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さすがに、今この場を去れるほど割り切れはしなくて、私は立ち尽くしてしまった。
「そうだね。さっきの君も、お姉さんにそうだったんじゃないの?」
「すりかえんなよ、僕はあんたの話してんだよ」
「すり替えてないよ。元々たぶん、君の失礼さが原因の話だろうから」
「なんだお前。僕とその子の間には信頼関係があんだから。全然関係性があるんだよ」
仁志倉さんが凄む。
でも女の人は素知らぬ顔で、私へ振り返った。
「信頼関係? そうなの?」
いきなりそう訊かれて、反射的に、私は首を――正直に――横に振ってしまった。
女の人が肩をすくめる。
「だって。なんにせよ頭冷やしてからにしなよ。今はなにも君の思い通りにならないよ」
彼女は、そう言って再び私をうながして歩き出す。慌ててそれについていくと、彼女がそっと私に耳打ちした。
「お姉さん道こっちじゃないかもだけど、ちょっとだけ我慢してつき合ってくださいね」
「我慢だなんて。あの、ありがとうございます。彼は会社の同僚なんですけど、その、少し困ってて」
彼女は小さく振り向いて、仁志倉さんが追って来ないのを確認してくれた。
「同じ会社かあ。もしあたしのせいで逆恨みでもされたら、連絡ください。会社の人に、問題があるのは彼のほうだって言ってあげますからね。えっと連絡先、を交換するのはあんまりよくないかな、あたし知らない人だし。じゃ、あたしの名刺お渡しします。裏に携帯の番号書いておきますね。いらなさそうだったら棄ててください」
そう言って彼女が取り出した名刺を受け取って、少し驚いた。
ピンク色の縁取りに白いハートマークが飛んだ、とても賑やかな……そして、通常のビジネスシーンではあまり縁がないような、派手な色遣いとデザイン。
そして、聞いたことはあっても、直に見るのは初めての文字列。これは、もしかして。
「あたし、あきらと言います。そこに書いてある通り、女性用の風俗でセラピストやってるんです。いかがわしい名刺で、ごめんなさいね」
「い、いかがわしいなんて、そんな……でも、ふ、ふう……? 本当に?」
この人が? 本人も女性なのに?
「風俗と言っても、おしゃべりの相手から、添い寝から、そのほかにも色々幅広いですけどね。安心してください、お姉さんに営業かけようなんて思ってないですから」
「わ、私てっきり、」
「てっきり?」
「モデルさんかなにかかなって」
あきらさんは、あははっと笑った。
「わー、それ嬉しい。姿勢とかは気をつけてるんで、そのおかげかな。背も少しあるし」
「はい、背筋とかとってもおきれいですっ。でもそうか、女の人の場合は女性のほうが安心するのかもですね……」
そういう仕事があるとは、私だって聞いている。人の欲望を扱う仕事なので夜のイメージが強いし、縁遠いせいもあって、どことなく少しおっかない気もしていた。
でも目の前のあきらさんは明るくて、堂々としていて、いかがわしさなんて全然感じさせない。そのせいか私の口は、いつもよりよく動いてしまった。
「ん、そのあたりに関しては、正直に言っておこうかな」
「はい?」
あきらさんが、また小声になった。
「あたしね、体は男性なんです。お店のサイトでは正直にそう書いてありますし、お客様にはそれを承知の上で呼んでもらってます。あ、でも最後まではしないですよ。これは女風の、男性セラピストと同じですね」
そう説明をしてくれても、話の後半は、ほとんど頭に入って来なかった。
男の人?
嘘、だって、どう見ても……
「うんうん。まずは下半身に目が行きますよねえ」
「えっ!? あっ、ち、違いますっ! わ、私はただ、全体的に!」
「あはは、ごめんなさい、意地悪しちゃったな。さて、いくつか角曲がったし、そろそろ大丈夫かな。ここから帰れますか?」
「あっ、はいっ、大丈夫だと思います。近くに、知ってる駅ありますし。本当に、助かりました……」
隣にいたあきらさんが、私に向き直った。
「あたしも、かわいいお姉さんの隣歩けて得しました。なにかあったら遠慮なく」
ばいばい、と手を振るあきらさん。
「じゃあね、お姉さん」
お姉さん。あきらさん、私より年下なのかな。たたずまいは私より大人びてみてるけど……
じゃない!
「あっ? あきらさんっ!」
「はい?」
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