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「私は、……相談したい悩みとかがあったら、ほかの誰より、あきらさんに聞いてもらいたいなって思います。それは人生経験が豊富そうとかじゃなくて、……あきらさんの人柄のためです」

「本当ですか? あんまり役に立てるとは思えないけど、聞くくらいならいつでも」


 あきらさんが、カップを片手に苦笑する。


「でも、あたしたちって、なにげに恋愛相談の類は結構されるんですよね」

「あ。聞いたことあるかもです。男と女両方の気持ちが分かるはずだから、みたいな」


「んー。あたしに限って言えば、そんなのどっちも分からないですけどね。自分のことだって分からないのに」


 しまった、また考えなしなことを言ってしまった、と肩が縮まる。

 あきらさんは気にしている様子はないけど、聞きかじりで知ったふうなことをいうのは、本当にやめよう。


「ただ、女の格好するようになってから、見知らぬ女を凄く無遠慮にいやらしい目で見てくる男って結構いるな、ってことは分かるようになりました。その辺からの助言くらいはできるかな。あと、女の子の役に立てるのは、声での男除けですね」

「男除け?」


「ああ、ですからね、電話とかで、こう。……おれのゥ女にィ手え出すなァ」


 後半が、一瞬、誰の声だか分らなかった。

 聞いたことのない、低い男性の声が、目の前の形のいい唇から発されたのだということに、なかなか理解が追いつかない。

 そういえば、あきらさんは少し高い甘めな声で、出会ってからずっとそうだったから、それがあきらさんの地声だと自然に思い込んでいたけれど。

 彼女の声帯は、男性のそれなのだ。


「え……その、いつも、……声色、変えてたんですか……?」


 あきらさんが、普段の声に戻って答える。


「そ。今のがあたしの地声です。この女声は、出し方があるんですよ。結構いろいろやってるんです、これでもね」

「私――」


 私は、両手を口に当ててつぶやいた。


「へ?」

「――私……あきらさんと比べたら、なんだか、自分がいろんなことをさぼってるように思えてきました……こう、女的に……女に生まれたことに甘んじているというか……」


 あきらさんがテーブルに身を乗り出してくる。


「それは違いますよ。人それぞれに、悩みや頑張りがあるってことです。風花さんの髪形やメイク、風花さんにとっても似合ってる。言ったでしょ、かわいいって。あたしのほうが、そんなふうに言ってもらえて、女になりがいがありますよ。ありがと、風花さん」


 私といる時のあきらさんは、いつも笑顔で。

 それは、私がお客だから、接客としてそうしてるんだって、飽きるくらい言い聞かせ続けていて。


 今でも充分、私は報われていると思う。

 でも、どんどん贅沢な気持ちが膨れ上がっていくのも、自分で分かっていた。


 ――相談したい悩みがあったら、ほかの誰よりあきらさんに聞いて欲しい。


 それは嘘じゃない。

 でも、あきらさんにだけは言えない悩みが、見つめられている緑色の瞳のせいで、行き所をなくして胸の中で熱く灯っていた。


 時間が迫っていたので、私からそろそろ出ましょうと言って席を立つ――名残惜しいけれど。

 立ち上がるあきらさんの耳で、銀色の光がちらりと反射した。

 ……私のあげたものが、あきらさんの体につながったまま、この後あきらさんの家まで連れて行ってもらえるのかな。

 そう考えると、じわりと幸せが込み上げてくる。……私、本当にストーカー気質があるのかもしれない。


 支払いを済ませて、お店の外に出ると、ちょうど時間になった。


「あきらさん、今日もありがとうございましたっ。とっても楽しかったです!」

「あたしこそ。駅まで送りますよ」


「え、いいんですか? だって時間もう」

「それくらい大丈夫です。さ」


 あきらさんが手を差し出してくれた。


「い、いいんですかっ? 時間外に?」

「いいですって。デートですから。プレゼントももらっちゃったし」


 あきらさんが首を左右に動かして、耳のイヤリングをしゃらしゃらと振った。そんなに高いものでもないのに。

 でもお言葉に甘えて、私は手を一度ハンカチで拭いてから、その手を握る。


「そんなことしなくてもいいんですよ」

「わ、私がよくないので」


 二人で歩き出した。

 駅までの距離が三倍くらいになればいいのに。

 この時にはもう、自覚せざるを得なかった。

 私は、今まで男の人が好きで、これからもそうだと思っていたのに。あきらさんの体の性別がどうあれ、完全に女性と認識している彼女のことを、私は。


「あっ。あきらちゃん?」

唐突に響いた声に、「えっ」と、思わず私が声を出す。

 あきらさんは、無言で呼ばれたほうへ振り返った。


「やっぱりあきらちゃんだ、奇遇だねェ。あれ、その子……ああそうか、仕事中か!」


 そう言ってきたのは、セミロングの髪を額でぱっつんと切りそろえた、三十代後半くらいの女の人だった。

 体の線が出にくいピンクのスーツ姿で、派手なサングラスをかけている……せいで、表情がよく見えない。


「あはは、どうも。失礼します」とあきらさんは笑顔で頭を下げて行こうとする。

 でも、相手は逃がしてくれなかった。


「えー冷たいじゃん。なに、買ってない時はそんな感じ? お金にならない時は相手にしませんて?」

「そういうことではないですよ。やめましょう、こんなところで」


「えー? 別に、道じゃん。いいじゃん。あれだけつぎ込んであげてんだからさあ」


 話は、少しだけ見えてきた。

 そうやらこの人は、あきらさんのお客さんだ。それも、たぶんかなりのお得意様。

 そして――


「えーこの子若いねー。あれそうでもないか? でもやっぱ若い子のほうが好きなんだ、あきらちゃんも」


 ――そして、私たちに腹を立てている。

 つないだままの手に、私の汗がにじんだ。

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