第2話 私とヒューバート殿下の婚約
私がヒューバート殿下の婚約者に選ばれたのは十歳の時だ。
フェルディア王国で暮らす貴族の子供たちにとって、十歳という年齢は特別な意味を持つ。
社交界へデビューできるのは十五歳の誕生日を過ぎてからと決められているが、その予行練習ともいえる『子供の社交界』に参加できるのが十歳になってから、だからである。
貴族の子女は十歳までに、ある程度の礼儀作法を学び、貴族社会の慣習やルールを一通り身につけ、将来を少しずつ意識し始める。
とりわけ王家の血筋を引く者にとっては、子供の社交界での出会いが、そのまま次世代を担う人脈にまで繋がることが少なくなかった。
そして私がちょうど十歳になって初めて参加した子供の社交界は、名目上は「王族との交流を深めるため」とされているが、実際には第二王子ヒューバートの側近候補と婚約者候補を選ぶお茶会だった。
王太子のアルフレッド殿下については、すでに側近選びは終わり、婚約者についても他国との兼ね合いで話が進んでいるという噂がある。
だからその日のお茶会は、王太子の側近に選ばれた以外の、伯爵家以上の家の子女で十歳から十五歳の子供が、ほぼ全員参加する大人数のものだった。
普段から公爵家で過ごしている私にとって、王城の広さも、飾られた装飾の豪華さも、決して珍しいものではない。
それでも、王家という存在が持つ特別な重みが、城全体に満ちているのを感じて圧倒されていた。
その時、私が緊張にぎゅっと握った手を、お母様が優しく握り返してくれたのを覚えている。
やがて、王宮の女官に先導されてたどり着いた中庭は、想像以上に華やかだった。
噴水のきらめく水しぶきが光を反射し、その周りには私と同じ十歳前後の貴族子女たちが集まっている。
彼らは、それぞれ色とりどりのドレスや仕立ての良い礼服をまとっていて、まるで庭園に咲き誇る花々のように可愛らしかった。
大人たちは、少し離れたテーブルでその様子を見守っている。
私はまずお母様と一緒に王妃殿下に挨拶すると、その後はお母様と別れて一人で子供たちの輪の中へ入っていった。
王妃殿下にご挨拶するのも初めてで、子供たちの社交に参加するのも初めてだった私は、緊張して中々その輪の中に入れなかった。
中庭の中央付近には特に人だかりができていて、そこにはお茶会の主役であるヒューバート王子がいた。
何人もの子供たちが殿下を取り囲み、「殿下、わたくしは侯爵家の長女ですの」「僕は伯爵家の出身で――」といった自己紹介を次々と繰り返していた。
特に女の子たちのアピールが激しい。
派手なドレスの裾をひるがえして「殿下のお側に仕えたいのです」と名乗る子もいれば、「もし将来的に婚約者をお探しでしたら、ぜひ私の家を……」などと、十歳の言葉とは思えない貴族じみた申し出をする子もいた。
私は特に両親から絶対ヒューバート王子の婚約者に選ばれるように、と言われていなかったので、あの女の子たちを押しのけて挨拶に行くのは気後れした。
どうしようかと迷っていたら、親切なこげ茶色の髪の男の子が声をかけてくれた。
「どうしたの? 挨拶に行かないの?」
長い前髪で良く顔が見えないが、優しそうな声にホッとしたのを覚えている。
「あの中に入っていくのは大変そうで……」
「確かに生垣みたいに壁を作ってるね」
「生垣って……」
そのたとえがおかしくて笑うと、男の子が手を差し出した。
「あっちに本物の生垣があるから見に行かない?」
「でも……」
「熊の形しているんだ。珍しいよ」
「熊?」
それはちょうど王国で流行り始めた、植木を動物の形にするトピアリーと呼ばれるもので、王宮の生垣にはずらっと熊の兵士たちが並んでいた。
私はそれからお茶会の終わりまでその男の子と遊んだ。
お互いに名前を言っていなかったことに気がついたのは、お茶会が終わって帰りの馬車に乗ってからだ。
また子供の社交界であの男の子と会えるといいなと思っていたのだけれど、遠方に住んでいて何度も参加できないからか、その後、男の子を子供の社交界で見かけることはなかった。
そして私は、なぜかお茶会で一度も喋っていないヒューバート王子の婚約者に選ばれてしまった。
きっと政略的に最初から決まっていたのだろう。
それでも私はヒューバート王子の優しさに惹かれて、いつの間にか彼を好きになっていた。
ヒューバート王子も、私を憎からず思ってくださっていたはずだ。
目の前のクラリッサ・ユールが現れるまでは。
次の更新予定
【連載版】婚約破棄にはざまぁを添えて 彩戸ゆめ @ayayume
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