「婚約破棄と聖なる契約」

雪 牡丹

「婚約破棄と聖なる契約」


灰色の雲が低く垂れ込める王都の広場で、エリシアは冷たい石畳の感触を感じながら立ち尽くしていた。目の前にいるのは、彼女の婚約者である第一王子、カイリスだった。


「エリシア、これ以上君と結婚することはできない」


その言葉は、まるで冬の風のように冷たかった。


エリシアは胸に鋭い痛みを感じたが、表情には出さなかった。王家の婚約者としての誇りが、涙を抑えさせたのだ。


「理由を伺っても?」


カイリスはわずかに視線をそらし、ため息をついた。


「君の家が没落した今、王家としては君を迎え入れるのは難しい。それに、他国からの姫との婚姻が、国にとって最善の選択だ」


それは政治的な決定だ、と言わんばかりの冷静さだった。


エリシアは内心で怒りと屈辱に震えたが、唇をかみ締めて静かに応えた。


「そうですか。それが陛下のご判断ならば、私には異論はありません」


カイリスの表情がわずかに安堵に変わる。しかし、その瞬間、広場の空気が急に重くなった。


どこからか聞こえてくる鈴の音。そして、現れたのは黒いローブに身を包んだ人物だった。


「婚約を破棄すると?」


その声は、男女の区別がつかないほど不思議な響きを持っていた。


カイリスが眉をひそめる。


「何者だ?」


ローブの人物は答えず、エリシアのほうに歩み寄った。


「汝の誓いが破られた以上、古の契約に基づき、新たな力が汝に授けられる」


その言葉にエリシアは目を見開いた。契約の魔術――それは、大陸でも稀にしか伝承されない伝説的なものだった。


ローブの人物が指を一振りすると、エリシアの手のひらに黄金色の紋章が浮かび上がった。温かく輝くそれは、力強い鼓動のようだった。


「この力は、汝が進むべき新たな道を切り開くためのもの。だが、忘れるな。この力は、汝自身が選んだ未来のためにのみ使うべし」


エリシアは紋章を見つめ、静かに頷いた。


「ありがとうございます。私はこの力を無駄にはしません」


ローブの人物はそれを聞いて満足そうに微笑むと、風とともに姿を消した。


カイリスは呆然と立ち尽くしていたが、次第にその顔は恐怖に染まっていった。


「エリシア、お前は――」


「もう、ただの没落貴族の娘ではありません、カイリス殿下」


エリシアは冷たく微笑んだ。


「これで、私も自由になれました。この力で、自分の道を進むだけです」


振り返ることなく、エリシアは広場を去った。胸に宿った新たな力とともに、彼女の運命は、もう誰にも縛られない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「婚約破棄と聖なる契約」 雪 牡丹 @yukibotan1999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画