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 十月に入った。

 さすがに、少しずつ街の気候が秋めいていく。


「あたし池袋来るの久しぶりだから、めっちゃきょろきょろしちゃうな」

「すみません、こんなことにつき合わせちゃって……」


 この日は土曜日で、あきらさんにデートコースで予約を入れた私は、買い物につき合って欲しいとお願いして、池袋に来ていた。

 あきらさんは、オータムカラーを入れたトップスに、黒いタイトスカートが引き締まっていて、今日もとてもきれいだ。


「なんでですか。あたし女の子と一緒に服買うことなんてあんまりないから、楽しいですよ。しかも風花さんと」


 そう言われてどきりとする。

 いけないいけない、あきらさんは仕事仕事。

 こうやって楽しませてくれるのも、お仕事のうちなんだから。


 すでにスカートを一枚買っていた私は、冬物も軽く見ておきたくて、さっきからいくつかのお店を回っている。

 あきらさんの提案で、休憩にカフェに寄ろうということになり、私たちは一息ついた。

 私は香りの強いものが飲みたかったのでアールグレイのアイスティにして、あきらさんはストレートコーヒーを注文する。ここは必ず私が支払います、と先に断っておいた。


「あの、あきらさん……これ」


 私が差し出した小ぶりな紙袋に、あきらさんがきょとんとした。


「え、あたしに? もしかしてプレゼント的な?」

「的なやつ、です」


「えっ嬉しい。あたし、こういうの速攻開けちゃう人なんですけど、開けていいですか? 開けますね? 開けちゃおっと」


 あきらさんの長い指が器用に動いて、紙袋のテープを外す。 

 動きは速いのにしぐさは丁寧で、紙袋や中の紙箱やテープを破っていない。そんなところの一つ一つが、やけに目に焼きつく。

 変に思われたくなくて、無理矢理視線をあきらさんの手から引き剝がした。


「おおう……ピアス、じゃなくてイヤリング」

「あの、あきらさんてあまりアクセサリーつけてないなって思って、でも似合うだろうなって、これを見かけた時に思って、それで衝動買いというか」


 思いつきで買いました、というふりをしたけど、嘘だった。

あきらさんはピアスは空けていないし、ブレスレットやアンクレットもしていない。デコルテを広く開けていることもあるのに、ネックレスをしているところも見たことがない。

そんな時ふと羽田さんのことが思い浮かんで、小さめのイヤリングなら邪魔にならないかも……と悶々と考え込んだ挙句、銀色で縦長の棒状の、シンプルなデザインのものを買ってみた。

 そしてまさに今、もしかしたらアレルギーの類があるんじゃないかという、最初に考えついてもよさそうな可能性にようやく思い至って、急激に慌て出してしまう。


「あの、もしアレルギーとかあったら」

「全然ないです。単にアクセサリーをつける習慣がないだけで。でもこれ、大きさとか、自然につけられそうでちょうどいいかも。つけてみていいですか?」


 こくこくと首を縦に振る。

 あきらさんはスマートフォンのインカメラを鏡代わりにして、イヤリングを両耳につけてくれた。


「どうですか? あたし的にはかなりよきなんですけど」

「本当ですか? よかった……」


 あきらさんはさらさらとイヤリングを指先で撫でて、大事にしますねと微笑んだ。

そして、あたしもなにかお返ししないとなー、なんてつぶやいているので、気を遣わないで下さいと急いで告げる。


「あきらさんて、いつもどこで服買うんですか?」

「ネットで買うことが多いです。そうして、気づけばどんどんインドアになっていくんですよねえ……。だから、こうして外で女の子と買い物とかできるのなにげに貴重で……」


 あきらさんが腕組みしてうめいた。そんな仕草も、スタイルのいい彼女だとなにかと絵になる。


「そうでなくても結局出不精だから、お店で買うにしても住んでるところの近くで買うかな。今は東京住みですけど地元は千葉の柏ってところで、当時からそんな感じで」

「あ、知ってます。行ったことありますよ。高島屋ありますよね」


「家賃考えると、都内に住むよりちょっとだけ割がよかったんですけどね。東京に越してから、やっぱりなかなかのお値段してますからね。……こんな仕事してると、金持ちだと思われることも多いんですけど、あたしは割合切り詰めてるほうなんです」

「あ、貯金してるんです?」


 なにか大きな買い物……と想像してみても、私の頭には車と家くらいしか浮かばない。


「そうですね……風花さんには、そうだな、言っちゃおうかな」

「はい?」


 あきらさんが私の耳に唇を寄せた。

 このしぐさ、マッサージを受けた時のことを思い出して、つい胸が高鳴ってしまう。


「あたし、手術、受けたいんです」


 一瞬、なにかの病気なのかと思って青ざめた私だったけど、すぐに気づく。

 そうか、手術って。


「そ、体も女にするための手術。戸籍上の性別も名前も変えます。……小さいころは、一日手術受ければ、その日から女の体になって好きに歩き回れると思ってたんですよ。でも実際はそんなものじゃ全然なくて、まず手術費がそれなりにかかりますし、その後のダウン期間も何ヶ月もありますから、その間自分で自分の面倒が見られるくらいの貯金がないとでして」


 私は、朗らかに告げられたその言葉に、絶句してしまった。私の人生には、まず起こらないことだったから、考えたこともなければなんて答えていいのかも分からない。

 あきらさんは、とても大事なことを私に打ち明けてくれたのだから、なにか言わないと。あきらさんが、私に言ってよかったと思えるような、正解の言葉を返さないと。

 でも気ばかり焦って、なにも浮かんでこない。

 金魚みたいに口をぱくぱくさせて、わあそうなんですか、とか、それは凄いですね、とか、決して口にしたくない無責任な相槌ばかりが口をつきそうになる。


「わあごめんなさい、困らせちゃったかな。ただの予定ですよ、聞き流してください」

「き、聞き流しません。そんな大事なことをっ」


 私は両手をこぶしにして言う。


「ふふ、確かにあたしにとっては、かなりの大ごとですね。今の仕事はできなくなるだろうし、その後どうやって生活していくか、……今のうちに人脈作らないとなあ。転職って、スキルや知識より、人脈と行動力って気がするんですよね」


 それは、働き出してから、なんとなく私もそう思う。――じゃなくて。


「手術したら、このお仕事ってできないんですか? 回復しても?」

「あたしの場合、お客さんのほとんどが、あたしのあいまいな性別に興味を持って、それを目当てに来てくれてるんです。完全な男性でも、女性でもない、今のあたしを」


 それは、あきらさんそのものを目当てにして会いに来ている私には、思いもよらなかった価値観だった。


「手術が終われば、ただのごつめの女としか見られません。男性的なセラピストがよければもとから男のそれを選ぶだろうし、女性の施術を望まれれば、生まれついての女性にはかないませんよ」

「そ、そんなことありません! 私は、体の性別がどうあれ、あきらさんにして欲しいです! あきらさんじゃなきゃだめだっていうお客さん、絶対いっぱいいますよ!」


 思わず大きめの声が出てしまった。

 どうして私は、あきらさんが、自分の価値を低めるような言い方をすることに耐えられないんだろう。

私が口にした程度のことは、ほかならないあきらさん自身が何度も考えてきたことなのだろうに。


「す、すみませんっ!」

「謝らないで。喜んでますから」


 あきらさんはにっこりと笑う。

 この笑顔は、……仕事用の、感情的になったお客をなだめるためのものなのかな。


「あたしたちって、女装とかニューハーフってひとくくりにしても、つまるところ千差万別なんです。人生経験豊富そうに思われることもあるんですけど、結局、自分一人分の人生しか生きてませんから。あたしが歩いてる道なんて狭いもんで、その中で今はやりがいのある仕事に就けて、満足してます。でも、このままじゃいられないんです。あたしが思うよりも早く変化は来る。絶対に」


 ……あきらさんはそう言うけど、私には、あきらさんは私よりずっと多くのものを見聞きしている人のように思えた。

 それは、性的に少数派の人たちならではの視界を、私が持たないからなんだろうか。

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