名前をつけてやる

芦屋 圭

第1話

    『ウサギのバイク』


 ときくんの自転車をこの辺りで知らない人はいないだろう。

 なんて言ったって、ときくんの自転車のミラーはウサギの耳がぴょん! と立っているみたいに付けられているんだもの。あれはきっと、ときくんのお父さんやお母さんが、ときくんが喜ぶと思って自転車屋さんにお願いしたに違いない。それか、ときくんのお家自体がそういうユニークな自転車を作っていたとか。うん、そうに違いない。そして他の動物自転車シリーズもあるに違いない。キリンの首のように伸びたシャフトの先にタイヤとハンドルが付いていて、一軒家の二階くらいの高さで走れる自転車だったり、ゾウの鼻みたいに伸びた棒に傘を取り付けて走れたりする自転車なんかを作っているのかも!

「お前な、頼むからそういうぶっ飛んだ発言をするのは俺の前だけにしてくれよな」

 朝食に出したトーストにバターを塗りながら、夫はこの五年間連れ添った中で一度も見せたことのない呆れ顔を寄越して見せた。

「なんで? だって本当に可愛いんだよ? ミラーがウサギの耳みたいになってる自転車なんて見たことある?」、わたしは二人分の碗に味噌汁を注ぎながら必死に抗議を続ける。そちらに熱が入りすぎて良く見ていなかったからか、夫の碗には油揚げが妙にどっさりと流れこんだのを気付いていなかった。

「まあ、たしかに見たことないけどさ。だからと言ってそんなに興奮するほどのことでもないだろ。本物のウサギが自転車漕いでたならまだしもさ。……っておい、俺の油揚げしか入ってないじゃん」

 夫がわたしに文句を言っていたが、もちろんわたしの頭の中は油揚げどころではない。

 なんで、あの可愛さを分かってくれないんだろう!

 

 ときくんを初めて見かけたのは、夫の仕事の都合で二人の愛の巣がさいたまの奥地へと移動し終わり、なんだかんだ二週間ほど経ち、ああ、なんとかこの地でも上手くやっていけそうだね、などと二人仲良くビールで乾杯した翌日のことだった。わたしたちが住んでいるアパートの前には割に大きな公園があり、小さな子がいるママさんたちには重宝されているようで、通りかかる度に子供そっちのけで会話に夢中になっているママさんたちの姿の方が目に入ってくる。我が子のことは誰よりも知っていると言わんばかりに子供に目もくれず、堂々と話し合う姿があまり正しいとは思えず、でも子供がいない自分が偉そうに出しゃばることも出来ず、ただ中間に立って何もなければいいな、としばし子供たちを見守っていると、最近の子供はずいぶん逞しいようで、わたしが立っているあたりを追いかけっこの最中と思われる集団がやってきて華麗に避けていった。おお、おお、とひとりくねくね戸惑っているとその中の一人から「じゃま!」などと逆にお叱りを受けてしまい、その声を聞いたママ集団の鋭い眼光がさらに追い打ちをかける。はい、すみません。余計なお世話でした……。肩を落としながら公園から立ち去ろうとした時、その奇抜な自転車は現れた。

 ウサギだ! わたしは心の中で叫んだ、はずだった。あまりに衝撃的だったからか、声が出てしまっていた。ハンドルの上にまるでウサギの耳のようにミラーが付いている自転車に乗った男の子はわたしが唐突に声に出したからか、一瞬にして表情を曇らせペダルを漕ぐ足に力を込めて公園から遠ざかっていった。あ、嫌がられちゃったかな……。先程のことといい、自分は子供には好かれない性質なんだろうか。ダブルでショックを受けながらも今の子もこの公園の常連さんなのかしら? と考えてみると、それならばまたすぐに会えるかも! そんなポジティブ・シンキングに気持ちが切り替わり、気分は復活した。どんな子なんだろう。話せて仲良くなれるとうれしいや。そんなことを思いながら家に帰って美味しいコーヒーでも……、飲んでる場合じゃない!

 夜の買い物に行かなくちゃいけなかった! コーヒーはそのあとだ! あわてて道を引き返すと、先程のママ集団からの失笑を買ってしまった。騒がしくてすみません。でも、そろそろちゃんと見てたほうがいいと思うなぁ。

 ずさあ〜。

 ほーら、転んだ。


     



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