RESPAWN
緋櫻
RESPAWN
「よかった、
看護師さんの柔らかい声が聞こえる。どうやら僕は助かったみたいだ。でもまだ実感が湧かない。今こうやってナースコールを押せたし、看護師さんに声をかけても反応してくれる。手を胸に移しても、心臓の鼓動がいつも通りのリズムを奏でている。うん、僕、生きている。僕はこんなに「生きる」ということが素晴らしいものだとは思わなかった。
あの事故が起こるまでは。
「ちょっと飲みすぎちゃったなぁ……」
昨日は久しぶりに地元のナゴヤに帰ってきていた幼馴染と浴びるほど飲んだ。三軒目まで行くほど盛り上がったのだが、疲れというものはなぜ後からこう重くのしかかってくるのかと思う。しかも楽しい時は一瞬で、疲れは結構ついて回る。
「ほんと世界って不条理だな……」
そんな悲しい独り言を呟きつつ、家に向かってゆっくり歩き始めた。風呂はもうめんどくさいし、家帰ったらさっさと寝ようかな。思いながら人気のない横断歩道を渡り始めた、その時。
────ドォン。
ブレーキ音もなく、鈍い音が響く。周りがスローモーションに見え、何とも言えぬ浮遊感が僕を襲う。でも僕自身を轢いた車は何事もなかったかのように、走り去っていく。あーあ、まだ自分にはやりたいことが残っていたのになぁ。ろくに大学も出ず、就職もしないでダラダラバイト生活を続ける僕に罰が当たったのかな……。視界が赤黒く染まる。心も体も、もう悲鳴を上げる気力すら残っていない。定職に就かず仕送りで生きる僕には、こんなみじめな最期がお似合いだろうな。そんな自分のクソッタレな運命を呪いながら、僕の意識は闇の中へ落ちていった。
てな感じで今に至る。
看護師さんいわく、病院に運ばれた時にはもう虫の息で一刻を争う状況であったという。俗に言う「意識不明の重体」ってやつだったそうだ。もし通報が少しでも遅れていたら……と思うと鳥肌が立つが、あんな夜遅くに知恵を振り絞って命をつなぎとめてくれたお医者さんたちには感謝しかない。しかも腕や足があり得ない方向に曲がっており、出血もひどかったというのだ。よく生き残れたな僕、と思わず自画自賛してしまう。
だが、少し気になることがあった。治療費でも、慰謝料でも、今日のバイトのシフトでもない。僕はあれだけ派手に轢かれたはずだ。でもまるで何事もなかったかのように五体満足でいるのだ。もしやと思い、お医者さんを呼ぼうとしたその時、徐に病室のドアが開き、
「調子はどうですか~」
とお医者さんがまるで休日のようなゆるい態度でやってきた。事情を説明しようとしてきたが、もう看護師さんに聞いたからいいと断っておいた。すると彼は口を開き、
「それにしてもよかったですね~。二回残っていて。もう次はないかもしれないのでお気をつけて過ごしてくださいね~」
二回? 彼の言葉が少し引っかかった。もしやと思って僕は思わずこう質問した。
「『ライフ』、一つ使いましたか?」
「はい~。あまりにも凄惨な状態でしたので、使わせていただきました~。せっかくの人生、ここで終わってはあまりにも若すぎると思ったもので」
やっぱりそうだった。そうでなきゃ数時間で複雑骨折した四肢が傷一つない状態にまで治らない。
つまり、僕らは「ライフ」を複数持っているのだ。ゲームの残機制みたいに、残りライフの数だけ復活できる仕組みである。どれだけひどい怪我を負っても、ステージ4のガンであろうと、その「ライフ」さえ使えばあら不思議。大体一日たてば事故も病気も、まるで無かったかのように全快するのだ。だからゲームで呼称されるように「残機」だったり「いのち」と呼ばれることもあるのだ。ただライフの数には個人差があり、むやみな使用、差別を防ぐためにたとえ親であってもむやみにライフの数を教えられないし、知らされることもない。こういったライフを消費する羽目になった際に初めて知る権利が与えられるのだ。だから僕も今回の事故で改めてライフの存在を思い出したし、残り回数も初めて知った。ただゲームと違う点としてライフを消費することは医療行為のため、山岳地帯での遭難や海での溺死など医療が及ばない範囲では消費ができずそのままそれらを残して死に至る。もしかしたら自分も……と考えたらゾッとする。
説明が長くなったが要するに、一度死にかけてもまだライフが残っていればその回数分生き返ることができるというものだ。ライフが残っているならもっと無茶をしたくなるし、残っていないなら慎重にならざるを得ない。僕も何が起こるかわからないこの世の中、気をつけて生きていこうと決めた。
「生田さん『いのち』使ったんで検診したらもう退院できますよ~」
お医者さんがゆるい声で言った。入院費も保険のおかげで安く済みそうだ。その後警察の人がやってきて、今回の事故の詳細を説明された。昨夜、僕を轢いたトラック運転手は居眠り運転をしており、ブレーキを踏んだ痕跡もなかったらしい。幸か不幸か、深夜だったため僕以外に被害者はいなかったというが、そのトラックは僕を置いて走り去った後に歩道の街路樹に衝突して大破したという。そのうえ運転手は通報が遅かったために、不運にも亡くなってしまったらしい。僕がこう生きていることは奇跡なのだなと、改めて感謝した。
「ただいま~」
一日ぶりに帰宅した。一人暮らし中なのでもちろん何の言葉も帰って来ない。すぐに自宅のパソコンを開く。スマホが事故の衝撃で壊れていて調べられなかったのだ。僕は一応、去っていくトラックのデザインを記憶していたため、その企業の検索にさほど時間はかからなかった。その企業は「
「今日コンビニの帰りに来風のトラック見たけどひどかったで。ワイの家東京なのに平気でナゴヤ走りしてんねん。信号を知らないのかねアイツら」
「【悲報】ワイ、来風通運入社1か月で絶望」
「ノルマがヤバすぎて休日出勤、オールもザラや。昨日も2時間しか寝てへんし辞めたいわ」
「>>1 トップの理想が高すぎてそれが下へ下へとしわ寄せがきてるんよな……。イッチには同情するわ」
「NOLIFE通運定期」
と酷評の嵐であった。僕を轢いた運転手も同じだったのだろうか。轢かれた身ではあるが少しかわいそうに思えてきた。
しかし今回、運転手が死んでしまったために損害賠償請求の行き先がなくなるかと最初は思ったが、どうやら雇用主の企業に非がある場合には賠償責任が行くらしいというので、どこにも怒りが向けようがないという状況にならなくてよかった。
とりあえずテレビをつけてみる。一国のトップ企業の過労による事故なんて言ったら、メディアは報道しないわけがないだろう。
と思ったが、どこのチャンネルをつけても、グルメや動物、海外で活躍するアスリートの話しかしていない。時間帯の関係上仕方ないかもしれないが、ニュースでも取り上げないのは少しおかしい。テレビは最近結構コンプライアンスに厳しいとは聞くのになあ。どこか矛盾を感じていると、
「この番組は、ご覧のスポンサーの提供で、お送りします」
というよく聞くアナウンスとともに、企業の名前が列挙される。すると「提供」の下にやはり「来風通運」の文字が画面の中央にでかでかと表示された。そりゃあ支援してもらっている人の悪口は言えないよなぁ。気になって調べてみると、その会社は全国ネットの民放すべての大株主であり、ただでさえテレビ離れが進み斜陽産業となりつつあるテレビ業界の数少ない「お得意先」であるため、下手なことは言えないのが現状である。これじゃコンプラ遵守というよりただの忖度じゃねえかと思わずツッコミたくなる。
だが警察が認知している以上、慰謝料や治療費を請求する権利はあるはずだ。だが一人暮らしの貧乏フリーターには弁護士を雇う費用なんてとても出せるわけない。
「これじゃもらえる金が少なくなるなぁ……」
と半ば諦めていた、その時だった。
「生田~~! 心配したぞ、おい! 生き返ったんなら連絡ぐらいよこせよなぁ!」
事故の前まで一緒に飲んでいた幼馴染が家の前までやって来た。近所迷惑かってぐらい叫んでいて、まだ酔ってるのかと思ったが、追い返すのもアレだと思ったので家に入れることにした。
「伊ノ
「いやいや普通さ、親友が事故に遭ったっつたらさっさと駆けつけるもんだろぉ? 心配になって病院に行こうとしたらもう退院したって言われて、もうわけわかんなくなって家にやってきたってワケ!」
「だからって人ん家の玄関の前で大声出さないでよぉ……」
彼は昔からこう大胆というか……、豪快というか……、そういう面があるから困る。
「それはすまんかった。ていうかもう怪我とか大丈夫か?」
「この通りピンピンしてますぜ。なんせ『ライフ』一つ減らしたんでね。おかげでそうそう無茶できねえ」
「あ……。そっか、じゃなきゃ事故った翌日に退院できんか」
「そういうことだ。ていうかなんで事故のことを?」
「お前が入院した病院に知り合いの医者がいて、『君の知り合いに似た人が搬送されたよ~』って言ってきたのよ。あいつほんと緊張感ないよなぁ……」
「まずあんまそういうのって言っちゃダメなんじゃないの?」
なんだ、あのへんな医者と知り合いだったのか。本当こいつの人間関係はわからん。そして彼は不意に、
「ていうか轢いた車とかは覚えているのか?」
「当たり前だろ。トラックのデザイン今も目に焼き付いてるぞ? そこから僕は────」
それから警察に聞いたこと、自分で体験、調査した情報を洗いざらい話した。いつも豪快な彼も、真剣に聞いてくれた。そして一通り話し終えた後、彼が徐に口を開く。
「そっか。轢いた人も轢いた人で大変だったんかな……。だからといって許すつもりはないけど、その運転手が悪人だとはみなされてほしくないなぁ」
「ほんとそれ。企業に殺されたといっても過言じゃないね。しかるべき対応を取ってもらいたいよ」
「でも俺らだけじゃ厳しいでしょ? 援助してくれる人が必要だな」
「でもまずは事故の責任を追及しようと思う。事故を起こした加害者が死亡した場合、企業側に非が認められた場合に慰謝料などが請求できるようになっているからね」
「となると弁護士が必要だな。知り合いにいるけど紹介しよっか?」
「え?」
弁護士とも付き合いあったのか……。あまりにもご都合主義過ぎやしませんかい? どういうルートで知り合っているのか教えてほしい。
そこからの話は早かった。彼は慣れた手つきでその知り合いに電話をかけ、僕につなげてもらった。でも僕はスマホもその他携帯電話も持ち合わせていなかったので、電話番号とメールアドレスだけ教えてもらった。持つべきものは友とはよく言ったものだ。
翌日、幼馴染とともに朝早くから新幹線で彼の事務所があるヨコハマ市まで赴いた。ビルの中のオフィスの一室かと想像していたが、意外にも普通の一軒家みたいで、インターホンを押すのを
「こんにちは、本日朝十時から約束していた伊ノ知です。会わせたい人がいるのですが、
「は、はい! ただいま向かいます!」
ダッダッという足音がインターホン越しに聞こえてきた。まもなくして玄関の扉が開き、
「よ、ようこそいらっしゃいました! 弁護士の羽生と申します! ど、どうぞ中へ!」
元気な挨拶とともに、僕らは客間へと案内された。
「あ! 今すぐお茶を入れますのできゃ、客間にてお待ちください!」
「べ、別にかまいませんょ───」
「それではごゆっくり!」
客の応対に慣れていないのか、単に落ち着きがないだけなのか、僕らを迎えた後彼は大慌てで客間の戸を閉め、給湯室に向かっていった。
「ごめんな、あいつやる気はいっちょ前だけど落ち着きがないからちょっと空回り気味なんだよねぇ……」
「いいよいいよ。僕もバイト始めた時はこんなんだったし」
「慣れてないけど熱量だけはすごいんだよね」
つかの間の談笑を楽しむ。一度死の淵を彷徨った今、こんな何気ない時間も僕にとっては宝物に思えてくる。こうやって話せる人がいて、一緒に笑ってくれる人がいる。そして命があって、生きている。本当に大事なものは失ってから気づくとは、まさに真理だと思う。
そんな感慨に耽っている中、客間のドアが静かに開き、
「お待たせしました……。黒豆茶しかありませんでしたが、よろしいですか?」
「かまいませんよ。そこまで好き嫌いはないので」
「俺もな。それよりも本題に入ろう。言ってた通り、紹介したい人がいてな。こちら、幼馴染の生田だ」
「あ、どうも。生田って言います」
「は、羽生と申します! こちら名刺になります! 未熟者ですがよろしくお願いします!」
そう言うと背筋も腕もピンと伸ばして名刺を渡してきた。力み具合がこっちにも伝わってくる。
「大丈夫大丈夫。肩の力抜けって」
「すみません……。今年の春に独立したばっかなもので……。依頼人もなかなか来ないもので……。こうお客さんが来るといまだに力んでしまうんですよね……」
おいおい大丈夫なのかこの人。独立できているならある程度の実力は担保されてるだろうが、いざとなった時に頼っていいのかなぁ……。
「そ、それでこちらに何か御用で……?」
急に話しかけられて驚いた。そして僕は一呼吸おいてから、
「僕が被害を受けた、交通事故の損害賠償金の請求です。加害者は僕を轢いた直後に亡くなっているため、雇用主の企業に対して賠償責任を問おうと思います」
「事故に遭われたのですか? いつどこで、何が起こったのかをお聞かせいただけますか?」
「わかりました。一昨日────」
僕は伊ノ知に話したように、事故の概要を説明した。あれだけ落ち着きのなかった羽生さんが、僕が話し始めたら静かに頷きながら僕の話を聞いてくれた。さすがその道のプロだと実感させられた。
「なるほど、『いのち』を一個失うとなると結構な大怪我だったんですね……。ちなみにそのトラックはどこの企業でしたか?」
「来風通運です」
「あっ────。来風ですか……」
羽生さんが一瞬口ごもる。
「何か引っかかりましたか?」
「いや、あのー……。来風通運って弁護士の間でも悪徳企業って評判なんですよ……」
「まあ口コミとか掲示板を見てもひどいですからねぇ……」
「いやそういうことじゃなくて……」
そういうことじゃない? 過労だけじゃないのかよと怒りや呆れが混じった感情が渦巻く中、羽生さんが口を開く。
「裁判では『無敗』なんですよ」
無敗? 確かに大企業ではあるし、そのレベルなら凄腕の弁護士はいくらでも呼べそうだ。しかし一回も負けたことがない、っていうのはどこかおかしい。あんな企業、もっと訴えられてもよさそうなのに。
「無敗、っていうのは和解金が安く済むとか、そういう感じのやつですか?」
「それならまだいい方ですよ。残業代が出ないって言ったら『きちんと出している。原告への送金履歴を見ても、きちんと残業代分付与されているではないか』とか言ってきたんですよ。もちろん原告側も通帳などの履歴を出して反論しました。明らかにあっちが改竄してます。なのに裁判官らは原告の方が改竄しているとみなし棄却しました。絶対裏で何かやってます。しかもその後、企業側はここぞとばかりに名誉棄損で訴えたのだから驚きです」
「血も涙もねぇなそいつら……」
鬼畜の所業というほかない。裁判官の服の黒は何色にも染まらない「公平」の象徴じゃなかったのか。ただ単にドス黒かっただけか。失望するほかない。
「ちなみにこのエピソードも氷山の一角ですし、その多くは名誉棄損などの反訴もセットでついてきています」
「話せばわかる相手だと思わない方がいいですね、もう」
「そうですね……。でも一応形式上『裁判』ではありますし診断書などを用意してくれたら助かります」
「一応持ってきました。再生診断書です」
法律上、ライフを使うことは死亡と同じように命を無くすことには変わりはないので、それを証明する「再生診断書」の発行も義務付けられている。これがあれば死亡保険ならぬ再生保険の適用が可能になるのだ。
「法律上『いのち』を失った場合も、命を奪ったという扱いになるので過失運転致死などの罪に問えます」
「じゃあ場合によってはより多くの損害賠償になると?」
「歩行者側に非がなく、死亡した運転手にも過労が認められたら、可能性は十分にありますね。
────まともに裁判できたらの話ですけど」
激しく同意。それは本当激しく同意。
「正攻法で行こうと思わない方が賢明かと」
「何かしら奇策に打って出るのか……。あっちも何かしら裏でやってるのは濃厚ですもんねぇ……」
「とりあえず何かしら思いついたら連絡お願いします。裁判の手続き、調査などはこちらで済ませておきますので」
「わかりました。今日は本当にありがとうございます。それでは失礼します」
僕と伊ノ知は席を立ち、荷物をまとめ始めた。そして玄関につき、ドアを開けて出ようとした時、羽生さんが不意に、
「あ、あの……。え~っと……。ご満足いただけましたか?」
と力ない声で言ってきた。散々口ごもってからのこの一言に少し吹き出してしまったのは、秘密だ。
「いや何言ってるの? 大満足だよ! ほんとお前も成長したなぁ!」
伊ノ知が荒々しく羽生さんの髪をまさぐる。
「いやぁ~、そんなことないですよぉ~。でも満足していただけたのなら幸いです。生田さん、絶対勝ちましょうね!」
「当たり前ですよ! もう『いのち』は無いから、僕も後悔しないように精一杯頑張ります! さようなら!」
「またよろしくお願いしま~す!」
そうやって手を振りながら、僕らは事務所を後にした。
「結構いい人だね、お前の知り合い」
「だろ? あいつ高校の部活の後輩で、いつも不器用でベンチ入りすら無理だったけど、誰よりも早く来て道具や練習場の整備をしてて監督や部員から一目置かれてたのよ」
「レギュラー取れなくても腐らなかったのはえらいなぁ」
それが弁護士業務に表れてるのかと思うと、感心する。
「それより『奇策』に打って出ると言ったけど、どうしようかなぁ……」
「俺にいい考えがある。近う寄れ」
僕は伊ノ知に近づき、耳を傾ける。
「大事なことなので、一回しか言わん。よ~く聞いとけ」
「記録に残したらまずいのか?」
「少しでもぼろが出たら不利になるからな。ちゃんと心して聞けよ」
「────わかった」
「よし。俺の作戦はだな、ずばり────」
彼の言う「奇策」とは何なのか。一応説明はしてくれたがそれは百聞は一見に如かず、見ればわかるというので当日までのお楽しみとしておこう。
「生田」
「なんだよ」
彼が不意に僕を呼んだ。そしてまっすぐな目で言った。
「いいか、こう見えても俺は真剣に策を考えているんだ。相手が相手だ。こっちだって何かぶちかましてもいいだろ? とにかく俺を信じてほしい。そうしたら、必ず勝てるから」
「伊ノ知……」
「それに事故を起こした運転手だって、轢きたいと思ってお前を轢いたわけじゃない。過労によるものなんだろ? そして事故死した。ある意味会社に殺されたようなものなんだ。これは、お前だけの戦いじゃない。お前を轢いた運転手の弔い合戦でもあるんだ。だからこの裁判、絶対に勝たなきゃいけない」
伊ノ知の気迫に、僕は何も言い返せない。
「とりあえず大体の計画は俺がやっておく。お前にやってほしいことはただ一つ。親は絶対に呼ぶな。心配をさせたくないのはもちろんだが、危険を伴う可能性があるからな」
「────わかった。頼んだぞ」
そう言って、二人でヨコハマ駅まで歩いた。普通別れ際じゃないかと思ったのは、僕だけか。
あれから月日がたち、裁判の日がやってきた。慣れないスーツに身を包み、髪をセットして家を出た。最寄り駅に着くと、濃紺のスーツに身を包んだ伊ノ知が改札の前で待っていた。どうやら羽生さんは現地で合流するらしい。電車に乗っている間は緊張で生きた心地がしなかったが、いざ現地に着くと自然とリラックスできた。自分が覚悟を決めることができた証だろうか。少し待っていると、羽生さんが勢いよく駆けてきた。来たことを確認した伊ノ知が言う。
「あくまで俺は『傍聴人』という立場だから、少し時間をずらして入廷する。羽生、頼んだぞ」
「わかりました。生田さんのことは任せてください。生田さん、行きましょう」
羽生さんは乱れたスーツを正し、呼吸を整える。
「────行きますか」
もう後戻りはできない。そう思いながら、法廷へ向かった。
「それでは、裁判を始めます」
ついに戦いが始まった。僕と亡くなった運転手の名誉を、取り戻す戦いが。羽生さんとアイコンタクトをとる。
「原告、生田光は六月六日三時三分に被告側の会社のトラックと衝突しました。運転手の
羽生さんさすが。やる時はやる男だ。席に着いた後心なしか小さくガッツポーズしていたのが見えた。
「被告側からは、何かありませんか?」
にっくき来風通運のターンだ。心してかかろう。
「まず原告の生田様。弊社の社員があなたにご迷惑をおかけしまい、申し訳ございませんでした。
────と言いたいところですが、あなたは本当に弊社のトラックに轢かれたのですか? 確かに『いのち』を使うとどんな怪我や病気も全快すると聞きます。ですがそういうのは誰だって健康なら嘘でも言うことができます。診断書の提出と映像の提出をお願いします」
────もらった。彼らはあくまで言いがかりをつけられた「被害者」という意識で戦うスタイルだが、証拠はいやというほどこっちが押さえている。もう弁解の余地もないほどになぁ。もっと名誉棄損だとか個人の責任だとか言ってくると思ったからこんなきれいに墓穴を掘ってくるとはね。さあ羽生さん、やっておしまい!
「原告側からは、何か反論はありませんか」
「裁判官。こちらより証拠品の提示をしてもよろしいでしょうか」
「認めます」
────よし来た……ッ! もうここまで来たらこっちのホームだ。もうアンタらに勝ち目はない。さあ、終わりだ……ッ!
羽生さんがカバンを取り出す。そしてカバンの中に手を突っ込み、書類を手に取る。そこから怒涛の尋問が始まり、こちらの予想を大幅に超えた勝訴。そして企業の闇が明るみになって、業界の膿を出し切りハッピーエンドとなる、
────はずだった。
カバンに手を突っ込んだところまではよかったのだが、羽生さんの様子がおかしい。何やらカバンの中に顔を突っ込んだり、カバンをひっくり返したりしている。さすがに見ていられないので、
「羽生さん! いったい何があったんですか!」
小声で彼に尋ねた。その後彼は力なく、
「すみません……。証拠を紛失してしまいました……。お力になれず申し訳ございません……」
はあ⁉ なんでこんな大事な時にやらかすんだよ、おい! 頑張ろうって言ったじゃないかよぉ! 調査は任せてと言ってたでしょ? 俺の余裕を返せよぉ!
「────す、すいません、今のナシで!」
よりにもよって最悪な返答……。悪いところ出すぎだよ本当に……。
「では、被告側から反論はありますか?」
もう勢いあっちに向いちゃったよ全く。どうしようこれ。
「原告側は証拠もお持ちになっていないのに、根も葉もない『でたらめ』をこちらに突き付けてきました。これは明らかに名誉棄損にあたります。よって、原告を名誉棄損で反訴いたします」
あ~あ、おなじみのハメ技入っちゃった。悔しいけど、不利なのはこっちだもんなぁ……。今更反論の余地もないし、泣き寝入りするしかないかぁ……。所詮顔が広いっていってもその人の質まで担保されているわけじゃないものなぁ……。
「原告側からは?」
「ありません」
もう羽生さんも諦めたなこれ。事故った時も思ったが、本当世界って不条理だよ。こんな悪者が
「それでは、判決を言い渡します」
もういいそれでいい、溜めなくていいからすっと言ってくれ。
「主文、原告の────」
「待ってください!」
────はぇ……?
法廷に、誰かの声がこだまする。皆が動揺する中、傍聴人の一人が手を挙げた。
「私は、生田さんを轢いた運転手、柳生さんの同僚の
「ふざけないでください。いいか、あなたはあくまで傍聴人、この裁判には関係ないはずです。裁判官、彼を退出させて下さ────」
「すみませ~ん、こちらからもいいですかぁ~」
「なにぃ!?」
聞き覚えのある緊張感のない声が聞こえる。その声の主は……。
「生田さんと柳生さんの搬送先の病院で医師をしている、
さすが先生、法廷なのに緊張感ゼロだ!
「やめてください、次から次へと! あなたもあくまで傍聴人だ。関係ないので裁判に口を出さないでいただき────」
「すみません、一度よろしいですか?」
「次は誰だぁ!」
こ、今度は誰だぁ……⁉
「弁護人の羽生です。私なら裁判の関係者ですので、証拠の提出をしてもよろしいですよね?」
「何を言う、口頭弁論はもう終わったはずだ。これ以上の証拠提出は認められないはずです。ですよね、裁判長?」
「────認めます」
「なっ、なんだと……」
散々喚いていた来風の弁護人もさすがに口をつぐむ。ふと傍聴席を見ると、伊ノ知が小さくガッツポーズをしていた。そう、彼の考えた「奇策」とは、このことだったのだ。そして羽生さんが一呼吸おいてから、
「私はそもそも、この裁判の公平性に疑問を感じています。裁判とは本来、公平・公正であるべきです。ですが私は、先程の醜態を、『口裏合わせ』させられていました。これが証拠の音声です。」
そして羽生さんは、サッとボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。
そこには羽生さんと来風の弁護士の、反吐が出るようなやり取りが残されていた。
「────ここが羽生さんの事務所かぁ。なかなか家庭的な感じでいいところだ。座らせてもらいますねぇ。今日はあなたに『交渉』を持ちかけようと思いまして」
「なんですか交渉って」
「あなたに当日、『忘れ物』をしていただきたく存じます。なぁに、簡単でしょ?」
「忘れ物……。いったいどういう?」
「ちょっとカバン借りますね」
「え、ちょっ、待ってくださ……」
カバンの革の擦れる音が聞こえる。
「当日、あなたはこれらを持ってくる必要はないので私が預かっておきますねぇ」
「ちょっと、困りますよ! 大事な診断書も入っているんです。早く返して下さ……」
「え? 何か問題でも? あ、そうでしたそうでした。あくまで『交渉』ですからね。あなたが嫌なら拒否してもかまいません」
「じゃ…じゃあ私は……!」
「たーだーし、条件があります!」
「条件とはなんですか?」
「弊社はこの国の運送業で一、二を争う名門企業。あなたはついこの間事務所を始めたばかりの赤ん坊。これが何を意味しているか、おわかりですね?」
「な、何を言いたいんですか……?」
「ただでさえ始めたばっかでお客さんも全然来ない弱小事務所です。でもそこにわざわざ大企業専属の弁護士様がいらっしゃった。こんな機会、二度と訪れないかもわからない。こっちは一緒に仕事を頑張ろうと思ってやってきたのにあなたは、その好意を踏みにじった。あ~あもったいない。こう見えてもわたくし、弁護士会に顔が利くんです。もしかしたらただでさえほとんどない信用が一気に地に落ちてしまう。せっかく独立したのに、残念だよ」
「だ、だから何が言いたいんですか!」
「おっとすみません取り乱しました。でもこれはあくまで『交渉』ですからね。その後どうしたいかはあなた次第。さあ、どうしますかぁ?」
「────わかりました。当日『忘れ物』します」
「よし、交渉成立です! では法廷で会いましょう、ってか! ガハハハハ────」
再生が終了した。傍聴人も裁判官も、みんな顔が目に見えて顔が引きつっている。被告側は特に顔が青ざめている。
「この通り、私は半ば脅されたような形で書類を廃棄せざるを得ませんでした。被告は裁判に勝つために、卑劣な手を使う大悪党です。私もそれに乗ってしまった分、弁護士を名乗る資格はないでしょう。ですが、こういう裏工作があった以上、こちらも傍聴人の人と協力して企業と戦うことにしました。あなたたちが裁判をそうやって戦うなら、こっちだってそうしようとね」
あまりにもきれいなカウンターに、思わず拍手してしまいそうであった。被告側は誰が見てもわかるぐらいの冷や汗をかいていた。
「だ、だからといって傍聴人の資料が効力を発揮するわけではないでしょ? いい加減、早く判決を────」
「被告は静粛に。傍聴人の資料提示を認めます」
「ありがとうございます!」
「き、貴様……」
そして彼は事故直前のシフト表、僕と運転手さんの死亡診断書を受け取り、提示した。これで勝負あり、といった感じであろう。今度こそ勝った、という確信が持てた。もちろん被告側は何も反論ができない。僕は羽生さんとみんなに見えないように机の下で小さくグータッチした。
「それでは、改めて判決を言い渡します」
少し前まで騒がしかった法廷が静かになる。ようやく終わる、と思いながら裁判長に耳を傾ける。
「────主文、被告は原告に対し、五千万円を支払え」
勝った。倍額ということは、運転手の柳生さんの分も入っているのだろう。ふと傍聴席を見ると、伊ノ知が微笑みながらウィンクをしてきた。僕も健闘を称えあうようにウィンクをし返した。
裁判所を出ると、裁判を戦った僕らを労うかのように、夕日が差し込んできた。
「いやぁ~っ、どうでしたか生田くぅん?」
一人傍聴席に座っていた伊ノ知が問うてきた。
「マジで終わったと思った」
「ハハハハハ! そりゃあ傍聴人がいきなり喋りだしたらびっくりするよなぁ!」
「ドラマでしか見たことのない光景ですもんね……」
「ドラマでもあんな続々と喋ってこないぞ? 無理矢理うちの流れになったぜあれで」
あれはマジで会場ならぬ法廷が一体となった瞬間だった。
「でも僕は提案された時が一番びっくりしたけどな」
そう、今日の出来事以上に、あの時の彼の提案は衝撃的だった。
「────少しでもぼろが出たら不利になるからな。ちゃんと心して聞けよ」
「わかった」
「よし。俺の作戦ってのはだな、ずばり……『傍聴席を囲い込む』んだ! エキストラみたいな感じで」
「え……? それってどういうこと?」
「言葉通りの意味さ。わからない?」
「わからないから聞いてるんだよ」
突然出た謎の作戦に、僕は首をかしげた。
「要するに、傍聴人の席に俺らの一件と関係ない人はなるべく入れないようにする。そうしないと、裁判があっちに有利になってしまう」
「確かに、来風は裏で密約を交わしてそうだからな」
「そう。でもあの企業体質だから、蜜月というよりは脅迫して無理矢理『交渉』した可能性が高いと見た。後々どうなるか怖いから、裁判官すら法を捻じ曲げてしまわざるを得ないんだ。だったら傍聴席から仕掛けて、来風を追い詰めて法廷の空気を一変させれば、裁判官側も来風を支持する必要がなくなり来風を切り捨てる。そうすれば、俺らの勝利は確実だ!」
「でもそうやって決めつけちゃっていいのかな……。本当に癒着みたいなのがあったらどうするの?」
「大丈夫。癒着なんてものは絶対ない。言葉で説明するよりも当日目にすればわかる。お前のやるべきことはただ一つ。俺と羽生を信じることだ。俺らに任せておけば、裁判には絶対勝つ。だから、騙されたと思って俺の案を受け入れてくれないか?」
「……そこまで言うなら、賭けてみるよ。頼むぜ、伊ノ知!」
「お前ならそういうと思ってたぜ! 生田!」
「────今思えばカッコよすぎだろ、伊ノ知」
「そうですね~。僕男ですけど惚れちゃいましたもん」
「悪いが俺はそういう趣味はないぞ」
羽生さんの言う通り、僕が女だったら好きになっちゃうと思う。
「あと羽生さんのあれ何だったんですか? もう……」
「言ったでしょう、調査は僕に任せて、と。私は来風が無敗の原因は裁判の裏にあると踏んで、あなたも騙す一芝居を打ったわけです」
「僕は騙さないでいいでしょうが!」
「ハハハ。そっちの方が楽しいかなと思いましてね~」
「実際お前があたふたしてる姿傑作だったぞ」
そう言って伊ノ知はニヤリと笑った。「お前」は羽生さんのことだと思いたい。
「まんまと騙されたな……。君たちに……ッ」
あれはまさに、伊ノ知が起こした『いのち劇場』だった。
「でも、僕はもう二度と二人に顔向けできないですね……」
「何言ってんだよ。俺らはいつだって待ってるぞ」
「そうですよ、またプライベートで遊びましょうよ!」
「いやいや無理ですよ。僕はもう、弁護士じゃいられなくなるんです。不本意とはいえ不正に加担してしまったから……」
羽生さんは力なく僕らに呟いた。
「なんだそんなことか。お前が弁護士辞めたところで、俺の態度は変わらねえよ!」
「そうですよ、こんな不条理な世界にこびへつらう必要はないですよ!」
「み、皆さん……」
そうそう。羽生さんみたいな人がクビになるなんて、不条理極まりないよ。
「さあ今夜はいっちょ、飲みに行こっか!」
「そうですね! 久しぶりに先輩と飲めるなんて、最高!」
「今日は伊ノ知のおごりだからな! 騙された身分だし。
────あと遅くまで飲むのは勘弁ね?」
「ハハハハ! スマンスマン。じゃあ生田の家で宅飲みに変更だ!」
「それはそれで困るからやめてぇ~……」
「ハハハハハ!」
最終的には僕の家で飲むことになったが、たぶん夜遅くまでかかりそうなのでソファとキャンプ用の寝袋を用意しておいた。もうあんな目に遭うのはごめんだからな。
「さあ、祝勝会の始まりだ!」
人生で一番、長い夜になる予感がする。
その後、僕らが起こした裁判が新聞に取り上げられ、そこから芋づる式に来風通運の度重なる不正、裁判官の買収などが明らかになった。あまりにも多すぎたためか、株価が我が国史上最大の大暴落を記録し、会長などの経営陣は記者会見もせず行方不明になったのだとか。
また、慰謝料に関しては柳生さんの遺族の方々が別途でまた訴訟を起こすらしい。そして羽生さんの件だが、不正をした事情を鑑みて、情状酌量の余地があると判断されて弁護士資格はそのまま残された。
あれから何年かたち、僕もフリーターの自分を変えようと地方の中小企業に就職した。そしてたまたまヨコハマに出張に行くことがあり、久しぶりに羽生さんと会う約束をすることができた。
再会する場所はいろいろ考えたが、やはり初めて出会った時の黒豆茶の味が忘れられず、いろいろなお茶が楽しめるカフェに決めた。少し店内で待っていると、羽生さんがやってきた。心なしか、前よりも落ち着いていて、どしっとしているように見えた。でも第一声は落ち着きのない声で、
「すみません! 年上の人を待たせてしまって……」
やっぱり根っこは変わってないなぁと思わせてくれるものだった。
その後は思い出話や最近あった話に花を咲かせた。どうやら彼はあれ以来仕事の依頼が殺到し、押しも押されもせぬ敏腕弁護士として名を馳せているという。しかも先月晴れて同期の弁護士仲間とゴールインしたらしく、結婚式にも僕を呼んでくれるとのことだ。でも相変わらず仕事が忙しいので、長くは話せず一時間ぐらいで店を出て行ってしまった。僕もあまり長居するつもりはなかったため、お会計を済ませて店を後にした。
そこから僕は出張先の営業所へ向かう。あの信号を抜ければ、職場にたどり着く。あの日以来、どうしても横断歩道を渡る時に肩に力が入ってしまう。でもそんな時は自分自身にこう言い聞かせる。
「僕がこうして、生きているのは『奇跡』なんだ」
と。
ライフがもう無いと思って慎重に生きるのも大事かもしれないが、慎重になったとていつかライフが尽きる日は来る。だったらこうやって何事もなく、元気に生きていることは当たり前じゃなく、「奇跡」のたまものなんだということに感謝し、今を有意義に過ごした方がいいと思うのだ。そうすれば自然と足は前に出る。そして僕はネクタイを整えて、出張先のビルへと足を踏み入れた。
RESPAWN 緋櫻 @NCUbungei
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