。暖色の光が弱々しく館内を照らしていた。

受付をすませ、スクリーンに向かう。劇場のような部屋だった。こじんまりとしていて、おそらく70席ぐらいだろう。年季の入った舞台に、赤いカーテン。赤い座席。ところどころ電飾で飾られていてまるでサーカスのようだった。小さなスクリーンの存在がここが映画館であると控えめに主張している。


やがて映画が始まった。古い洋画だ。

金髪に青いつなぎを着た二人の男が主役のようだった。二人はとてもよく似ていて、身長ぐらいしかぱっと分かる特徴がない。

彼らは酒場で飲んでいた。二人とも妻に逃げられたのだ。暗い顔で黙ったままビールに口をつける。

背の高い方の男が口を開く。

ずっとお前が好きだった。結婚する前からずっと。

でも駄目だと思ったから言えなかったんだ。


わたしはちらりと祖父を見る。彼は真っすぐスクリーンだけを見ていた。

映画の男の気持ちが痛いほど分かった。まるで私自身そのものがスクリーンにいるかのように。

そうだ。駄目だから言えなかったんだ。

皺の刻まれた、彼の大きな手を見る。骨の目立つ、筋張った手。この人の生きた70年の歴史が刻まれていた。

この手の上に手を乗せたらどうなるだろうか。

一瞬だけ悩んだが、すぐに結論はでた。


わたしはスクリーンに視線を戻した。






 








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このまま あやひら @a8h1ra

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