梅田から世界へ飛んだけど 〜おばちゃん、なぜか魔王城をジャック〜

三坂鳴

第1話 梅田のど真ん中、おばちゃん登場

「ちょ、ちょっと待ってや。財布どこいったんやろ。」幸子はヒョウ柄の小さなバッグをまさぐりながら、大声で独り言を言う。

梅田の人混みはいつもながら賑やかで、足早に歩くサラリーマンや買い物袋を抱えた主婦が行き交っている。

そこにふくよかな体型と派手なパーマヘアの幸子が加わると、さらに濃い大阪の空気が一層活気づく。


「おっちゃん、飴ちゃんいるか?」と、すれ違う年配の男性に声をかける。

相手は戸惑いながらも「あ、いや…」と遠慮するが、幸子の手には早くも飴が乗っていた。

「遠慮せんといて。甘いもん食べたら元気出るやろ。」そう言う幸子の口調はどこまでも明るい。

相手が受け取るまで見逃さんという顔つきで、いつの間にか距離を詰めている。

「ありがとうな」と、男性は仕方なく微笑んで小走りで去っていく。

「ほら、今日もええ天気やしな。みんなハッピーにせなあかんわ。」


アーケード街に近づくたび、人通りはますます増える。

観光客っぽい若者の一団が道に迷っているのを見つけると、幸子はすかさず突撃していく。

「アンタら、迷ってはんの? どこ行きたいん?」

「え、ちょっと、梅田駅の出口がわからなくて…」

「そんなん駅なんてめっちゃ入り組んでるから、ウチでも迷うわ。あっちの方向に歩いて、右手に大きいビルが見えたらそこを…」


言いながら幸子は熱心に身振り手振りで説明を始める。

手首にジャラジャラと鳴るブレスレットや大きめのイヤリングがやけに目立つが、周囲の視線は気にならない様子だ。

「ほな、気ぃつけて行ってや。なんかあったらすぐ聞きや。」最後まで声を張り上げると、若者たちは恐縮しつつも頭を下げて去っていく。

「ほんま、大阪の街は広いからしゃあないけどな。自分らも楽しんでや。」幸子は大きく手を振った。


かくして商店街の中へ足を踏み入れると、八百屋や魚屋の威勢のいい声が飛び交い、主婦たちの笑い声が途切れない。

「ええサンマ入ってるやん。おっちゃん、これいくら?」

「今日は新鮮やで。三尾で五百円や。」

「ちょい待ち。もうちょい勉強してや。三尾で四百円になれへん?」

「しゃあないな、幸子さんにはいつも世話になっとるし、ええで。」

「あんがと。助かるわ。」

買い物カゴにはサンマやら野菜やら、いつの間にか得した戦利品が増えていく。


店先で顔見知りの主婦と立ち話が始まれば止まらない。

近所の孫の話からテレビ番組の話題まで、まるで舞台でも始まったかのように話が横へ横へと展開する。

それでも幸子は常に聞き手のリアクションを見逃さない。

相づちを入れながら、相手に飴ちゃんを手渡し、場をまわすのだ。


「ほな、ウチもう行かなあかんから。さいなら。」そう言って商店街を出ようとすると、妙な光が視界の端にちらつく。

最初はショーウィンドウの反射かと思ったが、どうにも目が離せない。

光はやけに白くて、商店街の慌ただしい雰囲気とは釣り合わないほど静かに揺らめいている。


「なんやろ、あれ…」

幸子が近づくにつれ、その光はまるで自分を待っているかのように奥へと誘うように動く。

「怪しいセールの看板でもないやろし…でも、どうも気になるな。」

彼女は買い物袋をどっかりと持ち替え、光のあるほうへ足を運ぶ。


商店街の裏手にある細い路地に入ると、潮が引くように周囲の喧騒が薄れていく。

シャッターの閉まった店が並ぶ中、その白い光だけが存在感を放っている。

「ちょ、なんでこんなとこで光ってんねん。危ないもんちゃうやろな。」


距離は数メートルもない。

何かの照明か、はたまたイベント用の仕掛けかと思いながらも、幸子は興味に駆られ、手を伸ばす。

指先が触れた瞬間、強烈なまばゆい光が視界を覆った。

同時に、足元の感覚がふわりと浮き上がるような不思議な感覚が襲い、一瞬で全身が光に包まれてしまう。


そして、次の瞬間に意識が戻ったとき、周囲にあったアーケードやビルの風景は跡形もなく消えていた。

草の香りが濃厚に鼻孔をくすぐり、視界には広がる緑の森。

空気もやけに澄んでいる。

「え…なんや、これ。ここ、どこなん…?」


慌てて振り返っても、あの商店街の裏路地は見えない。

かすかな鳥のさえずりが響くだけで、人の声すら届かない。

「えらいこっちゃ。もしもし…誰かおるん?」呼びかけてみるが、返事はない。

「ちょ、梅田は…梅田はどこ行ったん?」


幸子は唖然としたまま、買い物袋をぎゅっと抱きしめながら自分の胸を叩く。

「いやいや、落ち着き。こんなん、なんぼなんでも夢ちゃうやろ…。森て。大阪のど真ん中になんで森があるんよ。」

彼女は視線をめぐらせるが、見えるのは木々と草原ばかりだ。


どうにか気を取り直し、足を一歩踏み出そうとすると、不思議な石造りの道が少し先に伸びているのがわかる。

「あの道、行ったら誰かに会えるかもしれん。ここでじっとしててもしゃあないわ。」

幸子はサンマの入った袋を抱え直し、まるで買い出し帰りの続きをやるかのように歩き出す。

「ほんま、ウチはなんでこんなことになってるんや。とりあえず、誰かに聞かんとわからんわ。」


ふと見上げた空は、さっきまでいた梅田のビル群など影も形もない青さで満ちている。

細めた目には緊張や不安よりも、どこか新しいものを見つけたときの好奇心がうかがえる。

「どないやろか。魔法とか出てきたりしたら笑うわ。いや、ほんまに出てきても困るけど…」

そうぼやきながら、幸子は一歩、また一歩と森の奥へ足を進めていった。

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