第3話


 舞い降りた足場。水が跳ねた。

 フェルディナントは【仮面の男】と剣を打ち合いながら、林道を抜け、最北の離宮付近までやってきたことに気づいた。

 飛び散った飛沫を裂いて、襲いかかってくる。

 受け止め、弾く。

 剣を切り返して鋭い突きを繰り出したが、危なげなく躱し、そこから更に剣撃を加えて追い打ちを掛けるフェルディナントの神速も、彼は鮮やかな身のこなしで宙を躍って回避した。

 一体どういう素性の者なのか、どこでこんな剣を身につけたのか、本当に気になる。

 自ら仕掛けてきて接近戦で一気に仕留めようとする意志も見えるが、距離を取るとすかさず、柄に長い布を巻き付けた短剣を見事に操り、投げつけてくることもあった。

 神聖ローマ帝国において十代で将軍位に着いたフェルディナントである。

 力ある者にしか使役されない竜を服従させ、自らより何十年も剣を振るってきた騎士たちでさえ、彼は相対することを恐れなかった。

 剣の天才と謳われる彼と、これほど同じ次元で、真剣勝負で打ち合える人間など、本国にもいなかった。

(確かに……)

 俺は、集中し切れてない、とフェルディナントは思った。

 どうしてもこいつを、心底の敵と思えない。

 出来れば、少しだけ手傷を負わせるか、それか打ち合いを続けて相手の体力が尽きて、動けなくなった時に捕縛して、出来ればそうして身柄を拘束するやり方で収めたいと思っている。

 それが原因で、本気で殺す、そういう最後の一歩を踏み出せないでいる。

 しかしそういう剣では、この相手とは五分なのだ。

 打ち合う内にそれは理解出来てきた。

 本当にこいつを殺してやると思えれば、何かそこから活路が見いだせるかもしれないが、どうしてもそこまで、フェルディナントは思えなかった。

 戦場で迷うことなど、彼は初めてだった。

 負けるわけにはいかないことだけははっきりと分かるから、相手の剣を受け止め、弾くことは出来る。それは、どうにかなる。

 だが必殺の一撃をどうしても繰り出せない。

 守備隊はまだ来ない。その気配がなかった。

(くそッ!)

 フェルディナントは天青石の瞳を見開いて、自分から仕掛けた。

 火花を散らし、短剣で、よく自分の斬撃を幾度も受け止めるものだと思う。

 一撃一撃を堅実に受け止め、反撃の隙を狙うこの空気だ。

 やはり女とは決して思えなかった。

 早さだけではない。体格は大きく優れているというわけではないが、天賦の才がある。ただ、それでもある程度の力も持っていないとこういう攻撃や防御は出来ないと思うものが彼にはある。

 受け止められた剣を渾身の力で押し出し、フェルディナントは更に連撃を繰り出す。切り払った剣筋を相手が躱す。敵の間合いは覚えた。

 後ろに避ける範囲の見立てはたった。地を蹴ってその場所へ、突撃する。

 力と、早さで襲いかかったフェルディナントの一撃は、咄嗟に受け止めたが弾かれた。

 衝撃を受け止めきれないことを察したのだろう、自ら防御の構えを解き、後方に吹っ飛ばされたのが分かった。

 背中から落ち、体が弾んだが、それを利用し体を丸めるようにして宙で跳ね起きるのが見えた。この、動物のような反射神経だ。しかし、空中では動きは制限される。

 フェルディナントは覚悟を決めて襲いかかった。

 地を蹴り、上空に飛び上がり、仕留めようと剣を振りかぶった時、グン、と足場もない空中で仮面の男は体を丸めるように縮め、一気に両腕を広げる、その、体の僅かなバネだけで落下の時間を稼ぎ、そこから攻撃を繰り出してきた。

 二本の短剣が、軌道の見えない背中から、突如フェルディナントに襲いかかってくる。

「!」

 それは、決して攻撃が来るようなことが予測できる間合いではなかったので、さすがのフェルディナントも不意を突かれた。

 身動きの取れない空中にあるのは自分も同じで、上から振り下ろしてきた刃の一撃を、身をよじるようにして避けた。

 しかしもう一本が深く迂回するような曲線を描き、横一文字に飛んでくる。

 フェルディナントは剣の刃に当てて、それすら、ギリギリで弾いた。

 だが……。

 上下、左右。

 二つの全く軌道を描いて繰り出された刃の一撃。

 仮面の男はそれが交差する僅かなタイミングでクロスさせ、指に手早く布を絡みつかせた。

 まるで生き物のように刃が弧を描く。

 逆手に構え直した二つの刃が、すでに追撃の態勢を整えたことを感じた。

 フェルディナントは横に体勢を投げ出しており、まだ宙だった。

 仮面の男は同じくまだ宙にいたが、すでに体勢を整えている。

 攻撃と着地、どちらにも対応が出来る。

 彼は双刃の連撃を放ってきた。

 布をつけた間合いでも、少しのずれもなく狙った場所に刃の頂点を当ててくる、彼の力量を持ってすれば、フェルディナントの顔や、頭部に命中させるのはたやすかっただろう。

 耳元を風が走った。

 直後、フェルディナントは地面に落ち、それでもすぐに身を転がして起き上がっていた。

 前を見据えると、仮面の男は少し離れた所に佇んでいる。

 フェルディナントは眉を寄せた。

 微かな笑みを浮かべる【月の女神】。

 仮面は素性だけではなく、その意図や感情も覆い隠す。何も読めない。

 今のは、自分を必ず仕留められたはずだ。


「何故今、仕留めなかった?」


 怒りが満ちる。

 これは剣を使う者の矜持を傷つけられたと感じたからだ。

 この男が城の守備隊には手を出さない、そういう誓いを立てているのは理解した。

 そういう男だから、話を聞きたいとこっちも提案したのだ。

 それに彼は、一切応じなかった。ならば、答えは出ている。

 一度目の城下での戦闘時、フェルディナントは重傷を負った。

 あの時は本当にこちらを殺す、そういう意図を感じ、最後の『弓』の一撃は、明らかにフェルディナントを殺そうとするものだった。躊躇いなく、彼はあの時撃ったのだ。喉を貫かなかったのは、フェルディナントが避けたからであり、そうしなければ死んでいた。

 あの後の記憶はないが、フェリックスが側にいたので死傷にもなり得る重傷を負わせた以上、交戦を長引かせても得はないと思い逃げたのかも知れないが、今は殺せる間合いで、あのとき同様彼は刃を放ってきたのに、はっきりと、今は刃を操って、フェルディナントに傷を負わせるのを避けたのが分かった。

「わざと外したな。――何故だ!」

 フェルディナントは怒りの声を放つ。

 その時は何故、自分がそんなに怒ったのかは分からなかったが、後に考えてみると、多分自分は、この仮面の男を非常に戦士として買っていたのだと思う。

 彼が戦うと決めた以上は、迷いのない戦いになると、信じられた。

 信頼出来る敵と戦えるということは、実は非常に珍しいことなのだ。

 彼は死をも恐れていない。

 その潔さを、自分は好ましく思っていたのだ。

 それなのにそんな、最後の最後で迷いのような一撃を見せられて、それに腹が立ったのだろうと、後日フェルディナントは自分の身勝手な心に笑ってしまうのだが、その時は、ひたすら怒りの感情は鮮烈だった。


「答えろ‼」


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