第3話 勇者(自称)と行くおばちゃん初クエスト
翌朝、幸子はギルドの玄関前でジェードを待っていた。
「おはようさん。 今日も元気そうやな、勇者さん。」
声をかけると、ジェードは眉を上げて胸を張る。
「おばちゃん、昨日のうちにもう少し正式な装備を整えればよかったのに。 そのヒョウ柄は目立ちすぎますよ。」
「しゃあないやん。 ウチ、スーツとか持ってへんもん。 それに大阪のおばちゃんは、こういう派手なんが好きなんや。」
ジェードは納得いかない様子で口をつぐむが、すぐに気を取り直して地図を広げる。
「今回受けたクエストは、森の外れに出る魔物退治です。 …ほんとは単独でも行けるけど、おばちゃんが見学するにはちょうどいいと思って。」
「要は、強ない魔物を倒すってことやね。 ウチはあんま戦えへんけど、大丈夫なん?」
「俺に任せといてください。 剣の腕は自信あるんで。 それに、おばちゃんに危害を加えようとする魔物は、全部倒してやりますよ。」
意気揚々と語るジェードの表情には、自分こそ勇者だという確信がうかがえる。
彼が掲げるロングソードは見た目こそ立派だが、幸子の目からすると「ほんまに使いこなせるんか」という疑問も湧く。
それでもジェードの熱意を感じると、妙に応援したくなるから不思議だ。
「じゃあ、さっそく行こか。 ウチは動くときはパッと動くタイプやからな。」
街を抜け、森の入り口へ向かうと、しんとした空気がひんやりと肌に触れる。
「おばちゃん、足元気をつけてください。 このあたりは獣道が多いから、つまずきやすいんです。」
「了解や。 一応、ウチも靴は動きやすいやつ履いてきたで。」
とはいえ、ヒョウ柄の上着が森の緑に全く馴染まない。
ジェードがたまに振り返っては苦笑いしている。
やがて、低い唸り声のようなものが小さく聞こえてくる。
「お、もしかして魔物か? そろそろやな。」
ジェードがロングソードを抜き、身構える。
先を進むと、草むらの陰から丸っこい体格をした狼のような魔物がのぞいている。
灰色の毛並みで、目は鋭い。
「おばちゃん、下がっててください。 ここは俺が…」
ジェードが言いかけたところで、幸子が一歩前に出た。
「ちょっと待ち。 あの子、なんや様子おかしいな。 びびってるように見えるけど。」
「え? あれは警戒してるだけでしょ。 近づいたら襲われますよ。」
「ほんまかな。 なんや、お腹すかしてるんちゃう? 見てみ、骨張ってるやん。」
ジェードは半信半疑のまま、剣を下ろしかける。
幸子は一方的に魔物に向かって声を張る。
「アンタ、もしかしてご飯足りてへんの? ここに飴ちゃんあるけど、食べるん?」
「あ、飴ちゃんって…」とジェードが焦るが、幸子はまるで裏路地の野良猫に話しかけるような様子だ。
すると、魔物は少し首を傾げるような動きをし、低い唸り声をやめた。
「飴ちゃんっていっても、アカンな。 この子は肉食やろし、甘いもんはいらんか。 ほな…」
幸子は思い出したように、カバンから昨日買ったサンマの切り身を取り出す。
「ちょいと古いかもしれへんけど、腹の足しにはなるやろ。」
唖然としていたジェードの前で、幸子はサンマの切り身をポイッと魔物に放ってみる。
魔物は鼻をひくつかせながら、恐る恐る近づいてくる。
すると、まるで飼い犬が餌を喜ぶかのようにしっぽを振りながらかぶりつき始めた。
その光景にジェードは口をあんぐり開けたまま呆然となる。
「そんな方法で魔物の懐に入るなんて、聞いたことがないですよ。」
「ウチはずっと梅田の街で人と接してきてんねん。 魔物やろうが人やろうが、腹が減ってたらイライラするもんやろ。」
幸子がそう言うと、魔物はおとなしくこちらを見上げる。
ギルドの張り紙には“この魔物は凶暴なため討伐推奨”と書いてあったが、少なくとも今は牙をむく気配もない。
その後も森の奥へ進んでいくと、小柄なゴブリンの集団と遭遇する。
ジェードが慌てて「おばちゃん、隠れて!」と叫ぶが、幸子はゴブリンたちの鼻息の荒い顔をじっと見つめる。
「あら、あんたら怪我してるやん。 どないしたん?」
見ると、一匹のゴブリンが腕に包帯のような布を巻いている。
「ぐるる…」と威嚇のうなり声を出すが、幸子は動じずに鞄を漁り、傷薬らしき瓶を取り出す。
「アカンで、そんな傷放っといたら治らへん。 使い方わからんかもしれんけど、こうやって塗ったら治りが早なるはずや。」
ゴブリンたちは目を丸くし、少し後ずさる。
しかし幸子が遠慮なくずいずい近づくと、ゴブリンの一匹が恐る恐る手を差し出す。
「えらいね。 ちゃんと手ぇ出せたやん。 ほら、塗ったるわ。 ちょっとしみるかもしれへんけど、我慢しとき。」
ジェードは後ろで剣を握ったまま、「これ、どういうことなんだ…」と頭を抱えている。
「討伐クエストのはずやのに、なんで仲良くやってるん?」
幸子は振り返って、にやりと笑う。
「そもそも、ほんまに討伐せなあかんほど悪さしてるん? 聞いたら違うかもしれへんで?」
言われてみれば、ゴブリンたちは毛布のような物資を運んでいただけで、戦闘態勢というわけではない。
結果としてジェードは、まともに剣を振う機会もなくクエストを終えてしまった。
ゴブリンたちは幸子の親身な対応に恐れよりも好意を持ったらしく、手を振って見送る始末だ。
「こんなん見たことないですよ。 俺たちはいつも魔物といえば問答無用で戦ってきましたから。」
森から街へ戻る道すがら、ジェードは納得いかない表情を浮かべている。
「ま、全部の魔物が友好的やとは思わへんけどな。 でも、今回は撃退せんで済んだんやし、ええことやない?」
ギルドに帰り着き、受付嬢に報告する。
「えーと、どうだったんですか? 魔物は討伐できました?」
ジェードが返答につまると、幸子が代わりに口を開く。
「いや、倒すまでせんかった。 状況見たら、そこまで凶暴ちゃうかったし。 結果的に平和解決やな。」
受付嬢は目を丸くし、「そ、そんなケース、あまり聞いたことがないんですけど…」と困惑した声を漏らす。
ジェードは頭をかきながら、「まあ、俺一人やったら絶対斬ってたかも。 でも、おばちゃんが不思議な方法で丸め込んだんで。」と苦笑する。
幸子は胸を張って、「ウチ、伊達にいろんな商店街渡り歩いてないで。 値切りも交渉も、人に取り入るんも慣れとるわ。」と笑う。
受付嬢は唖然としながらも書類にメモを取り、「とりあえず報酬はお支払いします。 討伐数こそゼロですが、被害がなくなったのなら問題解決ですから。」と伝える。
ジェードは何とも言えない顔をしつつも、報酬の袋を受け取って振ってみる。
「まあ、結果オーライなんすかね。 でも、魔物を説得するなんて、初めて見ましたよ。」
「大阪のおばちゃんに不可能はないってことや。 それより、このお金、みんなで分けるの?」
「もちろん、山分けです。 おばちゃんにも分け前がありますよ。」
受け取ったコインを見て、幸子は「わあ、ちょっとは生活費の足しになるやん。 ありがとうな、勇者さん。」と嬉しそうだ。
こうして二人の初めてのクエストは、討伐というよりは交渉術に支えられた不思議な成果をもたらすことになった。
ジェードはまだ割り切れない思いがあるようだが、ひとまずは仕事を終えた安堵も感じられる。
幸子は飴ちゃんの袋を取り出し、「さて、明日もなんかクエスト受けるんか? ウチはどないしようかな。」と気軽に声をかける。
ジェードはまだ何か言いたそうな表情を浮かべながら、ロングソードをそっと腰に収める。
「この調子だと、今後も色々と予想外の展開になりそうですね。」
冒険者ギルドの入り口に差し込む夕日の光が、ヒョウ柄の衣装を照らしている。
幸子は鼻歌まじりに出口へ歩き、ジェードはふと気持ちを新たにするかのように胸を張り直す。
どこかおかしな二人組だが、こうして“魔物討伐”は拍子抜けの形で幕を下ろしたようだ。
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