第4話(2)
感情の抜け落ちたブルーアイが、まっすぐにシリルの黒瞳を見つめている。シリルは一度口を閉じると、息を呑みこんで瞬きをした。
「……なんだと?」
「私の資産価値は20億UKドルです。無事、私を王都まで届けていただければ、当初予定していた契約料は確実にあなたに支払われるはずです。それでもまだ、仮契約を結ぶにあたって、なにか問題となる事柄がありますか?」
生真面目な問いかけを聞き流して、男は頭の中で素早く思案をめぐらせた。
たかがヒューマノイド1体に、20億の保険がかけられている?
常識的に考えれば、あり得ない数値に、今回の依頼額が重なる。20億という価値を考えるなら、報酬に法外の値をかぶせてくることも頷ける。だが、なぜ……。
繊細で美しい容姿。人との会話をスムースにおこなう高性能の人工知能。抱き寄せた際の躰のやわらかさやひとつひとつの動作をおこなう際の関節の動きはいずれもなめらかで、肌の質感と体温にも、生身の人間と大差ない調節が施されていた。みずからが人工物であることを明かさなければ、シリルでさえ気づくのに、もうしばらく時間がかかったかもしれない。それどころか、これで喜怒哀楽までつけば完全に騙されていたことだろう。
もともと、1体の価格が庶民に手の出せる額でないことはたしかである。企業の受付対応や防犯要員、その他さまざまな分野において人間の補助的役割を担い、あるいは各福祉施設で利用者とのコミュニケーション・アイテムとしても使用されている。危険区域での細かな作業労働の従事などにヒューマノイドやアンドロイドを使うことも珍しくはなかった。そしてもうひとつが、金持ちの娯楽アイテムである。
使用人がわりに利用しつつ、高価な玩具、あるいはペット感覚で他者に見せびらかし、成功者のステイタスのひとつとして己を満足させてくれる必需品。特権階級のあいだでは、自分好みにカスタマイズしたセクサロイドを使って、悪趣味このうえない乱交パーティーを開くことも流行していると聞く。
桁外れの単価にこの美貌。そして、王都という運搬先。ひょっとすると、国王のダ
ッチワイフか、それに類する嗜好品といったところか――
「私には性的奉仕をおこなう機能は装備されていません」
いきなり核心を突かれた切り返しをされて、シリルはガラにもなくギョッとした。
「おまえ、なんで……」
「会話の言語パターンと表情の変化から、相手の思考を類推して対応する学習機能が取りつけられています」
「なんだって?」
「これまでにインプットされた、数千億パターン以上の統計の中から、あなたが私との会話で使用された単語、語り口、声のトーンや間合い、ブレス、視線の動き、瞬きの回数、表情筋の変化、脈拍数に発汗量等を加味し、そこに情動の基本パターンを組み合わせて推測される思考内容の確率を――」
「あ~、いい。わかった」
流れるように淀みなく出てくる解説を、シリルは途中で遮った。
先程の残忍で過激すぎる一連の手口を考えるなら、一国の王の公にはしづらい嗜好云々程度のことが問題になっているはずもない。たかが性具ひとつを隠匿するにしては、払われた犠牲が大きすぎる。だとすれば、いったいどんな秘密が隠されているというのか。
「おまえがとんでもなく高性能だってことは、よくわかった。ついでに愛玩用でもないってこともな。だが、その見てくれとさっきの様子だと、戦闘用ってわけでもなさそうだな」
「はい。戦闘機能も備わっておりません」
「それじゃ、国家機密のデータでも蓄積されてるか?」
「それについては、お答えいたしかねます」
「なるほどな。一介の運び屋風情に明かせる内容でもなかったか」
「残念ながら、機密事項ゆえの厳重なロックがかけられているため、私自身にもその内容を現時点で確認することができません」
「なんとまあ……」
シリルは呆れ口調でぼやいた。
「私にわかるのは、王都に行かねばならないこと。そしてその任務を、当初の予定どおり、シリル・ヴァーノンに受任していただくことの2点のみです」
「……って言ったって、なあ」
シリルはふたたび天井を振り仰いで、深々と大息を漏らした。
「おまえ、ここから王都まで、どれだけの距離があるかわかるか?」
「キュプロスからエリュシオンまでの直線距離は1万6723キロメートル。そのキュプロスから現在地までは――」
「ああ、いい、わかった。そのとおりだよ。直線で約1万7000キロ。イーグル飛ばしゃ、途中で幾度か休憩入れたところで2日とかからない距離だ。通常なら、明日の昼まえにも王都入りできる。これで500万なら、こんなウマい話はねえ。だがな、それはあくまで、イーグルがまともに飛んだ場合の話なんだよ」
苛立たしげな男の様子を、ガラスのように透明なブルーアイが無言で見返した。
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