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「そういうことじゃないんですって。またちゃんとお会いしましょう、ね。今、約束があって移動中なんです」

「ホテルに移動中ってこと? じゃあこれからやるんだ、その子と」


 その時ようやく気づいた。女の人の息からアルコールのにおいがする。かなり酔っている。


「タマさん、すみません。また予約もらえれば、ゆっくりお話しできますから」

「なにその耳! あたしのやった指輪は、アクセサリーしない主義だからってつけないくせに!」


 はっとしてあきらさんの顔を見る。

 冷静さを装っているけど、口の中では歯噛みしているのが分かった。

 このお客さんが激高しているのは、私のプレゼントのせい?


「タマさん、ね。酔ってるみたいですし、またにしましょう」

「あんたあたしにいくらもらってると思ってんの! お前もその手ェ離せよ!」


 私は慌てて手を離した。この場に圧倒されて、いまだにつないでいただけなんだけど。


「あきらちゃんはそりゃ見てくれいいからさ、女はみんなべたべた寄ってくるよね。そんで誰にでもいい顔して、その顔でニコッとやってりゃいいんだもんね!」


あきらさんが、ごめんなさいと私に目くばせをしてくる。

私は小さくかぶりを振った。


「なに目と目で会話してんの! あんたさ、もうあきらちゃんとやってんの? そりゃやるよね体は男だもん、できるもんね! 言っとくけどこの人あたしとやってるからね、店には言ってないけどいっつも本番」

「タマさん!」


 凛とした声が響く。

 ここまで、どこか申し訳なさそうにしていたあきらさんが、正面から相手を見据えていた。


「そういうふうにでまかせまで言われると、あたしのほうも考えないといけなくなります。お店も使えなくなるかもしれませんし」

「ああそう! 出禁か! いいよ、あたし抜きであんたがトップクラスにいられるかどうかやってみたらいいじゃん! いいんだ、あたしがほかの子に行っても!」


「……タマさんがどうとかじゃなく、あたしは、その手の話には乗りません。人質を取って脅してるの同じじゃないですか。そうしたければ、好きにしてくださいというだけです。なにが賭けられても、脅しで言いなりにはならない」


 行こう、とあきらさんが私を促した。

 私も。もと歩いていたほうを向き、歩き始めて、それでも一度足を止めた。

 タマさんと呼ばれた人を振り返って見る。

 無言で立ち尽くしている。目元が見えないまま。


「……あのっ!」


 あきらさんとタマさんが、ぎょっとして私を見た。


「あきらさんて魅力的ですよね! 分かります! 私だって、今逆の立場だったら凄く動揺すると思います! ……でも、いいんですか!?」

「風花さん!?」


 タマさんの口がぽかんと開いていた。


「今の言葉が、あなたが本当にあきらさんに言いたかったことなんですか!? 違うんじゃないですか!? 今訂正しないと、酔っぱらって心にもないことを言って、これっきりになっちゃうかもしれませんよ! 私なら――」

「ふ、風花さん! こういうのは、お客様同士がけんかになっちゃうのが一番まずいから……」


「――私なら、そんなの耐えられない……」


 しばらく、三人とも黙ったままだった。

 やがて、タマさんがぽつりと言う。


「……頭冷やすわ」

「……ええ。あたしも、今日はいつものタマさんじゃないって分かってますよ」


「ごめんね」


 あきらさんは、タマさんのその言葉には答えなかった。どうして無視しているんだろうと思ったら、あきらさんは、私の背中をぽんと押した。


「えっ!? わ、私!? 今謝られたの、私ですか?」

「そうですよね、タマさん」


 タマさん、無言。そのせいで私は余計に慌ててしまう。


「い、いえ私は全然! あの、この後ホテルも行きませんから! 今日はさっきまでお茶してて、もう帰るだけです!」

「風花さん、そこまで言わなくてもいいんですよ」


「でも、誤解されたままはよくないです!」


 相変わらずタマさんの目はサングラスで見えない。

 でも口角は、少しだけ上がったように見えた。けれどなにもしゃべろうとはしない。


 それからあきらさんがタマさんに手を振って、別れた。


「いやあ、風花さんは言う時は言いますねえ」

「だ、だって……あのままじゃ、よくないですよ、誰も」


あきらさんがスマートフォンを取り出して、道端に寄って「ちょっとメッセージをお店に送ります」と言うので、その隣に私も立った。

 ぼうっと考え事をする。

 ほんの十数秒で、あきらさんが私に「終わりました」と言ってきた。


「では行きましょう。……すみませんでした、風花さん」

「えっいえっ全然。私のほうこそ、出しゃばっちゃって……あきらさんの言うとおり、お客同士でもめるのよくないですよね」


 それからしばらく、無言で歩く。

 ふと、あきらさんが、独り言のように言ってきた。


「……でたらめですからね」

「はい?」


「本番――最後まではしてないです、あたしは。誰とも」


 言葉の意味をくみ取るのに何秒かかかってしまった。


「あっそっそうなんですね!? そう聞いてますし、あっそうか、さっき……」

「はい。少しでも、信じられちゃったら困るから。……それを考えてたんでは、ない?」


「ち、違います。……というか、思い出したらちょっとあの人に腹が立ってきてしまいました。あきらさんの、体の性別のこととか……」

「ああ、あれはちょっと傷つきましたね。あたしのしてきたこと、伝わってなかったんだなあって」


「それに、あきらさんが見た目のきれいさ任せみたいなことも。あきらさんは、人柄がいちばんの魅力なんですから」


 ね、と顔を上げると、あきらさんが口元を手で覆った。


「あ、いや、ありがとう風花さん。ほかのお客様の話はやめましょう。失礼しました」


 確かに、いろんな意味でよくない気はする。


「そ、そうですね。で、私が考え事してたのは、あの……」

「あの?」


「アクセサリー、つけない主義なのに、イヤリングはつけてくれたんだって、……それをぐるぐると考えていて」

「ああ」


 あきらさんが、破顔する。


「主義って程のものじゃないですよ。これ嬉しかったし、気に入ったので、つけました」

「わ、私も嬉しかったです!」


 思ったよりも大きな声が出てしまって、すぐ斜め上にあったあきらさんの顔が驚いている。


「……風花さん、あたし、今夜はちょっと用事があって時間取れないんですけど」

「はい?」


 用事というのはお客さんから予約が入っているのかな、とは一瞬思うけど、言わない。


「もう少しだけ、歩きません? 疲れてなければ」

「平気です、私はぜんぜ」


 そこで、また手をつながれた。


「……ぜんぜん」

「よかった」

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