第4話 魔王軍サイドの動揺
玉座の間には重厚な緞帳が垂れ込み、石造りの壁を伝うトーチの揺らめきだけが暗闇を照らしている。
漆黒のマントを纏ったディアス・ガルニエは、中央の玉座に腰を下ろしながら、手元の報告書をじっと睨んでいた。
銀色の角が小さく光を反射しているが、その表情は陰を帯びている。
「最近、我が領域周辺で妙な噂を聞く。
魔物どもが討伐されるどころか、懐柔されているという話だが…」
ディアスの声は低く静かだが、緊張感は広間にいる全員へと伝わっている。
正面に控える魔王軍の兵士たちが顔を見合わせ、やがて一人が進み出て報告する。
「はい。 どうやら人間の女が関わっているようです。
その者は大した武力を持たず、呪術も使わない。 けれど、どこか異様な存在感があり、魔物たちに飴…のようなものを渡していると。」
「飴?」
ディアスは目を細める。
「そんなもので魔物が手懐けられるとは…ありえないはずだが、事実なら見過ごせないな。」
玉座の手前には真紅の髪を三つ編みにした女性が静かに立っている。
アンネリーゼ・フロウラ。 魔王軍の幹部として抜群の実力を誇り、クールな表情を崩さずに任務をこなす姿で有名だ。
彼女が口を開くと、その声はどこまでも冷静で、淀みのない響きを持っていた。
「殿下。 私も先ほど、ゴブリンの一団が被害報告を取り下げたという情報を得ました。
聞くところによれば、何者かがゴブリンたちに施しを与え、対立を避けさせたとか。 このままでは我々の威光が薄れます。」
ディアスは報告書を横に置き、僅かに背筋を伸ばす。
しかし、その動きに合わせて肩に違和感が走ったのか、深く息をつくように苦しげな表情を浮かべる。
腰痛や肩こりに悩まされているとは誰にも言わないが、幹部のアンネリーゼは察している節があった。
だが、彼女の眼差しはあくまで任務と組織を優先する厳しさを保つ。
「我が軍の兵士たちも、一部はその女に接触し、不可解な懐柔を受けたと言う。
戦わずして帰ってきた者もいるようだが、まったく馬鹿げた報告だ。
ほんの数言のやり取りや、なぜか飴なる菓子を渡されてコロッと懐いたなど…聞けば聞くほど信じられん。」
ディアスは静かに口元を引き結び、鋭い目つきで部下たちを見回す。
兵士たちは視線に耐えかねて俯いている。
アンネリーゼは淡々と続ける。
「そんなはずがない、とは思いましたが、報告が立て続けに上がる以上、放置すべきではありません。
その女に特殊な術があるのか、それともまやかしなのか。
ただ、どちらであれ、魔物との共存を唱える人間が増えていけば、我らの支配体制が揺らぎかねません。」
ディアスはわずかに瞼を下ろし、言葉を選ぶように息を吐く。
「確かに、こちらの威厳に関わる問題だな。
人間が単独で動いているにしては妙だ。 そもそも魔王領にそう簡単に入り込めるものではない。
つまり何者かが裏で糸を引いている可能性もあるわけだが…」
アンネリーゼは小さくうなずく。
「はい。 それを探るためにも、私が直接この女を捜索しようかと考えています。
自称“勇者”らしき人間の動きも報告されていました。 おそらく、その者と一緒に行動していると見て間違いないでしょう。」
ディアスは少し体を傾けて腕を組む。
「勇者と名乗る男と、得体の知れない女か。
なにか馬鹿げているようでも、放っておくのはリスクが高いな。
アンネリーゼ、そなたに一任しよう。 どんな手段を使っても構わん。 その女の正体を突き止め、報告せよ。」
アンネリーゼの表情は変わらないが、その目には強い意志が宿っている。
「承知しました。 殿下の命令ならば、遅滞なく行動に移します。
もしも脅威と判断すれば、排除すべきかと考えていますが…」
ディアスは静かに首を振る。
「まずは真偽を見極めろ。 相手がただの道化ならばそれで良いが、何らかの力を持っているなら、慎重に扱う必要がある。
不要な血は流さないほうが、後々の禍根を残さないものだ。」
兵士たちがその言葉に驚いた顔をしているのを見て、アンネリーゼは内心で納得していた。
ディアスは冷酷に見えるが、弱き存在や無駄な戦いを嫌うという一面を持っている。
「では、その方針で動きます。」
アンネリーゼが頭を下げると、ディアスは玉座の肘掛けからゆっくりと身体を起こす。
「あとで私にも詳しい情報を伝えろ。 その女が何者かを掴めば、この国の情勢が変わるかもしれない。
勇者という存在にも少なからず興味がある。 かの者らが我らにとって脅威となるならば、迎撃の準備が必要だ。
私自身の腰の具合が多少気になるが、放ってはおけんな。」
そうつぶやいたあと、ディアスは再び玉座にもたれる。
アンネリーゼは踵を返し、堂々と広間を出ていく。
彼女の黒を基調としたタイトな戦闘服が、魔王軍幹部としての威厳を物語っている。
冷静さを崩さない表情だが、その奥には見えざる熱情と、わずかな焦りが入り混じっていた。
彼女は噂だけの存在で終わるはずの人間の女に、ここまで組織が動揺させられる事態を甘く見ていない。
しんと静まり返った玉座の間で、ディアスは部下たちを下がらせると、深く息を吐き出した。
一人になると、マントの隙間から手を伸ばして肩を揉んでみる。
「面倒なことになるかもしれんな。一体どんな女なのか…」
そのつぶやきは部屋の静寂に吸い込まれ、銀色の角をかすめたトーチの灯りだけが、ゆらゆらと漆黒のマントを照らしていた。
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