第2話
馬車はまた走り出した。
何かまだ、現実感がない。
同時に、あの扉の前に立った時の、圧倒的な感覚をまだ覚えている。
不思議な感じだ。夢の中を生きているような。
(そうか……【彼】とは限らない。【彼女】かもしれない。
ヴェネトには王家とともに歴史を生きてきた、有力貴族がいる)
青のスクオーラ。
その中に、特別な女性がいる可能性はある。
王太子の結婚相手は決まっていないが、王妃は、たった一人の王子と言うこともあり、戴冠と同時に花嫁も決定したいのだということも言っていた。
近頃の夜会三昧は、王太子の結婚相手を探す意味合いもあるのだ。
しかし、他国に【扉を開く者】がいるとも思えないので、夜会の大部分は、外交的な重要性が強いだろう。王妃の中ではすでに、王太子の相手は決まっているのかもしれない。
その令嬢が、仮に【扉を開く者】だとして、王太子ルシュアンと結婚し、子供が生まれ、その子供にもし、その力が継承されたとしたら、シビュラの塔をヴェネト王家の秘術とし、管理したいのだ、という王妃の望みの一端は、ひとまずは成就するということになる。
【青のスクオーラ】……。
最近、別の所でも話を聞いた。
フェルディナントが見つけた、あの画廊のリスト。
不吉な事件の被害者が数多く載る、死のリストに、ネーリ・バルネチアの名があった。
彼を狙っている貴族なのではないか、と神聖ローマ帝国の将校が目星を立てた中に、ドラクマ・シャルタナという、大貴族がいる。
シャルタナ家も【青のスクオーラ】の一つだ。
ヴェネトの歴史ある名門。
(国の中枢に関わると、結局こういうことから逃れられなくなる)
フランスは母国だったし、ラファエルは名門の出身だったため、ある程度は社交界に関わる者として仕方がないと割り切って来たが、結局ヴェネトでもこういうことに深入りしていくことになる。
本当は人に対しての興味など、好意を持った相手にごく自然に興味が湧いて、教えていってもらうのが幸せなのだ。ラファエルも大好きな相手のための情報収集なら全く苦痛ではないが、貴族の場合、別に好きな相手でなくとも身を守るために相手のことを調べなければならないことが多い。
ラファエルは、すでに大好きなものは手の内にあった。
寛容で気の合う、主君。
生涯を共に生きていきたいと思える存在。
ジィナイースすら、すでに彼の側に戻った。他に欲しいものなど何もないのだ。
この二人を喜ばせるためや、守るためにならどんな苦労も厭わないが、そのほかの人間のためには、彼は頑張れる気力があまり湧いてこない。
憂鬱になりかけた自分を叱咤する。
ヴェネトが不幸で、行く末が不安だと、ジィナイースが悲しむのだ。
シャルタナは彼に害を及ぼすかもしれない。
それなら、自分が動く理由には十分なる。
(よし。もしシャルタナのことが収集が付かなくなったら、本当にジィナイースを連れて【シビュラの塔】の存在すら知らない、そういう国が多いような、海の遙か遠くの土地に逃げよう)
とにかくやってもだめだった場合の結論がはっきりすると、気分的にはずいぶんすっきりした。まずは【シビュラの塔】の扉が閉じていたことを、ジィナイースに話してやらなければ。随分そのことを気にしていた。
(扉のことを気にしていたということは……ジィナイースも【シビュラの塔】は【扉を開く者】を必要とすることを、知っていたのかな?)
再会し、全てのことを彼がラファエルに話しているわけではないことを、知っている。
例えば自分と別れたあと、ジィナイースが祖父のユリウスと話したこと、王妃セルピナと話したこと、一人でヴェネトを彷徨っていた間のことなどは、ラファエルはまだ聞いていない。ただそれは、ラファエルに対して彼が秘密にしているというより、心配して関わらせないように気を遣っているという印象の方が遙かに強い。
フランスに帰国し、フォンテーヌブローの城の穏やかな庭で寛ぎながら過ごしているうちに、少しずつ話してくれるだろうとは思ったが、ヴェネトにいる限り、ジィナイースは押し黙る話題も多いと思う。
(早く、ジィナイースが安心して、昔のようにいつも明るい笑顔でいられるような日々にしてやれたらいいんだが……)
城から【シビュラの塔】は森を抜ければ三十分ほどで着く。
来た時と同じように対面に座るロシェルが喋る気配がなかったので、ラファエルは馬車の窓辺に頬杖をつき目を閉じた。
今日は夜会が終われば、ネーリとアデライードを連れて自宅に帰れる。
ネーリには泊まってもらおう。
久しぶりに夜通し、ゆっくり話しながら過ごせたらいいな、と彼は楽しみに考えた。
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