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「これじゃカフェに入っても足びしょ濡れですし、拭くものもないですから大変ですねえ」
「……そうですね? あ、でもハンカチくらいなら」
「それもいいですけど、どうせならタオルのある、靴を脱いでストッキングを干せる場所のほうがよくないですか?」
「あ、ネカフェとか?」
「もう少し広くてほかに人がいなくて、お金もかからないし気兼ねもしなくていい場所がありますよ」
「……そんなところ……?」
「あるでしょ、一つ」
「……あっ?」
あきらさんがうんうんとうなずく。
「分かってもらえましたか」
「……河川敷の、大きい橋の下……とか?」
がく、とあきらさんが大きくコケた。
「ああ、もおっ! うちですよ、うち、あたしんち! ほら、ここから割合近いでしょ!?」
「えっ、あっ、確かに!? い、いいんですか!?」
あきらさんは、しばらく私を見つめてから、ぽつりと言う。
「……風花さんさえよければ」
■
あきらさんの部屋は二階だった。
ワンルームで、モノトーン基調の中にちらほらとイエローが入った配色で、無機質でもなければカジュアル過ぎもしない空間。
ノートパソコンの乗ったライティングデスク、ベッド、テレビ、ドレッサー、木製のキャビネットに、外からは分からないけどやや多きめっぽい収納。
ぱっと目につく家具はそんな感じで、インテリアの類はほとんどない。
「……お邪魔します。わ、凄い整頓されてる。前、片づいてないみたいなこと言ってたのに」
「あの後片したんですよ。散らかると片づけられないのが分かってるんで、あんまり物置かないようにしてるんです。座るところベッドしかないんですけど、楽にしててください。乾かすものもらいますね」
おずおずと脱いだストッキングを差し出すと、あきらさんはてらいもなくそれをバスルームに持っていった。
この日の私はオレンジのチュニックに白いフレアスカートだったけど、素足になると、自分がひどく無防備になったように感じられる。
……いや、これはただ素肌に空気が触れるからそう思うだけだから。変なことを考えてはいけない。厚意で部屋に入れてもらってるんだから。どきどきしたりしたら失礼だ。
そう思えば思うほど、肩に変な力が入っていく。人の家に上がるなんて、そういえばいつ以来だろう。
「風花さん、なに飲みます? 今日あったかかったけど雨でじっとりしたし、冷たいものがいいですか? あたしはジントニックにしますけど。……あ、飲んでもいい?」
「もちろんですっ。……なら私も飲んじゃってもいいですか?」
「もちろん。同じものでいいです? ライム絞りますから、風花さんも飲んでくれると一個使い切れてありがたいです」
お酒が入れば、もう少し緊張がやわらぐかも。
あきらさんが細いマドラーで、ジンとトニックウォーターをグラスの中で混ぜ、切ったライムを絞った。
「ありがとうございます、いただきます。あ、凄いさわやかでおいしい」
「前、歌舞伎町のバーでバーテンダーもどきやってましたんで、実はちょっと特技なんです」
「わあ。あきらさん、似合いそう」
「バーコート着てる写真あるけど、見てくれます?」
ぜひ、ということであきらさんがパソコンの横からタブレットを出してきて、いくつかの写真を見せてもらった。
白いバーコート――バーテンダーさんの服をそう呼ぶのだと知ったのは、今が初めてだったけど―ーを着たあきらさんが、色とりどりのお酒のグラスを手に流し目をしている。
「あきらさん、凄く似合ってます。かっこいい、きれい!」
「ありがと。……風花さんも、すっごくかわいい。今日も」
すぐ耳元で聞こえた声に、私はタブレットから顔を上げて、あきらさんを見た。
いつの間にか、二人の顔がひどく接近している。
あきらさんの目が、潤んでいるように見えた。
アルコールのせいで早まりがちだった鼓動が、一度どきんと大きく跳ねて、それからどんどん加速していく。
「風花さんのことは、最初あった時から、かわいいと思ってました。その時は、それだけだったけど……。でも、面白いところとか、優しい人だなとか、今はもっといろいろ」
「そ? ……れは、どうも、ありがとうございます……」
「なにげに、プレイルームでの長めのコースを利用してくれた人って、その後デートコース単体で頼んでくれる人そんなにいないんですよ。物足りないんでしょうね。だから、風花さんがあたしに会いたいって来てくれたの、珍しくて、嬉しかった」
「そうなんですか……。で、でも私にしてみたら、ほらコースの値段がどうしても落ちるじゃないですか。それが申し訳ないなって気持ちも」
「そんなこと気にしないで。……風花さん、あたし、自分は女だと思っていて」
「はい」
私も、ずっとそう思っています。
「子供のころから好きになる相手は男の子だし、女の子に告白されても断ってきました」
「……はい」
「風花さん、今日、あたしに、手でしてくれようとしましたよね」
突然話が飛んだのと、見抜かれていたんだという恥ずかしさで、ヒュッと喉が鳴る。
また顔が熱い。あきらさんといる時の私は、赤面症だ。
「あたしの、見たいですか? いつか言いましたよね、風花さんがして欲しいことは全部させて欲しいって。もし見たいなら、……」
「あ、……う、それ、は」
今度は形のないなにかをごくりと飲み込んで喉を鳴らしてから、おずおずと答える。
「まったく見たくない、と言ったら噓になります……けど」
だって私以外のお客さんはたぶん多くの人が見ていて、私だけが見ていないのは、なんだか後れを取っているというか。
自分だけが損しているような気持ちが、なくはないから。
それに純粋に、そういう気分になったら、見せて欲しいという気持ちにもなる。さらに白状すれば、正直言って、どんなふうでどうなるのか興味もある、のだ、けど。
「けど?」
「どうしても見たいかと言われれば、……それも嘘です」
あきらさんは、私の前で最後まで服を脱いだことは一度もない。
「……単純に風花さんが興味があるんなら、気軽に、そう言ってくれていいんですよ。あたしは、なんとも思わないです。こういう仕事してるわけですし」
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