第2話
イアンがやって来る。
フェルディナントは顔を見たが、相手は髪をくしゃくしゃとして、煮詰まった顔で首を大きく横に振った。
「駄目や。見失った。だけど門は固めてるから、出られんはずや。もう一度庭を探させてる。あいつは木の上とかにも飛び乗りよるから、そこまでちゃんと見てこいとも命じたが……」
「そうか……すまない。俺があそこで捕まえていれば……」
額を押さえたフェルディナントに、苦い顔をしていたイアンが肩を叩いて労った。
「ええねん! お前を責めたんやない。大体あんな奴が紛れ込むから今は仮面舞踏会なんかやらんときって、俺が何回言ってもやめへんかったあいつらが悪い。
ほら見たことかってとこやで。
お前はあんなどこもかしこも仮面だらけでよく見破ったって褒められてええねや。
……つーかお前ほんとによぉ分かったな」
フェルディナントはあの瞬間――、仮面の男と視線が会った時の感覚を思い出していた。
驚いたし、向こうも驚いたのを感じた。
多分もう一度同じことがあっても、分かると思う。
あの仮面の男は感情を今まで表に出したことがなかった。
初めて、あいつが驚く所を見た、と思い出す。
それに……。
「……なんとなく、目が合ったのが分かったんだ。
多分次に同じように会っても、同じことが出来ると思う。
あいつはあの時、驚きを表現せず、躱すことも出来たはずだ。
でも向こうも俺に気づき、驚いたのをはっきり感じた。
絶対に、俺が一度城下で会った奴だ」
「……そして、そんなら俺が西の塔まで追い詰めた奴、ってことやな……」
イアンはそこから見える、西の塔を見やった。
「信じられへん。なんであんな所から落ちたのに生きてんねん。翼が生えとるとしか考えられへんぞ」
「……だがこれで、湿地帯から死体が出なかった理由は説明出来るな」
「とすると、ラファエルが遭遇したっていう森に出た奴もこいつだったってことか? あそこ断崖絶壁の上やぞ。なんで上がれるねん」
「分からない……。」
「けど、そうなるとラファが言ってたあいつ女ちゃうかっていうのも信憑性が出てくんで。
あいつ今回女の仮装しとったんやろ?」
イアンはそう言ったが、これにはフェルディナントは首を振った。
「別に女の仮装をしてるから女とは限らないだろう。そう思われる為に女装を選んだのかもしれないし。俺たちは仮面の男を追ってた。女は自然と、最初から除外されてる」
「まあ確かにな……けどそしたら体格は細身で小柄ってことか?」
「……そうだな。細かった」
「そいつはそんな女に化けても分からんような体格でお前とサシで遣り合ったってことか。
とんでもないやっちゃで。顔見たいわ~~どんな奴やねん」
逆に興味が沸いてきてしまうではないか。
イアンはそう思ったが、実際あの男への興味が先走りすぎて、最初の段階で仕留められなかったフェルディナントは後悔をしていた。
「俺も……出来れば殺すより捕縛を、と考えてしまって仕留められなかった」
「そいつやっぱり城の守備隊には手ぇ出さへんかったんやろ?」
「ああ。城の守備隊には危害は加えてなかった。当て身程度だ。それに野次馬で集まっていた貴族達にも、危害は加えなかったよ」
「分からん奴やな……何が目的でこんな厳戒態勢の中王宮に忍び込んだんや。やっぱ、情勢不安とかを煽りたい反乱分子なんかなあ」
この手で捕まえたかった、とフェルディナントは自分の手を見る。
「やっぱり相当な手練れか?」
「そうだな……単純な身体能力なら俺を上回ってる。特に走力は明らかに敵わない。あいつが頃合いを見て打ちかかってきてくれたから斬り合いになったが、あのまま逃げられていたらどこかで見失ったかも」
「信じられへんな。お前が撒かれるなんて……こういう時に竜がいればなあ。あいつら馬とか犬とかより遙かに遠くまで敵を追えるんやろ?」
「ああ。フェリックスがいたら逃がさなかっただろうな」
「くっそ~。まだ王宮に潜んでるのかどうかだけでも知りたいわ! まあ潜んでるのやろうけど……。けど、あいつかて食事とかはとらんといかんはずやろ。一週間くらい警備をしといて出んかったら、きっとまた信じられへんとこから出て行ったってことになるわな。
あいつはもう常人の逃走路で考えん方がええ。
城壁は飛び越えられるし、飛び降りれる。
高さは関係なくな。もうそう考えな仕方あらへんわ」
「イアン。とにかく今日は、お前の駐屯地に俺も泊めてもらっていいか。このまま帰る気にはならないんだ」
「そうか。そやろな」
「捜索には俺も加わる。もう一度奥庭の方を中心に自分でも調べてみたいし」
「ええで。お前の部屋は用意させるわ」
廊下を歩いていると、音楽が流れている。
もう日付も変わった。
「……暢気なもんやで。王妃にも知らせは行ったが、全く気にしとらん奴がこんなにおる」
ダンスホールを見下ろせる場所から、優雅に踊り続ける人を呆れたようにイアンは見下ろし、ため息をつく。
「【シビュラの塔】を操る、妃殿下のお膝元におれば心配ないわ、ってことなんかな。
ホンマいい根性しとるわ。どいつもこいつも……。……フェルディナント?」
「ん?」
「どうした。疲れたか? いいんやで、もう焦っても仕方あらへん。二時間くらい寝てこいよ。俺は今から守備隊の方様子見てくるし、案外うちの連中が捕まえて戻ってくる可能性だってある」
「あ、いや違うんだ。疲れてはいない」
フェルディナントは考えていたのだ。
真剣だった剣が、突然道化のように変わった瞬間のことを。
あれは本当に、不思議な感覚だった。
急に、人が変わったような剣だった。
「……人が変わった?」
イアンに話すと、彼も不思議そうな顔をする。
「一瞬でな。あいつの普段の剣はもっと本能的だ。動物のものにも似ている。真剣で、必死で、殺す相手は冷静に吟味しているが、殺してもいいと思う相手には、あいつは遊びはしない。だが今日は、途中まで確かにそういう剣だったのが、貴族達が勘違いして集まってきた時、明らかに変わった。見世物の剣を使ったんだ。観客を沸かすための剣技――分かるだろ?」
イアンは腕を組んだ。
「舞台用のやつってことか……。案外劇場辺りに普段潜んでるのかもな」
「劇場?」
「なんや、びっくりした顔して。レジスタンスなんていうのは案外劇場とかに潜んでるんやで。あそこは色んな人間が出入りする。客だけじゃない、役者もや。それにあんま素性を探られないやろ。素顔を晒してない奴かておる。劇場や見世物小屋なんかには剣舞とか使う奴もいるし、身体能力の高い人間もいる」
「考えたこともなかった」
「お前は考え方も騎士やからな。それにあいつは今までそういう道化みたいな顔は見せへんかった。見せへんかっただけかもしれん。持ってたのかも。役者なら、肝も据わっとるはずやで。人格かて、演じ分けられる」
「今まであいつを、憂国の騎士だと信じて疑ったことがなかった。それが……確かに遊ぶような剣を見せられて、正直戸惑ってる」
「あいつも何人かの人格を、役者のように使い分けてるのかもな」
フェルディナントはもう一度、階下で踊る人々を見た。こうやって踊る人々の中を見ても、目を引く者は一人もいない。何気なくこちらを見上げるような人間と目が合っても、あの時のようにならない。
あれは、特別な人間だ。
何人かの人格を、役者のように使い分けてるのではないかと言われて、フェルディナントは戸惑った。そんな器用な人間に、見えなかった。
不器用で、何かそう生きるしかないような、そんな悲壮感や必死さがあった。
でも今回見たあの楽しげな剣が、彼を戸惑わせる。
あの仮面の男に、どんな別の、顔があるのだろう?
そしてそれが、彼の本当の顔なのだろうか?
あいつと戦うといつも何か、心が残る。
そして必ず思うのだ。
(……もう一度会ってみたい)
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