暴れん坊小町ー番外編
クライングフリーマン
雲水僧殺人事件
===== この物語はあくまでもフィクションです =========
============== 主な登場人物 ================
戸部(神代)チエ・・・京都府警警視。東山署勤務だが、京都市各所に出没する。戸部は亡き母の旧姓、詰まり、通称。
神代宗佑警視正・・・京都府警東山署署長。チエの父。
茂原太助・・・東山署生活安全課警部補。
船越栄二・・・東山署副署長。チエを「お嬢」と呼んでいる。
白鳥純一郎・・・チエの許嫁。京都府警勤務の巡査。実は、大前田警視正の息子。母の旧姓を名乗っている。
大前田弘警視正・・・京都府警警視正。大きな事件では本部長を勤める。
小雪(嵐山小雪)・・・チエの小学校同級生。舞妓を経て、芸者をしている。
島代子(たいこ)・・・芸者ネットワーク社長。
貴志塔子・・・代子がプログラマー時代、組んでいた相棒。ネットワークシステムは、2人の合作だ。
中町圭祐・・・下鴨署からの転勤。巡査部長。
楠田幸子・・・チエの相棒の巡査。
金城神父・・・チエが日曜学校に通っていた頃の神父。
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※行雲流水(こううんりゅうすい)、浮雲(ふうん)流水の略で、行脚僧(あんぎゃそう)、雲水僧のこと。 修行中の僧が一所にとどまらず、自由に諸国を遍歴し、よき師を求め歩く姿が雲水に例えられた。
午後1時。東山署。会議室。
楠田が、金城神父を連れて来た。
「何故?」と、皆口々に言い始めたが、神代警視正は冷静だった。
「先生。何か『深刻な懺悔』ですか?」「こら、チエ。茶化すな。先生、ご用件は。」
「実は、昨日、白骨死体で発見された事件ですが、亡くなっていた方は、これと同じものを持っていたようなんですが。」と、神父は針金で作ったオモチャのようなものを持っていた。
「先生は、心当たりがあるんですね。」「ええ。多分、小学校の同級生です。右耳の上の方に陥没がありませんでしたか?」
茂原が、捜査資料をPCで出して確認した。
「あります。身元不明なので、マスコミから呼びかけて貰ったんですが、お知り合いでしたか。チエ、茂原。小会議室で、お話聞いて。」と、神代は指示した。
午後1時半。小会議室。
取り調べ室の改装中は、取り調べ室にあてがわれいたが、今は『参考人』などを通す小会議室に戻っている。
「彼は、砂川圭輔。小学校時代の友人です。故有ってチンピラのように振る舞っていた時期もありましたが、改心して、出家しました。行脚僧(あんぎゃそう)、雲水僧として、何十年もかけて修行の為全国を渡り歩いていました。」
「一方が僧侶、一方が神父ですか。珍しい。」と、茂原が言った。
ドアをノックした者がいたので、茂原が出ると、中町だった。
「先輩。警視。芸者ネットワークから連絡の電話が入っています。」
「ばらさん、砂川圭輔で資料集めて。先生、ありがとうございました。」
午後2時半。会議室。
芸者ネットワークのホットラインで電話を終えたチエは、「けしからん!」と激怒した。
代子からではなく、塔子からだった。今は、芸者ネットワークの拠点からの情報だけでなく、塔子からもインターネット上(SNS)の情報を受けている。
情報の内容は、SNSで殺人を自慢している者がいる、という。英語で書かれていたが、塔子は翻訳アプリで驚くべき事実を知った。
「『乞食僧』のコスプレをして駅前で、念仏っぽくブツブツ言っていたら、同じ格好をした者が、何やら言っている。日本語は片言だが自信があったから、『このコスプレして、念仏唱えてたら、お金が誰かから貰えるんだろう?お前と同じだろう?』って言ってやった。男は怒ってどこかへ行ったが、儲けは独り占め出来た。普段着の俺は、違う場所で、そいつを見付けたからボコってやった。死んじゃったみたいだから、山に捨てた。」
チエは戦慄が走った。
塔子は、当該被疑者が、今日もJR京都駅前に行って、儲けるんだと書いていた、と言う。時間は、人通りが多い、午後5時頃。
「チエ。中町と白鳥を連れて行け。分かったな。」
署長の『分かったな』の意味は、腕力を使うな、という意味だ。
白鳥はブレーキ役だ。
午後5時。JR京都駅前。
チエは、警察手帳を出した上で、こう言った。
"Giving alms in front of the station is prohibited by law.”
(駅前での托鉢は法律で禁止だ。)
被疑者ジョン・バイトは、現行犯逮捕され、京都府警で取り調べを受けた。
大前田は、チエが暴走する可能性があるので、通訳を雇った。
翌日。午後1時。ある、浄土真宗の寺。
砂川圭輔が、京都に戻ってから所属するはずだった寺で法要が行われた。
チエも、神代警視正も、白鳥も、小雪も、茂原も、そして、黒いスーツの金城神父も参列した。砂川圭輔は、既に親類縁者が全員亡くなっていた。東日本大震災のせいで、家屋ごと、消えてしまっていた。
既に白骨だが、儀式的に火葬場に連れて行かれた砂川圭輔は、火葬場で金城が納骨した。身寄りがないからである。
皆が引き揚げる時、寺の僧侶達は、金城神父に頭を下げた。
午後9時。神代家。
「神父が寺の葬儀参加とはなあ。」「ちゃん。砂川さん、成仏出来たかなあ。」
「当たり前や。チエ、よう辛抱出来たな。」「辛抱しい、って、合図したやないか。」
「ええ子や。」「ええ子やない、チエや。」「そやったな。あずきバー、切れたから、シンちゃんに、注文しといて。」「了解、署長。」「署長やない。ちゃん、や。」
2人は、笑いながら、風呂場に向かった。
―完―
※托鉢(たくはつ)/修行僧が、各戸で施与する米銭を鉄鉢で受けてまわることである。
明治時代に入って、西洋にならって物乞いは禁止され、明治4年(1872年)11月9日には托鉢の禁令(教部省第25号達)が出された。明治14年(1881年)8月15日には托鉢は乞食行為と異なるとして除外(内務省布達甲第8号)されたが、僧でない者の僧侶を装っての物乞いを防止するため、管長の免許証の携帯が義務付けられた。この托鉢免許証の携帯義務の規定は1947年の日本国憲法施行で信教の自由と政教分離が定められたため廃された。現在においても幾つかの宗派が、托鉢の時間・手法について規則を定め、宗派の発行する鑑札(托鉢許可証)の所持を義務づけているが、宗派の内規であり、法的な拘束力や強制力は伴わない。
現在の托鉢には、「手繰り帖」という名簿をもとに集団で自派の檀家の家々(近隣に限らない)を訪問する形態(門付け。かどづけ、と読む。)と、個人で寺院の門前や往来の激しい交差点など公道で直立して移動せずに喜捨を乞う形態(辻立ち。つじだち、と読む。)がある。
このように日本の仏教における托鉢が本来の目的から外れるようになったのは、日本を含む東アジアに広まった大乗仏教では上座部仏教とは異なり物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された荘園等を運営し、その小作料等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなったからである。
なお、現代の日本において乞食行為は軽犯罪法で禁止されているが、托鉢は信教の自由に基づく修行の一環であり正当業務行為であるとみなされるため、適法とされる。
しかし、駅などの施設の敷地内での托鉢は不許可あるいは許可が必要な場合があり、そういった場所における無断での托鉢は不退去罪などで検挙される恐れがある。
※(作者より)外国人の犯罪は年々増加しています。作品の犯罪は検挙起訴された事実はありませんが、外国の『移民政策』が失敗しているにも拘わらず、『インボイス』初め、まるで戦後の世界のように無条件で外国人を受け入れる政府の方針に深く落胆しています。
信教の自由は憲法で認められていますが、『拡大解釈』は、犯罪の根源になり得るものです。
暴れん坊小町ー番外編 クライングフリーマン @dansan01
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