<第三章 君である君のまま> 1
「はあい、それでは、うつぶせになって楽にしてくださいねえええ」
「は、はい。……あの、あきらさん」
「なんでしょおかああ」
「なにか、怒ってます……?」
日々秋の気配が濃くなる十月下旬、日曜日の昼下がり。
私はあきらさんのお店の一室で、アロマオイルとハーブの香りに包まれながら、ベッドに寝そべった。
「やですねえ、あたしが怒るようなことはなにもないじゃないですかあ」
「そ、そうですよねっ」
私としては、あきらさんに会えるし、売上にも微力ながら貢献できるしで、お店に予約を入れたのは最善手だと思っていたのだけど。なにをやらかしたのか、妙な空気である。
「ええ。プライベートで会いましょうねってあたし的にはかなりお誘いを強めに申し上げたにもかかわらず、平然とお店を利用していただいて、本当に感謝感激ですよお」
下着姿のあきらさんが、温めたオイルをとろとろと手で伸ばす。
この日は紫と金で彩られた下着で、なんと呼ぶのか正式名称が私には分からない、ブラの下にもスカート上に薄い布地が伸びたデザインのものだった。露出度が高いわけではないのに妖艶で、あきらさんの動きの優美さによく合っていて、とても色っぽい。
が、当のあきらさんは、今までよりも若干、腕や手の甲に力を入れた筋が目立つような気がする。
「そ、それはよかった……です?」
「……もーいいです。風花さん、今日は覚悟してくださいね」
覚悟とは。
あきらさんの手が、私の肌の上を滑り始めた。
最初は、ただ心地いいだけだ。
それが、私の期待が高まってくるのを見て取ったように、いつの間にか違った意味の気持ちよさに変わってしまう。
鎖骨やアキレス腱みたいに、自分でも意識していなかった場所への意外な刺激に気を取られていると、本当に触れて欲しいのにそう言えない場所がいつの間にか後戻りできないほど熱くなっていて、手足が外側に開いていき、ほかになにも考えられなくなる。
具体的にどうされているのか、指なのか口なのかさえ分からない時があって、下を見て確かめるくらいはしてみたいと思うのに、弓なりに大きくのけぞってしまうのでそれさえかなわない。
この日も、本当はマッサージだけで終わってもいいと思っていたのに、体がどんどん欲張りになっていって、肌も体温も頭の中もおかしくさせられていた。
乱暴にされるわけじゃない。でも、前の時よりもどこか熱っぽい。
私があきらさんの名前を呼び続けることしかできなくなると、それだけでなにをしてもらいたいのかを全部知られてしまったみたいに、怖いくらいに一方的に翻弄される。
そうしたいわけじゃないのに、誰にも見せたことのない格好をして、誰にも聞かれたことのない声を上げてしまう。
今までと違うのは、まぶたに火花が散りながらも、私のほうからあきらさんに手を伸ばしそうになって、何度もこらえたことだった。
ネットでいくつもの情報を見て、あきらさんのような心と体の持ち主がどうして欲しいのか、調べはした。
でもそのたびに、あきらさんの言葉が蘇る。
――あたしたちって、つまるところ千差万別なんです。結局、自分一人分の人生しか生きてませんから。
ネットでどれだけ知識を得ても、知った気になって調子に乗らない。どんなに、私の手であきらさんに気持ちよくなってもらいたくても、それを押しつけはしない。
そう心に言い聞かせているうちに、あきらさんの指の動きに私のほうがまたなにも分からなくなっていく。
毎回のことながら、男性の体の持ち主なのになんで私のして欲しいことがこんなに分かるんだろうというくらい、ベッドの上で何度も限界まで体を反らせられ、もう無理ですともう少しだけと叫ぶのを繰り返していたら、あっという間に時間になった。
「あ、……りがとう、ございました……」
息も絶え絶えの私に、あきらさんは涼しい顔で「こちらこそ」と答える。
これは結構悔しい。
「痛いところありません? 背筋とか、足とか」
「大丈夫、です……」
確かに、つりそうなくらいにあちこちを反り返らせてはいたけれど。普段は意識しない体の隅々までの解像度が、あきらさんに触れられると格段に上がる感覚があって、世界の感じ方までが少しだけ変わる思いがした。
赤面を自覚しながら、シャワーに入る。
シャワーの時も、あきらさんは下着を脱がない。
女風というのがみんなそうなのか、あきらさんだけなのかは分からないけど、「ぱんつが濡れて気持ち悪くないですか?」なんて訊くのは、脱がせてその下を見ようとしているのではないかと受け取らそうではばかられた。
「風花さん、今日ってこの後予定ありますか?」
「えっ。あ、予定? ……は、ないですけど……」
プレイルームの中ではお客として節度を守った行動をしようと心がけていたせいで、プライベートみたいな尋ね方をされて少し不思議な気分になる。
「あたしも今日はもうオフなんです。よかったらなんですけど、お茶でも飲みません?」
「私とですか……?」
「ほかに誰がいるんですか。別に人も呼びませんし」
あきらさんが苦笑する。
あきらさん、かなり人気があるのに、日曜の午後からオフになるなんて、かなり貴重なのでは。
私には、ほかに選択肢なんてあるはずもなかった。
「し、しますっ。今日は全然予定なんてなくて大丈夫です」
「よかった」
今さっき、いやらしい刺激を悦ぶ様子も、素直過ぎる反応をした体も全部見られて、あられもない声も散々聴かれたばかりなのに、今だって裸で体を洗ってもらっているのに、まるで友達みたいに会話している。
私とあきらさんってどんな関係なんだろう、と我ながら思う。
支度を済ませて、二人でプレイルームのマンションを出た。
密室から外に出て、夕方前の明るい空にくらくらしそうになるのは、いつも変わらない。
でもこの日は、明るくはあるものの、雲がだいぶ空に伸びていた。
「わー、これは雨降るかな。最近、夏過ぎてもゲリラ豪雨きますよね。あたし事務所に一度顔出してきますんで、どこかお店入って待っててください」
とあきらさんが言うが早いか、空から重たい雫がぼたりとアスファルトに落ちた。
「あっ。これ、は――」
そう私が言う間に、みるみるうちに雨粒が道路の色を濃く変えていく。
「――け、結構な降り方っぽいですね!?」
周りを見回す。
ここは東京のオフィス街の裏道で、辺りには喫茶店らしきものは見当たらない。
あきらさんが手早く出した折り畳み傘に二人で入り、体を寄せ合った。
周囲には人影がなくて、まるで二人で雨の壁に閉ざされたような錯覚が少し甘やかに感じられたけど、そんな場合でもない。
「んー。とりあえずそこのひさしの下に入りましょうか。これじゃ、どうしたって濡れちゃうな……」
思案顔のあきらさんが、スマートフォンを取り出した。
電話をかけて、何言かのやりとりをした後、「じゃあ今日は直帰して、明日お金持っていきます」と言って通話を終わらせたので、お店の人なんだろうなと見当をつける。
「というわけで、今日は自由の身になりました」
「あ、いいんですか、明日で?」
「本当はよくないんですけど、まあそこは日頃の信用ということで」
あきらさんが肩をすくめて、続ける。
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