二十時間勤務八時間休憩の日常
和泉茉樹
二十時間勤務八時間休憩の日常
◆
僕は少し身じろぎして目の前のニュース映像に集中しようとした。
キャスターが第三惑星ルルグで起きた軍事クーデターについて話している。
「惑星防衛軍の地上部隊が惑星大統領府を襲撃し、二日に及ぶ攻防の末、惑星大統領府は制圧されました。クルーガー・ダントレー惑星大統領の行方は不明で、実権を掌握したと主張するウッズ将軍も、目下、惑星大統領は捜索中との声明を発表しています。惑星防衛軍からクーデターに加わらなかった部隊は静観を続けていますが、しかし統一された指揮系統が維持されているかは疑問が持たれています。惑星議会の緊急招集も遅れており、今後は見通せません」
ふぅむ。
思わず顎を撫でようとして、厚いグローブに包まれた手がヘルメットに触れてしまう。
ヘルメットに触れることで反応するセンサー類が起動して、ニュース映像の上に重なるようにウインドウがいくつか開いた。
僚機との位置関係や、警戒システムから上がってくる周辺宙域の状況などだ。
初歩的なミスに舌打ちしつつ、今度は意図的にヘルメットに触れてそれらの表示を消した。
もうこの仕事に就いて短くないが、体に染み付いた本能的な反射行動をなくすことはできない。
逆にこちらはもう位置関係を覚えてしまったガイドバーに手を伸ばして、しっかりと握りしめるとちょっとだけシートから腰を浮かして、座り直した。
僕が姿勢を整えたせいでわずかに機体に振動が発生したので、目の前に機体の制御システムからの注意表示が出る。自動で姿勢制御のスラスター噴射を三十秒後に行う、というものだ。グローブの指先でヘルメットをつつくことで了承を伝える。
手早くシートベルトを確認し、今度は体を固定したまま、その体がぶれないように両手でガイドバーを掴む。
カウントダウンが終わり、目の前にスラスターがゼロコンマゼロゼロゼロゼロゼロゼロ……、すぐには認識できない秒、噴射したと通知が出る。
無音の世界なのでスラスターが推進剤を噴射した音は聞こえないし、スラスターの位置もメインカメラの視野の外だ。機体の姿勢もほとんど変わらなかった。何十時間でほんの少しだけ向きが変わるような微動が修正されたわけだから、体感できるほどの動きはないのは当然のことか。
元の周回軌道に規定速度で乗っていることが確認できたと人工知能がテキストで通知してくる。他にも推進剤の残量が八十六パーセントあることが表示された。
推進剤残量が七十パーセント程度になると勤務時間がおおよそ終わる計算だから、まだ先は長いな、と思わずにはいられない。
目の前の表示、ヘルメットの内側に表示されている諸情報のウインドウの位置を整えて、またニュース動画に戻る。
我らが第四惑星ミルトランの惑星連邦政府の報道官が、第三惑星ルルグのクーデターに最大限の注意を払っている、と発言していた。
その最大限の注意以前の、日常的な警戒が僕の仕事なのだから、できることなら、最大限の注意とやらが行動に結びついて欲しい気もする。
いや、それはつまり惑星間戦争の一歩手前だから、違うか。
しかし、この原始的と言ってもいい宇宙軍の常駐警戒システムは、実際に現場にいる人間からすればまともではないし、そこでの任務もまともな任務ではない。
僕が乗り込んでいる、というか、座っているのは、大昔から存在するボウガンを極端に巨大にしたような装置だ。
長い弓と言ってもいい部品がまずあり、弦が貼られてもいる。弓は柔軟性を持たせた合金製で、人の背丈以上の大きさがある。弦も金属製で、ちょっとやそっとで切れることはない。
その巨大な弓に付属するのが、矢の代わりに弓が打ち出す質量弾体の入った弾倉と、その質量弾体を弦にセットするためのロボットアーム。質量弾体を標的に当てるのに必要な照準のための各種の観測装置。姿勢制御のための幾つかのスラスターと、そのための推進剤タンク。僚機と情報を交換する通信機もある。
僕はそんな弓の付属物のように、備え付けの椅子に全員を覆う船外活動服を着て座り、シートベルトで固定されている。
そうしてそのまま、僕は惑星ミルトランの防衛網の一つを形成している常駐迎撃システムの一部として、小さな砲台と一緒に宇宙を巡り続けているのだった。
ずっと、ではないが、二十時間勤務八時間休憩はずっとと言っていいだろう。
科学技術が発展しているわけだから、こんな現場に人間がいる必要はないように思えるが、まさしくその通り、僕はおまけだ。
この常駐警戒システムの一部である軌道砲座は、人工知能によって厳密に管理されている。人間の砲手はもしもに備えて乗っているだけで、仮にこの迎撃システムが起動したとしても、出番などないだろう。
勝手に砲座が動き出し、相手が察知するのが極めて困難な、小さな質量弾体を狙い澄まして発射するはずだ。砲手の考えなどそっちのけで。
もっとも、この迎撃シスタムが実戦の形で運用されたことはない。僕が兵士になってからはもちろん、兵士になる前も、惑星間戦争は起こっていない。すぐそばを宇宙海賊の艦隊が通り過ぎた時は警戒レベルが上から二番目になったけれど、迎撃するには至らずに宇宙海賊艦隊は通り過ぎて行った。
ヘルメットに注意情報が出て、定時で行う周辺警戒の時刻を告げる。
一度、ニュース映像を消して、両手をそっとガイドバーのすぐそばにある小型の入力装置に置き直した。指先の動きで機体の観測装置をパッシブからアクティブに切り替える。
そうすると目の前が一度、真っ暗になった。
しかしそれは一瞬の接続の問題で、次には僕が乗っている機体がカバーする範囲の光学映像が表示された。
それは真っ暗ではなく、星の瞬きは見える。
そして恒星オメガの光もはっきり見えている。その光は偏向フィルターで補正されている。フィルターなしではどんな光学センサーでも認識不能な空間ができてしまう。
おおよそ一面の漆黒を背景に薄い灰色の円が出現し、それが不規則に右に左に動き出した。機体の人工知能がその円の内側を精査しているということを示す表示だ。
僕が何をするかといえば、自分の目でおかしなところはないか、確認する。人工知能より頭はよくないので、保険のようなものだ。
すぐに人工知能からサーチ完了の表示が出るので、僕が手元で観測装置を切り替える。実際にはこれだって人工知能が勝手に切り替えられるのだけど、砲手に存在意義を与えるかのように、砲手が切り替えるのが規則になっている。
次は熱分布で、これは機体に搭載されている超高感度のセンサーが感知したものが表示されているけれど、近くにいる僚機とリアルタイム通信で情報を共有して、複合的に周囲の宙域の熱分布が精細に描き出される仕組みだった。惑星ミルトランをめぐる機体の数は、百を超える。
ちなみに砲手が発散するかすかな熱による影響を避けるために、砲手とセンサーは小さな機体でも最大限の距離をとって正反対にある。砲手の仕事の一つに、観測装置が破損した時には予備パーツと交換する、というものがあるが、これは最悪の仕事と言っていい。シートと観測装置の間を行き来するのは、どれだけ訓練をしても実際の経験を積んでも、とにかく危険で面倒だった。
僕の目の前に広がる熱分布のマップにも灰色の円が重なり、画面を右往左往し始める。
今度は僕も真剣に熱分布を検証する。
これは難しい要素だが、宇宙船はほとんど外部に熱を放射しない。推進装置を起動した時には熱を発するけれど、その時には宇宙船自体はすでに加速度を得てどこだかへ高速で移動してるのだから、熱源がそのまま宇宙船の座標とはならない。
例外的に、こちらに向けて推進剤を燃焼、放射し、こちらから見てまっすぐ正反対の方向へ飛んで行っている宇宙船がいる可能性もあることにはあるけれど、極めて稀な展開だ。
ともかく、熱源を探って分かることは、宇宙船がそこにいた残滓と、その宇宙船がどちらへ飛んだか推測する材料、ということになる。
宇宙船の動きに関しては、人間の計算力では即座に割り出せないために、人工知能の出番となる。ただ、光学映像を見るのとは違い、熱分布を見るときは人間の砲手の目がまだ必要だった。
熱分布による索敵とそれに対する欺瞞は、ある種の騙し合いと言っていい。
本当に警戒すべき熱源とダミーの熱源を見分けるのは難しい。その上、攻める側からすれば迎撃の裏をかくのは当然であり、人工知能の裏をかくのも当然だ。
口惜しいことに、人間の砲手は人工知能のサポート役であり、いわば人工知能の背後を見ているのに等しい。人工知能はまだ、背中に目があるとは言えない。
人工知能の介助仕事に腐っても仕方がないので、僕は真剣に熱の分布を見たが、今回も特別、変わったことはないようだ。二つほど、かすかな熱源があったが、過去のデータとの照合が既に済んでおり、第三惑星方面へ向かう輸送船によるものだと判明している。
なんとなく先ほどのニュース映像が思い出された。
ちょうど僕が見ているのは星系を構成する恒星オメガの方向で、位置的に第三惑星ルルグも今はそちら側にある。
惑星ルルグはどこか、と視線を向けるが、熱分布では何も感知できない。
それも当たり前だ。
光学映像では光の一つとして見えていたが、それでも小さかった。そんなに遠くにある惑星の熱を迎撃システムの砲座如きに搭載されたセンサーが感知できるわけもない。
しかし、もしここ、惑星ミルトランに危機が迫るとすれば、惑星ルルグから攻撃があるのではないか。
ルルグのクーデターがどういう結末を迎えるかは知らないが、おそらく軍部が政権を奪取するだろう。極端な報道を鵜呑みにはできないが、軍の過激派はミルトランへの武力侵攻を企てているらしい。
もしかしたら明日にでも、僕が見ている前で、無数の推進剤による熱分布が検知されるかもしれないと思うと、不安のようなものがこみ上げてくる。
その時は、僕も迎撃システムの一つとして、引き金を引いて、遥か彼方の宇宙艦に向けて質量弾体を何発も撃つのだろうか。
それで、艦を航行不能にしたり、撃破したりする?
それで乗組員に怪我をさせたり、死なせたりするのか?
自分もまた、宇宙艦からの攻撃で、吹っ飛んだり、消し飛んだりする?
どちらも恐ろしいように思える一方、現実味がなかった。
現役を退いた老朽艦を相手に質量弾体を打ち込んだ訓練をしたことは何度もあるけれど、あの老朽艦は無人だった。それにあまりに古くて、今の現役の宇宙艦とは頑丈さがまるで違う。
逆に、砲座が攻撃を受けた時の訓練も積んできた。まずは身を守り、反撃し、場合によっては脱出する。この時は、擬似的に攻撃されている状態を再現しただけで、実弾が飛んできたわけではない。
急にビープ音が鳴り始めた。
はっと我を取り戻すと、目の前に注意を促す表示が出ている。心拍数の数値がやや高く、血圧も上がっている。機体からの注意は深呼吸をするように促している。
言われる通りに落ち着いて呼吸をすると、そのうちに注意を促す表示は消え、心拍数も血圧も通常の数値の範囲内に戻った。もしこれが戻らずにさらに乱れるようだと、スーツに内蔵の注射器から薬物が身体に注入される。そうして無理やり落ち着かせて、即座に予備の人員と交代だ。
いっそ交代した方が楽かもしれないが、一度でも心身に異常をきたすと、この任務に復帰することはない。おそらく防衛艦隊のどこかで妥当な仕事を与えられるはずだが、そうではなくもっと後方、地上での事務仕事に回されるという噂もあった。
まだ意識して呼吸しながら、定時の周辺警戒を終え、人工知能が異常なしと指揮所に通知して良いか確認してくるので、指先のタップ一つで承認した。通知が終われば、あとはまた長い待機時間だ。
長い長い、待機時間。
呼吸をゆっくりにさせていき、グローブの操作で口元にストローを出す。そのままグローブと連動させて、ストローの方から口に入るように動かす。ヘルメットのせいでこういう無駄なことをしないといけない。というか、こんな船外活動服で砲座に座るなどという雑な方法ではなく、気密の保たれた制御室でもあればいいのだけど。
この迎撃システムの周回軌道上の小型砲座は、長距離からは察知するのが極端に難しい。もちろん、超望遠の光学センサーで見ればはっきりとわかるが、熱源センサーでは本当にかすかな、あるかないかわからないノイズのような影としか映らない。
そこに有利な要素があるということで構築された迎撃システムなのだから、居住性のようなものは完全に無視だった。
とにかく小さい、がモットーと言ってもいい。
ストローからお茶をすすりながら、ヘルメットの中に改めて光学センサーのリアルタイム映像を映して、それをぼんやりと眺める。
恒星オメガもそうだが、遥か彼方に星があることを示す小さな点は、強くなったり弱くなったりはしないし、ましてや不意に消えたりもしない。
黒の背景に、変わることのない小さな点の群れ。
それがゆっくりと動いているのは、僕が砲座と一緒に動いているからだ。
惑星ミルトランの周りを回っているが、背後にあるので惑星ミルトラン自体は僕からは見えない。もちろん光学センサーの向きを変えれば見えるけれど。
この砲座は実際には少しずつ惑星ミルトランに引きずられていて、緩慢に落ちて行っている。
その軌道を調整するための推進剤の噴射が定期的に行われるが、それでさえも、ほんの短い間のことだ。
ゆっくりと時間の経過を証明するように巡り続ける星座たち。
ストローを引っ込め、次には栄養補給のためのゼリーを飲むのに使う太めのストローを出す。吸い込むとイチゴのような味がした。しかしそれっぽいだけで、本当のイチゴの味とは違う。
そんなゼリーの味の品評を頭の中でしているうちにも時間は流れていく。
あと何時間か、と片隅にある時間の表示を見る。正確には時間ではなく、勤務終了時間までのカウントだ。
残り、六時間か。
長いな。
今は惑星エルトランの昼側に入りつつあるところだけれど、任務が区切りになる頃もまだ昼側にいるだろう。
狭くて小さくて硬いシートに背中を預ける。船外活動服のバックパックがちょうど収まるようにデザインされているが、別に快適になるデザインであるわけもない。最低限の気配りというところだ。
光学映像の表示を切って、最近の流行りの歌手のビデオを再生する。
軍隊でこんなことをしていていいのかとも思うが、こうでもしないと正気を失ってしまう、ということらしい。そう思うなら二十時間勤務をせめて十時間勤務にしてくれ、という真っ当な意見は、今のところ、採用されていない。誰かは訴えているはずだが、誰も訴えないのだろうか。
僕もここで任務に就くようになってわかったけれど、ここはまともじゃない。
きっと使い道のない兵士が当てられているのだろう。本当に使えない兵士ではなく、それなりに使えるが、使い場所がない兵士が。
ここを勤め上げれば、また別のところで働けるかもしれない。
しかし僕が一ヶ月後、いや、半月後、もしかしたら一週間後に、精神をおかしくしている可能性もある。
目を閉じてぼんやりとささやかな旋律を聞きながら、自分のこれまでを振り返った。
平凡な家庭に生まれ、平凡な学校で過ごし、なんとなく宇宙軍に志願して、訓練学校を中程度の成績で卒業し、幾つかの何もないような任務を経験し、ある時に迎撃システムを運営する第十三軍団に転属になった。そしてこうして砲台に乗る日々が始まった。
何か間違ったかなぁ。
何もなかったはずなのだけど。
僕の知らないうちに、何かがあったのだろうか。
音楽が一度、停止して、また別の曲が流れ始める。つい最近に組んだプレイリストで、飽きないようにそれをシャッフルにして流しているのに、もう新鮮味は薄れ始めていた。
瞼の裏を見ているうちに、ヘルメットの向こうで星の光の緩やかな移ろいがどれほど進んだか、音楽が自動停止して、また定時の周辺警戒の時刻になる。
僕はいつも通りの手順で何事もないことを確認して、異常なしの連絡を指揮所へ送ろうとした。
『こちら五十九番。推進剤の燃焼痕を検知した』
急な通信が耳元で囁く。
瞬間的に、弛緩していた精神が本来以上の緊張に切り替わる。
自然とガイドバーに置いていた手を端末へ移動し、操作する。
すぐに五十九番砲台が受け持っている索敵範囲の情報を共有できた。すぐそばの砲台からの情報もそこに合成され、精度がグンと上がる。
それぞれの砲台で独立している人工知能が超高速で意見交換し、その上で五十九番砲台の砲手が指摘した部分を検証している。
僕もじっとその部分を見た。
確かに推進剤の燃焼痕に見えないこともない。
方向的にはしかし、第三惑星ルルグとはやや離れすぎている。それに燃焼痕自体も小さく見える。宇宙艦隊の大規模な行動の兆しではないとわかってホッとするが、不安は消えない。
推進剤を燃焼させ、それによって砲撃艦の向きを変え、こうしている今もすでに発射された無数の質量弾体が僕たちの方へ突き進んでいないとも限らない。
質量弾体にはいくつかの種類がある。大型のものは目標の至近で破裂して標的に向けて子機をばらまくが、最初から単体で飛んでくる質量弾体もある。
迎撃システムの砲台を攻撃するなら、子機をばらまく方が妥当だ。
自分が砲台ごとバラバラに粉砕されるのを想像しながら、僕は念入りに熱分布を確認してから、さらに念を入れて光学映像も確認した。しかし何も映らない。遠すぎる。
正体不明だ。
視界の隅で人工知能群が何かを議論していることを示す、輪を描くマークが回転を続けている。
その間にも、幾つかの砲台の砲手たちが意見交換しているが、誰にも正解は導き出せないようだった。
しかし不意に一人が発言した。
『こちら第七十七番。問題の燃焼痕の座標だが、何日か前に確認したルルグ方面行きの輸送船の航路に近いんじゃないか? 誰か、確認したか?』
否定する意見が幾つかやり取りされた後、今度は人工知能が発言した。滑らかな、しかし男とも女とも取れる声だ。
『第七十七番からの発言を検討した結果、輸送船のトラブルの可能性が浮上しました。現在、恒星系運輸管理局の情報と確認中です。各砲手は、第三警戒態勢のまま待機してください』
僕はシートに体重を預け、次の報告を待った。第三警戒態勢といっても、すぐにどうこうなることはない。第二警戒態勢は明らかな臨戦モードだが、第三警戒態勢は、ぼんやりしているなよ、という程度だ。
全員が黙ってしまったので、その沈黙はいやに重たい。音楽でもかけたいが、残念ながら第三警戒態勢では音楽を聴くことも動画を見ることもできない。
長すぎると感じる沈黙の後、人工知能が告げた。
『確認が取れました。該当する輸送船がナビゲーションに不備があり、軌道修正のため推進剤の燃焼を行ったとのことです。燃焼のタイミング、座標などと整合性が取れています。問題はありません。第三警戒態勢を解除します』
今度こそ僕も一息つけた。通信機越しに他の砲台の砲手たちが軽口を飛ばしたりしている。それを人工知能が私語を慎むようにたしなめていた。
僕はすぐに音楽を再生する操作をして、両手をガイドバーに戻した。
呼吸を整えて、改めて目の前の光学映像を見た。
普段通りで何もない光景。
もしかしたら、この光景は、実際に戦争が始まってからも変わらないのかもしれない。
何隻もの宇宙艦がやってきて、戦闘機が飛び回るようなことを想像してしまうが、これからの戦争はどこからともかく砲弾が無数に飛来して、それで決着がつくようなことになるのではないか。そうやって制圧してから、やっと宇宙艦がやってくる方が合理的だ。
なら僕たちは、何をしているのだろう。
大気圏の外の何もない宇宙で、延々と惑星を周回しながら周囲を警戒しているのは、滑稽そのものなのではないか。
二十時間、じっと座ったままで緊張したりリラックスしたりを繰り返して、それにどんな意味があるのか。
いもしない敵を待ち続けて、ありもしない攻撃に怯え続ける。
自分自身について悲観しているところで、注意表示が出た。
全身の筋肉をほぐすためのマッサージの時間を示す表示だった。了承すると、船外活動服の下、体の各所に貼り付けてある電極から最適化された刺激が体に与えられ、筋肉がひとりでに痙攣する。どうも落ち着かないが、人工知能は素早く全身をほぐしていった。
もしこれがシャワーの後ならもっとリラックスできただろうに、船外活動服の中にいるのだから、とてものんびりした気分にもなれない。
やがて全身の痙攣もおさまり、人工知能がマッサージの終了を告げる。
それにしても、船外活動服の下の電極は着用者の状態をモニタリングしたり、いざという時の心臓マッサージや、そこまではいかなくても強制的に意識を覚醒させるための電気ショックのためにあったはずが、誰がマッサージに使えるなどと考えたのだろう。
一度、目を閉じるとどうも眠くなってしまう。全身の疲労感のせいだ。まぁ、眠ったところでサポートする人工知能が起こしてくれるか。
うつらうつらしていると、ビリっと背筋に電気が走って覚醒する。
いかん、本当に眠ってしまった。
視線を向けて残り時間を確かめる。終了まで、いつの間にか残り二時間だ。
手元の操作でお茶のストローを口元へ移動させ、一口、二口と飲む。世話を焼きすぎな気がするが人工知能がお茶の残量を警告してくる。くそ、それよりも尿意がする。便意もだ。
生理現象にうんざりしながら、抵抗しても仕方がないのでするべきことをした。これは同じ仕事を百年しても慣れないと断言できる。
そのうちに残り一時間を切った。それも人工知能が教えてくれる。僕と同じ仕事に就いているものの間でよく言われる教訓に、任務の最後の一時間に事故は集中する、というものがある。
わからないでもない。二十時間もひとりきりでいて、それから解放されると思えば油断もするだろう。
とりあえずは気を取り直して、僕は定時の周辺警戒を無事に終えて、いよいよ今日の任務を終える時間が間近になった。通信が入る。流れてくるのは人工知能の音声だ。
『四十六番砲台のツーイ軍曹、聞こえますか』
「こちら四十六番砲台、ツーイ軍曹、聞こえます」
『交代の時刻です。引き継ぎの準備はできていますか』
完了しています、と答えながら、いつも通りの何も起こらなかったことを事前に記入しておいたテキストを送信する。もちろん、たった今、最後の部分に一度スペースを打ち込み、それを消して上書きすることで書いたばかりのように偽装したが。みんなやっていることだが、人工知能に筒抜けらしい。しかし人工知能はそれを指摘しないので、意図的に見逃されているのかもしれない。
送信したテキストを次に砲台を引き受ける軍曹が受領した通知が来て、それからやっと僕が砲台を離れる許可が出た。
人工知能の声は続く。
『シャトルが相対速度を合わせるのにあと三十秒です。こちらが視認できますか』
手元の操作で船外活動服のカメラを切り替えると、確かにシャトルがすぐそばに見えた。
ここで最大の事故が起こる可能性がある。
砲台と速度を合わせているシャトルに、うまく取り付けずに宇宙空間へ飛び出してしまう事故だ。これで数年に一人くらい、死者が出る。正確には死者ではなく行方不明者と言うべきか。
ともかくシャトルは砲台のすぐそばまで来た。
砲台に砲手交代を入力すると、即座に人工知能がそれを承認する。
シートベルトを外し、シャトルから伸びているガイドバーをカメラで正面に捉え、自分との相対関係も理解する。
そっと砲台を蹴る時、砲台が勝手にわずかに推進剤を噴射して姿勢を制御した。それを背に僕は短い宇宙遊泳の後にシャトルのガイドバーを両手で掴み、それを辿ってシャトルのエアロックに入った。
広く作られているそこに、僕と入れ替わる軍曹が待機していて、接触通信で短く言葉を交わした。
彼はすぐにシャトルを出て行き、少し待機するとハッチが閉まる。即座にエアロックに空気が注入され始めた。
エアロック内の端末の表示が赤から緑に変わる。
帰ってきた。
本当に帰るべき場所は他にある気もしたが、いつも思ってしまう。
今日も無事に帰ることができた。
これから八時間の休憩だ。その間は、二十時間勤務のことは考えないようにしよう。
僕は船内に通じるハッチが開くのと同時に、船外活動服を脱ぎ捨てるべく、両手のグローブのロックを開放するつまみに手を伸ばした。
(了)
二十時間勤務八時間休憩の日常 和泉茉樹 @idumimaki
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