第2話 おばちゃん、冒険者ギルドへ行く

幸子は森の中の石畳を、サンマの入った袋を下げたまましばらく歩いていた。

しっとりした苔の生える道を進むと、だんだん開けた場所が見え始める。

「なんや、街があるんやろか。」

木立の隙間から石造りの建物がいくつも覗き、そこに人らしき姿が小さく見える。

「とりあえず、あそこ行って聞いてみるしかないわな。」


初めて見る異世界の街並みは、まるで絵本の中みたいな雰囲気を漂わせている。

土壁の家やら、弓なりの橋やら、ウチには見慣れへんものばっかりだが、道行く人々のにぎわいは梅田の雑踏に通じるものを感じる。

幸子は「こっちが勝手にビビっててもしゃあない」と意を決し、勢いよく街のゲートへ足を踏み入れる。


人々は革の鎧やらローブやら、それぞれ独特の装いをしている。

「何かのコスプレか?」と心の中でツッコみつつ、幸子は声をかける相手を探す。

ところが見たこともない獣耳を持った人が通ったり、剣を背負った若者が駆け抜けたり、どれを見ても大阪とは程遠い世界観だ。

「えらいファンタジー感やな。どないなっとるんやろ。」


そのうち、「冒険者ギルド」と書かれた木製の看板が目に入る。

ごつい扉の向こうから、人々の活気ある声が漏れてきている。

「ギルド…って、どういうとこやろ?」

幸子はひとまず扉を押してみる。

軋む音とともに開いた先には、酒場のようなカウンターと、それを取り囲む冒険者風の男女が目に飛び込んできた。


中へ足を踏み入れると、複数の視線が一斉に幸子をとらえる。

どうやらヒョウ柄の派手な服装に驚いているようで、男たちが「なんじゃ、あれは」とひそひそ話を交わす。

「ま、しゃあないわな。ウチのファッションは大阪スタイルなんやし。」

幸子は気にする様子もなく、カウンターへずんずん進む。


カウンターの内側には、きっちりとした髪型の受付嬢がいる。

顔立ちは整っているが、なんとなく仕事の疲れがにじんでいるように見える。

「すんません、このへん全然わからんのやけど。なんとかしてもらえまへん?」

幸子が言うと、受付嬢はきょとんとした目を向ける。


「冒険者登録でしたら、こちらの書類をご記入ください。

危険なクエストを受ける場合は、登録なしでは依頼を出せませんから。」

「いや、登録て。そもそもクエストってなんなん?」

「魔物討伐やら遺跡調査やら、いろいろな依頼です。

自分の腕に見合ったクエストを受けて、報酬を得る仕組みなんですよ。」


幸子は眉間にしわを寄せる。

「なるほどな。仕事みたいなもんか。せやけど、ウチはただ迷い込んだだけやし、そもそもここのルールようわからんのよ。

誰か詳しい人おらへん?」

「でしたら、もう少しお待ちくださいね。

空いてるギルド職員が案内できると思いますので…」

受付嬢が苦笑しながらそう答えると、幸子は「ほな、待たせてもらうわ」と言って、あたりを見回す。


ガヤガヤとした冒険者たちの会話が飛び交う中、一際大きい声が聞こえる。

「俺は勇者だ。

いや、自称なんかじゃなくて、本物の勇者なんだってば。」

そちらを見れば、茶色い短髪で軽装の青年が、ほかの冒険者に力説している。

剣の柄を誇らしげに叩きながら、なんだか空回りしているようにも見える。


「こないに騒いでる人もおるんやな。

大阪の兄ちゃんみたいやわ。」そう思いながら、幸子は彼のほうへ視線を送る。

その青年は勢いよく振り返り、幸子の姿を目にするとハッとした顔になる。

「あなた…もしかして特別な力を持った魔女か何かですか?」

「はあ? 魔女?」

「だって、その独特の装いとかオーラとか、明らかに普通じゃない気がするんです。

俺はわかるんですよ。」


幸子は「どこをどう見て魔女やと思うのか」と思いつつ、青年の真剣な目に戸惑う。

「まあ、ヒョウ柄は派手やけどな。

ウチはただの大阪のおばちゃんやで。」

「大阪…ってどこです? 王国か何かの名前でしょうか?」

「なんやろなあ。 まあ、そっちの感覚もわからんでもないわ。」


青年は得意げに胸を張り、「自分はジェード・ハイラン。 歴史書に語られる“勇者”の末裔なんです」と名乗る。

幸子はぎょっとして少し笑ってしまうが、ジェードの目には本気が宿っているように見える。

「勇者やて…マンガみたいやなあ。

でも、こっちはどこからどう見ても普通のおばちゃんやから、そういう期待されても困るで。」


ジェードは幸子の言葉など意に介さず、手をぽんと叩く。

「いや、俺は運命を感じていますよ。 この世界に突如現れた未知の存在、それがあなたなんです。

もしや、魔王を倒すために導かれた助っ人じゃないかと。」

「魔王って…ほんまにおるん?」

驚く幸子に対し、ジェードは大きくうなずき、「当然です」と返す。


そのやり取りを横で聞いていた数人の冒険者がくすくす笑い始める。

「またジェードが誰かを巻き込もうとしてるぞ。

気をつけろ、おばちゃん。 この男は自分を勇者って言い張って、何でもかんでも騒ぎにするからな。」

茶化されたジェードは赤面しつつ、「うるさい」と言い返すが、幸子のほうはむしろ興味を引かれている。

「あんた、自分で勇者名乗るくらいやったら、めっちゃ強かったりするん?」

「もちろんです。 剣の腕だけなら負けませんよ。」


その勢いに押されるように、幸子は受付での手続きを横目に、ジェードとの話を続ける。

「まあ、ウチは帰り道探さなあかんし、魔王とか言われてもピンとこーへんけど。

もし案内してくれるならありがたいわ。 こっちの世界のこともようわからんしな。」

ジェードは即座に「任せてください」と答え、胸を張る。


そうして幸子は半ば成り行きで、ジェードと一緒に行動することになった。

冒険者ギルドでの会員登録は、受付の説明をまったく理解しきれずに終わったが、どうやらジェードが「自分の連れ」という形で巻き込んでくれるらしい。

この世界の常識がまるで通じないまま、幸子はひとまず“冒険者ギルドに出入りできる人”という肩書きだけは手に入れたようだ。


そこに、受付嬢がわずかに笑顔を見せながら声をかける。

「ジェードさん、くれぐれもトラブルを起こさないようにお願いしますね。 それと…おばちゃん、そのサンマは早めに料理したほうがいいですよ。 ここは冷蔵技術が未発達ですから。」

「あっ、そやった。 完全に忘れてたわ。 ここには冷凍庫もないんやね。 困るなあ。」

そう言いながら、幸子はサンマの袋を見つめる。


ジェードが「なんなら俺の荷物と一緒に保管しておきましょうか?」と申し出ると、幸子は「ええの? ぬるくならへん?」と首をかしげる。

「まあ、魔法である程度は冷やせるんで、大丈夫ですよ。 それより、早速クエストを受けてこの街の近くを案内しましょう。 俺の勇者としての腕を見てもらわないと。」

幸子は「助かるわ。 ほな頼むで、勇者さん。」と声をかけると、ジェードは上機嫌にロングソードの柄を叩いている。


異世界の街での初対面が、こんなににぎやかなやり取りになるなんて想像もしていなかった。

それでも幸子にとっては、人と話ができるなら何でも楽しいという気持ちが大きい。

「よし、ウチはウチなりに頑張って、帰る方法探そうか。 とりあえず勇者さんのお世話になるわ。」

そうつぶやいて、幸子は笑みを浮かべる。

衣装も言葉も何もかもが噛み合わへん不思議な世界で、どうにかやっていけそうやと感じられた瞬間だった。

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