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私のすぐ半歩横に、仁志倉さんが立っていた。リアルでも距離感が独特だ。
「今帰りですか? 一緒に帰りましょうよ。ね、ちゃんと敬語使ってんの、僕偉くない?」
「いや……あの」
「じゃ、駅まで。ね! どうせ駅でしょ?」
仁志倉さんは、私の家の最寄り駅は知らないはずだ。
でも下手をすると、今すぐ強引に、すべて聞き出されてしまいそうだった。
「ごめんなさい。私、寄るところがありますから」
「え、どこ?」
こういう時は、具体的に言わないほうがいいんだっけ。でもそれならなんと言えば。
「えっと、あれです、そう、だからえーと。……内緒、です」
「え、そう。言わないんだ。ふうん」
彼の不機嫌そうな顔を見て、上手い答ではなかったんだなと悟る。
会社の前でそんな話をしているのが嫌で、自動ドアの前の階段から、歩道へ降りた。
仁志倉さんが、先回りするように私の前に立つ。もう彼の顔は笑っていた。
へらへらしているようで、今にも怒り出しそうな、こういう人は学校にも塾にも昔からいた。ずっと、苦手だった。
「でもさあ、絶対彼氏じゃないでしょ」
「……それは」
当たり。だからといって、悪いことだとも、恥ずかしいことだとも思わない。
でも、どうしてだろう。彼に言われると、侮辱されたような気になるのは。
仁志倉さんの表情も、口調も、ひどく汚らわしく見えてきてしまうのが嫌だった。
「じゃ、僕とデートできるじゃん。ご飯でも行かない?」
「……え?」
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。
「行き……ません」
「え、なんでだめなの。理由を述べよぉ」
その笑顔を見て、無理だ、と思った。彼が図々しいから腹立たしいんじゃない。人に払って当たり前の敬意を持ち合わせずになれなれしくされるから、嫌悪してしまうんだ。
このままじゃ、どうにもならない。
「私、……仁志倉さんと、食事には、行きません」
できるだけはっきり言ったけど、これだけで、なぜかかなり消耗してしまった。
「だからあ、理由を述べよって」
「私、……その、仁志倉さんのことが、少し……苦手、で。話し方とか、が」
「え、僕が? 僕が悪いっていうの? 僕誰とでも仲良くなれるんだけど」
話している途中で、仁志倉さんが詰め寄ってきた。顔はまだ笑っている。でも、怖い。
「フーカちゃん、それってすっごい他責指向だよね。昨夜のことだって、まだ謝ってもらってないんだけど。フーカちゃんて絶対謝らない人? そういう子いるけどさ」
誰が。どっちが。そう言い返そうとする。
でも、声にならない。話して分かってもらえる感じが全然しなくて、諦めが先に立ってしまう。
変に言い負かして、癇癪を起して暴れられでもしたら。
それくらいなら、今日だけ一緒に帰るくらい、我慢したほうがいいのかな……
そう、心が折れかけた時だった。
「お兄さん、それくらいにしておきましょうよ。お姉さん困ってるしさ」
ハスキーな声が響いた。
身長が百七十センチくらいの仁志倉さんの後ろに、彼と同じか少し背が高いくらいの人影が立っている。
「え、なんだあんた」
「それに、いわゆる他責指向の人ほど他人にそう言うもんだよ。気をつけなね」
明るいブラウンのセミロングヘアの、女の人だった。髪にはインナーカラーで深い色の緑が入っている。
猫みたいな目にはカラーコンタクトが入っているようで、これも緑色だった。一見黒に見えるチョーカーも、濃いダークグリーンだ。
ノースリーブのオレンジのサマーニットから出た肩が鋭角で、モデルさんみたいだった。しわのない真っ白なロングスカートから、少しだけ見える足首が細い。
「さ、行こっかお姉さん」
「えっ!? 私? ですか? は、はいっ!?」
女の人にうながされて、二人で歩き出す。
高そうな香水のにおいがした――高そうだっていうくらいしか分からないけれど。肩から掛けているシルバーのバッグも、ブランドロゴは見えないものの、これも高そう。
「おい待てよ!」
仁志倉さんの声に、どきりとして振り返る。
「ああ、大丈夫だよお姉さん。今のはあたしに言ったんだろうから、気にしないで行って。で、君、なんの用?」
「あんたなんなんだよ、一方的に言いたいこと言いやがって。失礼じゃん」
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