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「だって。私、あきらさんのことを他人事にしたくないから、自分だったらどう思うか、いろんなことを自分事にして考えたいんです。そうやって知らないことを減らして、思い込みをなくしたい。でも、あきらさんのこと、知らないことがたくさんあるから、きっと上手くいかなくて、……」

「これから知ってくれればいい。あなたが悪気なくしたことで、あなたに愛想を尽かしたりしません。……それが怖いですか?」


「怖いです。あきらさんに嫌われるの、怖い……」

「あたしは、風花さんが大好きなのに」


 あきらさんが、肩に置いていた手で私を抱き寄せた。

 ちょうど人波が少しだけ途切れたところで、物陰に隠れて、キスをされた。混乱が落ち着いて、肯定を伝えてくれるキス。こんなのは初めてだった。

 急だよ。ここ往来のすぐ傍だけど。誰も見ていないから、いいかな。でも誰かに見られていても、いいかな。悪いことでは、ないのかな。悪いとしたら、なにが悪いのだろう。

 ――いやいや、人前だからだ。

私って、思っていたより浮かれやすいんだな……なんて考えていたら、涙が止まった。


「風花さんの感受性や優しさは、風花さん自身と、自分が大切な人に向ければそれでいいんだと思いますよ。そうしたら、誤解や行き違いはあっても、誰も傷ついたりしないです、きっと」


 駅が近づいてきた。

 でも、別れがたい。

 もう少し一緒にいたい。泣いた後にそんなこと言われたら、重いかな……


「風花さん」

「は、はいっ?」


「もしできたらなんですけど。どこか、二人きりになれるところへ行きませんか? うち……はここからだとちょっと遠いかな。どこか別の……」


 私は、はい、と手を挙げた。

 ここから近くて、二人きりになれるところ。心当たりが、あった。



「か、片づいておりませんで」

「充分きれいですよ。わあ、インテリアが女の子っぽい。あたしとは違うなあ」


 まさかこんなに急に、あきらさんをうちにお招きすることになるとは思わなかった。

 しかも夜。……いや、あきらさんの様子から見て、そういうことではなさそうだけど。


 ワンルームの私の部屋にはソファがないので、ローテーブルの横でクッションに座ってもらう。


「本当は、明日の昼間とかにゆっくり話すべきかもなんですけどね。どうも、あたしは夜のほうが話しやすくって」


 ローテーブルにお茶を置いて、あきらさんの向かいに、私も座った。


「なんのお話ですか?」

「たぶん来年くらいに。手術費用とダウン期間の生活費含めた、予定金額が溜まります」


 思わず腰を浮かせ、おめでとう――と反射的に言いかけて、止める。

 いよいよ具体的な段階に入ったのだ。私が無神経に浮かれるわけにはいかない。


「そうなれば、あたしは一日でも早く手術を受けたい。体が一歳でも若いうちに。海外の病院に予約を入れて、人の手も借りるのでその手配もして、秋には帰国すると思います」


 一歳でも、若く。そうだ。大変な手術なのだから。


「あの」

「……はい」


「……少しでも早く手術を受けるために、私がお金を協力するっていうのは」

「……気持ちは嬉しいです、凄く。でもこれは、あたしのお金でやらせてください。え、いやそこですか?」


「え、ほかにどこですか?」

「止めたりとか、もう少し待てとか」


「言いません、そんなこと」

「……ありがとう。本当は、風花さんとつき合えるってなった時、すぐにでもこの仕事やめるべきだと思いました。でもごめん、もう少しだけやらせてください」


 あんなに需要がある仕事をしているのに、私のことを考えてくれていたのだと思うと、つい嬉しくなってしまう。いけない、浮かれないように、浮かれないように。


「そしてそれに関して、もう一つ、大事なことなんですが」

「はい?」


「あたしは手術をすれば、子供が作れなくなります。……今ならできますが」

「……そう、ですね」


「つき合いたてで、こんな話はどうかと思うんですが。あたしは手術せずに、男の体のままでいれば、当分の間は、それなりの確率で子供が作れるわけです。それに、……これも気が早いですけど、結婚もできる」

「はい。……それが来年、その確率がゼロになる……ってことですね」


 あきらさんは抑揚なく、内容の重大さの割に、淡々と話している。それが、きっと何度も頭の中で繰り返し伝え方を考えてきてくれたのだろうなと思えた。


「あたしとの赤ちゃんが欲しいかとか、そもそも出産がしてみたいかとか、結婚についてとか、そんなことを問い詰めるつもりじゃありません。無数の選択肢と、希望と、価値観と、計算と、考え方と……そんな中で、正解がある話じゃない。今答を出しても、明日には変わるかもしれない。でも、考えなくていいことではないと思ったから、言いました」


 私は、自分の出産について具体的に考えたことはない。

 子供を作りたいと思える相手がいなかったからというのもあって、向き合ってこなかった。まだ猶予がある、と思える年齢でもあったから。

 でもあきらさんには、子供を作るならもうあと半年くらいしか時間がないのだ。二十歳を少し過ぎたくらいの年齢で。

自分の心のままの性を今手に入れるためには、自分の子供を持つ可能性を絶たなくてはならない。

それに、あきらさんは女性だ。そもそも、男性側として子供を作るということが、彼女の本質に反することだ。

 改めて考えると、なんて深刻なんだろう。

あきらさんの言ったとおりだった。正解はない。自分からも相手からも周りからもとがめられてしまいそうな、間違いや傷の予兆ばかりに取り巻かれている。

 でも。


「今の私の答は、……結婚は、必ずしもしたいわけじゃありません。自分の子供も、凄く生みたいわけじゃないです。どっちの気持ちもゼロじゃないけど、絶対ではない。でも、あきらさんには、心の性別に体が合った状態に、一日でも早くなって欲しい。そして、……それからも、私と一緒にいて欲しい、です。それは、絶対……たぶん、ずっと」

「……風花さん……」


「全部、あきらさんの言う通り。明日には答は変わってるかもです。でも、その変化も、あきらさんに伝えたい。傍にいて、考えて、悩んで、伝え合いたい……です」


 私はローテーブルに両手をついて身を乗り出し、何事かと瞬きしているあきらさんにキスをした。

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