さようなら僕……いってらっしゃい僕

三愛紫月

片付けをする

8年間住んだこのアパートを大家さんから、ファミリー向けマンションにするから退去して欲しいと言われたのは、つい三日前の出来事だった。

退去期間は、三ヶ月以内ということだったので特に焦る必要もないかと思っていたけれど……。


実家の母から、早めに戻ってきたら新しい家を探せるでしょ?と言われたので、この三連休を利用して荷物を整理するかと始めたところだ。


実家には、二年前に結婚指した弟が住んでいる。

昨年冬に弟の奥さんの妊娠も発覚し俺の部屋を子供部屋にしたいという話をしていたから……。

さっさと帰ってきて、実家の荷物も整理して欲しいと思っているのかも知れない。



「さて、やるかーー」



気合いをいれるために大きめの声を出してみたものの。

何から手をつけていいのかが、さっぱりわからない。


あっ、そうだ。


実家に戻るからしばらくは必要ないし、使うこともなくなるキッチン用品から片付けようと決めた。

捨てるわけではなく、段ボールにしばらく眠っている物達だ。


買ってきた段ボールを手際よく組み立て、キッチンの食器を梱包しながらつめていく。



キッチンの食器を買いに行った日の僕は、一人暮らしをするのが楽しみで、楽しみで仕方なかった。


水玉模様のお茶碗を手にとり、自分が進む先はキラキラと輝いてると信じていた。


でも、それはたった五年しかない事を僕は知らなかった。


いや、実質には一年だ。


残りの四年は、消化するように日々を過ごし、毎日脱け殻のようで。

このお茶碗を使ったのだって数えるほどしかなかった。


期待していた現実と本当の狭間で、僕は幾度となく泣き、叫び。


そして、最後に壊れたのだ。


壊れたのは、三年前。

それからは、貯金を切り崩しながら生活している。

今回、アパートを退去するにあたり

最初に入れた家賃四ヶ月分の敷金と退去費用を大家さんが支払ってくれる。

そのお陰で、僕はもう少し遊んで暮らせそうだ。


実際は、遊んで暮らしているわけではない。


毎日、毎日、毎日、『生きる』ことだけを頑張っているのだ。


僕の一日の流れは、こうだ。


目が覚めた瞬間、なぜ生きているのかを考える。


近所の「いってらっしゃい」の声。

学校に行く子供の騒ぐ声。

車の開閉音。

自転車のベル。

近所の「いってきます」の声。


それを聞きながら、僕は何て駄目なんだと押し潰されそうになる。


本当は、洗濯物を干しに行きたいけれど……。

干す間に、地面に引き込まれたら大変だから布団をかぶってベッドに入る。


思い出したようにヘッドフォンを取り付けて、ヒーリングミュージックで癒されようとするけれど。


ざわついた胸の鼓動に書き消されて、何も聞こえない。


『今日生きてるそれだけで充分なんだよ』と僕の担当医である葉山先生は言う。


でも、これって生きてるのか?


ただ息をしてるだけじゃないのか?


グルグル悩んでる間に、薬がきいていつの間にか眠って、目が覚めたらあたりは薄暗くて。


電気をつける気力も持ち合わせてない僕の耳に……。



『ただいま』って近所の声。

『おかえりなさい』って声がして。

トントンって何かを刻む音がして。

どっからかご飯の匂いがして。

車の音がして。

誰かが階段を駆け上がる音がして。

インターホンの音がして……。



何故か、僕は泣いてる。

その気持ちの整理がつかないまま。

また、眠って。

気づいたら、朝を迎える日もあって。


そんな一日ですと病院で話すと『ちゃんと食べましょうね』って、葉山先生に優しく諭される。

生きることの難しさを毎日嫌というほど感じさせられていた。



僕がこんな状態にあることは、もちろん母も知っていて。

それからは、ことあるごとに「いい人いないの?」が口癖だ。

そして時々「死ぬのは許さない」とか「頑張るって決めたならやりなさい」とか口を酸っぱくして言ってくる。

それは、母の愛だとわかっている。

わかっているけど……苦しい。



死ぬのを許して欲しいなんていうつもりはないけれど、「逃げていいよ」「帰ってきな」ぐらいの言葉をかけて欲しいものだと思う。


ようやくキッチンのお皿を片付け終わった。

しばらくは、何かを外で買ってくるかな。


ここ二ヶ月は、頑張って外出している。

ただ、昼間は人が眩しすぎるから。

出かけるのは、決まって夜だ。

それも、夜中。


23時を回れば、ほとんどの人が動かなくなるから。

僕は、忍者にでもなったつもりで、午前0時にお財布を下げてコンビニに出かけるのだ。


ボサボサ頭にスウェットに眼鏡。

見るからに怪しそうな風貌で、僕はかご一杯の食料と飲み物を購入する。


そして、また引きこもるのだ。


自動引き落としになった世の中は便利だ。


家にいても、勝手に引き落としてくれるから。

相手には、僕が生きてると思ってもらえる。

例え、この世界からいなくなっても先月までは振り込んでもらっていましたとなるわけだ。


まあ、実際は貯金から引かれてるだけなんだけど。


コンビニの話をしていたせいで、意味もなく冷蔵庫を開けてしまっていた。


次に片付けるべきは、鍋だというのに……。



食べる事が大好きだったから、張り切って鍋をたくさん揃えたのだけれど。

使っていたのは、最初の頃だけだ。


最近は、お湯を沸かすだけになった小鍋に、たまに卵を焼くだけのフライパンに変わってしまった。


『食べる』ことが生きることに繋がると昔の人はよく言ったものだ。


あの日『食べる』をやめてから、たぶん僕は『生きる』をやめたんだと思う。


何を食べても味がしなくて美味しくなかった日々は過ぎ去り。

ここ二年は、味覚は戻ってきたけれど。

料理を作って食べようなんて気力は湧いてこなかった。

生きるエネルギーの欠落なんだと思う。


キッチンの鍋を終えて、次に向かったのはクローゼットだ。

クローゼットには、たくさんの衣類が下がっているが。

おしゃれを楽しむ余裕なんて、今の僕にはない。


スーツを張り切って、三着も購入したのは懐かしい。

新入社員の初ボーナスの日。

三着購入で、三着目半額とかコートがつくとか何かそんな謳い文句にやられて購入したのだ。

一着さえも、まともに着れやしなかったのに……。



「実家に帰ってから売るかな」



最近、母がウルカウというフリマアプリにはまっていると弟から聞かされていた。

やり方を聞いて、僕も着ない服を売るかな。

スーツや一度も着なかった服を新しい段ボールを組み立てて入れる。


ずっと寝ている時間が長いから、少し外出するだけで疲れるし。

座っていてもすぐにダルくなる。

そんな僕に、スポーツ用の服はいらない。


クローゼットの中の服の半分以上がいらないものだった。

着ない服で圧迫したクローゼットのために家賃を払っていたのかと思うと少し落ち込んでしまった。

このスペース分、家を小さくできれば……退去などしなくてよかったのに……。



落ち込みついでに本棚へ。

勉強熱心だった僕は、仕事のノウハを知りたくて本を買っていたようだ。

いや、仕事だけじゃない。

【できる男の買い物術】なんて本は、仕事に関係ないだろう。

モテ哲学が書かれている様々な本を実家に持っていくのは、恥ずかしい。


母に「いい人いないの?」って言われた時に「いらないよ」なんて答えたのに……。

ちゃっかりモテようとしてるのがバレてしまうのではないか。

この本達は、本を査定してくれる近所のブックランドに持って行くのが一番だ。


本棚の本を片付けるとかなりのスペースが空いた。

やはり、僕は無駄なスペースにお金を払っていたのか。


ガッカリしそうになったけれど。

違う事に気づいた。


だって、あの時の僕にとってはあのスーツや服も、モテようとする為に買った本も、全部必要だったんだ。



空っぽになった部屋と納められた段ボールを見て、僕は泣いていた。

そうか、そうだったんだ。


引っ越すために渋々やった片付けのお陰で僕は気づいてしまった。


あの頃に戻れないとウジウジしていた昨日までの僕。

僕が片付けていたのは、その僕だ。


あの頃になんか戻らなくていいのに、僕はずっと戻りたいって思ってた。


過去のキラキラと元気だった僕に戻れるはずなんてない。

頭の片隅ではわかっていたけれど、受け入れるのは怖かった。


だけど、今。

片付けをしていて気づいた。

僕は、ずっと『さよなら』したかったんだって。

あの頃の僕に別れを告げるように、段ボールに物を閉まったら。

僕は、何だか身軽になった。


今の僕は『生きる』を頑張ってる僕。

あの頃みたいに未来を夢見て走ったりなんてできない。


朝起きて、自分の体調管理だけを頑張るしかできない。


誰かにモテようなんて思うより、朝ごはんを食べることの方が重要だ。


誰かに気を遣う事より、自分が今日はいつまで起きていられるかが大事だ。


自分勝手な病気、身勝手な病気、わがままな病気。


そう友達だった人や会社の人に言われたこともあるけれど……。


今の僕は『生きる』しか考えられない。

だけど、それでいい。

今は、それでいい。


いつか、また、未来を夢見れる日がくるから……。


さよなら……僕。



リビングに置いてある小物を段ボールにしまって、今、必要なものだけを残してみた。



「テレビはみないんだな」


段ボールにリモコンを閉まってる。


テーブルに置かれたのは、小さなノートと薬が入ったケース。


必要なものは、これだけでよかったのか?


そうか。


じゃあ、これ以外は母と一緒に仕分けしながら売るかな。


いってらっしゃい……僕。

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