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聞き覚えのある声。
ぶん、と音がしそうな勢いで私は振り向く。
そこには、あきらさんが立っていた。ブルーのワンピースと薄手のジャケットに、ゆったりとした白いジレを合わせていて、スタイルの良さが引き立たされ、よく似合っている。
「風花さん……? ですよね? え、あれ?」
「はいっ。あきらさん、昨日はどうも、ありがとうございましたっ」
「いえいえそれはもう、じゃなくて。あたし電話番号書きましたよね? なのになんで」
「書いてもらいましたっ。でも、いきなり電話というのも気が引けて……」
そこで、あきらさんの顔が険しくなる。
「そうか、そういうことありますよね。気が回りませんでした。てことは、昨日のあの男、なにか……」
私は慌てて両手を胸の前に出し、左右に振る。
「ち、違うんです。あ、少し困ることはあったんですけど、周りの人たちが助けてくれて。なにもなかったから、お電話はしにくくて」
「おお、よかったです。……あ、でもそれなら、どうしてわざわざお店に?」
「それは……」
改めて言葉にしようとすると、自分がしたことがひどく幼稚に思えた。
でも、言わないと。
私は料金を包んだ封筒を差し出して、「ここじゃなくてもいいんですけど」と不思議そうな顔をしたあきらさんに受け取ってもらったのを見ると、両手をこぶしにして告げた。
「その周りのみんなが、あきらさんのこと、立派だって誉めてました。うちの課長も、あきらさんよりずっと年上なんですけど、見習いたいって。同僚の人たちも感心というか感服というか、そんな人なかなかいないって。今日はそれだけ伝えたかったんです」
勢いに任せて、どんどん口から言葉を押し出していく。
「私、なにかお礼がしたくて……。お店を利用すれば、あきらさんの売上になって、評価も高くなって、役に立てるかなって。でも、考えてみたら、お礼なのに、短くて値段も安いコースじゃだめですよね……。お手数おかけしてすみません、私すぐ帰りますから」
あきらさんが、口を真一文字に閉じて黙った。
呆れられたのかもしれない。短絡的に私の会社の営業の歩合みたいに考えてしまったけど、こういうお店の売上の仕組みってどうなっているのか、私は全然知らないのだ。まったく的外れなことをしたのかもしれない。
「……すみません、かえってご迷惑だったですか?」
「ふ」
ふ?
うつむき気味だった私は、つと顔を上げる。
「ふ、あははは! お礼、お礼でうちに? もう、そんなに気を遣わなくていいのに! 面白いなあ、風花さん! いや迷惑なんかじゃないですよ、その通り、売上になりますし、評価も上がります! ちょうど今日キャンセルが出ちゃって、暇になるところだったんですよ。なのに、まさか風花さんとまた会えるなんて!」
長身の美人が笑い転げているので、周りの人たちがなんだなんだとこっちを見てくる。
「わ、笑い過ぎですよあきらさん」
「ああ、嬉しいな、少し気になってたんで。行きずりだったのに余計なことしたかなと」
「全然っ。あきらさんのことを考えて、今日は頑張れたこともありましたし」
「ええ、なんですかそれー。ゆっくり聞かせてくださいよ。お酒飲まれますか? お茶のほうがいいかな?」
「あ、私あまり強くないので、お茶のほうが。いいんですか、お時間いただいても」
「もっちろんじゃないですか。お店あたしが選んでいいです? 西口のほうにいいところあるんで。ところで……気になってたんですけど、イノウタダコってどこから……?」
「あ、それは伊能忠敬から……」
「あの、地図の?」
「なにげにあの人、語呂がよくないですか? それでぽんって頭に浮かんじゃって」
また笑いだしてしまったあきらさんに着いていくと、有名な保険会社のビルの下に、いくつもきれいなお店が入っている一角があった。その中のカフェらしいドアを、あきらさんが慣れた様子で開ける。
「あたしオーダーしてきますから、座っていてください。ここエスプレッソが有名なんですけど、なんでもおいしいですよ」
それではと、さっき紅茶を飲んだばかりなので、カプチーノをお願いした。
「風花さんなにか食べます? 軽食でも、ケーキでも」
「いえッ……最近、夜にあまり食べないようにしてるので……」
「あはは、いいですね。それじゃあたしも、ヘルシーにコーヒーだけにしましょう」
お金を出そうとすると、あきらさんがにこやかに人差し指を立てて、横に振る。
「ここはあたしがおごります」
「え、でもそれじゃ」
「確かに、基本はお客様に出していただくんですけど、今日は特別ってことで。うちQRでアンケートあるんですけど、おごられたって書かずに内緒にしといてくださいね」
自然にウインクしてくるあきらさん――私はウインクがとても苦手で、すぐにひきつってしまう――に押し切られる形で、結局おごられてしまった。
あきらさんは自分の分のエスプレッソを二つ頼んで、「ダブルじゃなくてシングルを二杯飲むのが好きなんです」とにこにこして席に着いた。
熱いカプチーノとエスプレッソを挟んでおしゃべりし出すと、私の話なんてあっという間に終わってしまって――なにしろさっき、九割がた伝えてしまった――、すぐに他愛もない世間話に移った。
「風花さん、事務なんだ。忙しいでしょう」
「ううッ」
「どうしたの?」
「事務って、ただ机に座ってキーボード叩いてるだけだろって思われることが多いので、お言葉が痛み入ります」
「そっか、そういうのあるよね。あたしも、こんな仕事女の子といちゃついてるだけで楽なもんだろって言われることあるんですよ。そんなこと言ってる人には、絶対無理な仕事なんですけどね」
「そ、それはそうですよ! 私だったらまずできません、接客業の時点でハードルが高くて、その上そんな繊細そうなお仕事……」
あきらさんが苦笑する。
「ああごめんなさい、愚痴言うつもりじゃなかったんです。プライベートで女の子と知り合うの久し振りで、ハイかも。というかハイです。もっと聞きたいな、事務の人ってどんなお仕事してるのか。昼職のこと全然知らないですからね、あたし」
それからは、こんな話を聞いて楽しいんだろうかと思うような、私の業務の話をひたすらしていた。あきらさんは終始笑顔で、うんうんとうなずいたり、穏やかに相槌を打ちながら聞いてくれた。
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