海に沈むジグラート44

七海ポルカ

第1話


 馬車が止まった。

 島に入るとまた小さな森があり、その中の道を通り抜けると、突然目の前が開けた。

 神殿のような石畳が続いている。

 カツ、とブーツの踵が鳴った。

 想像していた入り口と全然違う。

「確か妃殿下からは、昔この島に守備隊を置いたとき、得体の知れない獣みたいなやつに襲われて守備隊が全滅したことがあるとか聞いたけど」

「ええ。事実です。五十人ほどいた守備隊が一夜で全滅しました」

「いつのことなの?」

「先代の王の時に起こったようです」

「ユリウス・ガンディノ?」

「はい。ユリウス様はこの島をもっと開拓し、軍用の港にしたいと若い頃思われていたようです。丁度お父上から王位を受け継がれた時に、その建設に着手されたようですが、その途上、作業員が殺される事件が起き、作業自体を中断されたようです」

 段差の低い、ゆったりとした大理石の階段を上りながら、それよりも白い、白亜の塔へと続く参道を進んでいく。

「ユリウス様はその事件を書き記し、死亡した十数名の様子も記録し、あの島に近づくことを禁ずると命令も出されておりました」

 ラファエルは足を止めた。

「では守備隊が死んだというのは……」

「……あれは我々が妃殿下をお止めするべきでした」

 先代の王の命令を無視し、【シビュラの塔】に近づき、痛い目に遭ったというわけか。

 ユリウスの若い頃ならば、まだジィナイース・テラは生まれていない。

「港を作る計画があったということは……その頃は【シビュラの塔】は、ヴェネトにとっても単なるモニュメントに過ぎない認識だったのかな」

「……。」

 ロシェル・グヴェンは答えず、先を歩いて行く。

(答えないか。答えれば、撃った時の状況が分かるもんな)

 撃とうとして撃ったのか、

 あるいは、そうでなくとも、砲撃が起こったのか。

「……もはや私が貴方に、何かを秘めることはありません。私が口を閉ざすのは、妃殿下から直接貴方にお話し下さった方が誤解がないだろうと思ってのことです」

 階段の一番上に辿り着いた。

 ――息を飲む。

 ここはいつも、霧に上空が覆われている。

 外からは塔の存在も、よく見えない。

 ここから見上げると中腹ほどまでは白いその外観が見えたが、頂は全く見えなかった。

 麓に来ると、初めて、その圧倒的な巨大さを実感した。

(それにこの扉)

 ラファエルも自国では巨大な大聖堂やら城やら船やらには慣れているはずだが――こんな巨大な建造物を見たことがない。

 扉だけで、圧倒的だ。

(一体これが、どうやって開くんだ?)

 多分フランスの辺境に育った人間が、フランスの王都の大聖堂や城を見たら、こんな心境になるのだろうか?

 神の遺産と、言われるだけはある。

 ラファエルは善悪の判断はこの際脇に置いておいて、初めてこの【シビュラの塔】に対して、自分自身としての感情を持った。

 畏敬の念、と表していいものだと思う。

 自分たちはこれと、相対しようとしているのか。

 正直なところ、こいつにどこかを、誰かを滅ぼそうと言われたら、頷くしかないような、そんな気持ちにすらさせられた。

 もちろん望んでなどそうは思わないが……神がそれを望むならば、と。

 そう思いかけて、ラファエルははっとした。ネーリの涙を思い出す。

 そうだ。

 彼は、そんなことを望んでいないのだ。

 こいつは神じゃない。

 こいつが余計な殺戮さえ行わなければ、ジィナイースはあんなに苦しまずに済んだのだ。

 彼の心を思うことで、ラファエルは圧倒されかけた自らの弱い心を叱咤し、戦おうという意志を思い出すことが出来た。

 白亜の塔の、巨大な黄金の扉。手でそっと触れてみる。

「……これは……本当の黄金で出来ているのか?」

「そのようです」

「こんなものがよく削り取られもしないで後世まで残ったね」

 ラファエルはロシェルを振り返る。

「だって、こいつはヴェネトの建国よりも前の時代からここにあったんだろう」

「そうです」

「ヴェネトがここに建国した後は守番のようにここにあり、【シビュラの塔】に近づく者を遠ざけていたのかと思っていたが……」

「私もそれは、不思議に思っておりました。【シビュラの塔】の周囲の海域は、非常に複雑な地形を確かにしていますが……この塔は本来、人の手によって守られるようなことを必要としないのかも知れない、と父が申しておりました。それどころか、人の手に触れることを、拒否し、牙を剥くことすらあるのではないかと」

「君は例の獣のことをどう思っている?」

「……わかりません。ただ、確かにこの塔……というよりこの地には……何かが住み着いている、そんな気はします。私は何度もこの地には足を運んだことがあります。妃殿下や王太子の供としてですが……長居をしたことはありませんが……しかし、何か得体の知れない気配を確かに感じることがあります」

 こんな自分の目で見たものしか信じないような男が、そんなことを言った。

 ラファエルはもう一度、上空を見上げる。

 長身の彼が首が痛くなるほど見上げても、まだ、果てが見えない。

 一体中はどうなっているのか、想像も出来ない。何があるのかさえ。

「生き物?」

「そうだと思います。王太子殿下も、確かそのようなことを言っておられました。たくさんの、生き物の気配がすると言っておられて……この場所は不気味に思われるようで、殿下はお嫌いなのです」

「たくさんの生き物?」

 ラファエルにはむしろ、しんとしていて、静かに思える。

 夜だというのもあるのかもしれないが、鳥の声も虫の声もしない。

 風と、風に揺れる、木々の音。

 シビュラの塔の存在感はさすがに圧倒的で、そういう意味では落ち着かないが、場所としてはラファエルはむしろ、嫌いではなかった。静かで、聖域のような空気がある。

 ジィナイースはこの場所をどう思っただろう。

(あの人なら……)

 きっと、ここは好きなのではないだろうか?

 短い間だが、幼い頃、ラファエルはジィナイースと色んな場所へ行った。

 彼は人がたくさんいて、楽しそうにしている、そういう賑やかな場所も好きだが、聖堂や緑豊かな森や平原、そういう静けさも好きなのだ。

 彼がどんな場所を好きだと言っていたのか、それを思い出し、ラファエル自身、彼と離れて過ごしていたこのおよそ十年、色々な場所に行くたびに、ジィナイースは好きかなあ、などと想いを馳せて来たために、ごく自然にそういう風に思っていた。

(きっとジィナイースはこの場所の空気は好きだと思うな)

 ラファエルはそう思い、そう思うことで、彼自身もこの場所に悪い印象は持たなかった。

「俺は、……例えば、竜みたいなのが住んでるのかなと思ってたよ」

「竜?」

「うん。妃殿下からその獣の話を聞いたときに、イメージしたのが竜だった。あいつら神聖ローマ帝国にしか生息しないって言われてるけど、飛べるんだろ? 他国に流出一匹もしてないとは思えないんだよね。でも、確かに神聖ローマ帝国以外の国で、うちにも竜がいますよなんて言葉、聞かないけど。

 でもいたとしても国として、発言しないと思うんだよ。

 自分たちの国以外で竜をいたずらに保有し、繁殖させようとするものがいた場合、直ちに攻撃を開始すると、神聖ローマ帝国の連中は明確な意思表示をしてるし。

 竜ってかなり知能が高いらしいよ。

 自分の居場所を決めると、そこから滅多に動かないこともあるんだとか。

 ここはヴェネトの聖域なんだろ? 聖域の守番には奴らはぴったりだ」

「なるほど」

「なるほどって考えたことなかったの? 不気味な獣が住んでるとか言われて、それが何だろうって」

「考えたことはありますが、竜、とは思いませんでした」

「そう」

「【シビュラの塔】が人知を超えた存在ですから……この塔も頂までは全く見えない。塔自体に何か住み着いているのかと」

 ラファエルはもう一度上空を見上げた。

「塔に住み着いてるって……いつから?」

 ロシェルは答えなかった。

 ラファエルは質問を変える。

「今、王太子はここが好きじゃないと言ってたよね。じゃあ、彼が【扉を開く者】ではないということかい?」

「ええ」

 一つ、明確になった。

 これは予想出来ることだったので、ロシェルも濁さなかったのだろう。

 王太子が仮に【扉を開く者】ならば、彼が三国を消滅させるきっかけを作った殺戮者ということになるからだ。ラファエルはいずれ戴冠する彼の補佐的な立場になるかもしれない。とすると、彼がそうであるかどうかは、非常に重要な問題なのだ。

 偽りを言ってもいずれ分かることであり、また、状況から言っても、王太子がこの扉を開けるならば、もっと王妃は泰然と事態を見ているだろう。

「当然、妃殿下でもなく……」

 王がどうであるかだ。

 ただしその彼も死んでいる。

 だから次にもし砲撃があるにしても、その時扉を開いて砲撃体勢にシビュラの塔を導くのは、彼でないことだけは確かだ。

 そして王妃は、別の人間がまだいるのだ、というような雰囲気を匂わせていた。

「ロシェル。これは国の命運にも関わることだから尋ねるが……妃殿下は【扉を開く者】が自分たち以外にいる、というようなことをおっしゃっていた」

「おります」

「扉が開くところを、君は見たか?」

「開く瞬間は見てはおりませんが、開いているシビュラの塔を見たことはあります」

「中はどうだった?」

「暗くて何も……この先は私にはお尋ね下さいますな」

「……。では最後に尋ねる。この国に存在する、その【扉を開く者】は、複数人いるのか?」

「現時点で明らかになっているのはただ一人とされています」

 そうか、一人なのか。

「それが分かっただけでも、安堵したよ。扉を開ける者がそんなあっちにもこっちにもいたら、どの人を見てればいいのか、身が持たない」

「私が申し上げられるのは、今各国が、ヴェネトに、シビュラの塔を私物化せぬよう、働きかけたいのでしょうが――【シビュラの塔】はヴェネトの民のものなのです。

 長い歴史とともに、彼らと共にあった。

 ヴェネトにも建国の記録はありますが、ヴェネトの民は建国よりも早くこの地にあり……国という形に縛られない状況でも、この塔を自分たちの神域とし、敬い、守り続けていたのです。

 ヴェネトはかつては、小さな部族の集まりでした。彼らは自分たちの船を持ち、海域を持ち、そこで漁をし、暮らしていた。他部族に侵されれば、戦になりもしました。

 私が思うに【扉を開く者】という存在、その誕生にも、ヴェネトのこの歴史が深く関わっていると思うのです。

 国よりも前から続いてきた、長きにわたる、水の民としての歴史……。

 前王、ユリウス・ガンディノ陛下は、五十年の治世にあり、偉大な功績を残されました。

 人の世の歴史の中でも、稀にそういう存在は生み出されることがあります」

 つまり……。


「【扉を開く者】もまた、時代が偶発的に生み出した存在だと?」


「必然であったと判断できるのは、おそらく神だけでしょう」

「……【彼】はどこにいる?」

「遠くない場所に。ですがすぐ側ではない」

「妃殿下の庇護下にあるのか?」

 ロシェルは黙った。

「君は【彼】を知っている?」

 答える気はないようだ。王妃に聞け、と言っている。

 彼は自分の立場上、そういう問いに自分は答えるべきではない、と考えているのだろう。

「【彼】は我々の味方なのか?」

 言葉は返らない。

 だが、ロシェルの表情は否定をしていた。


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