10:出涸らしと忘れ形見
こんな温室の中に立ち入ったのは学生時代以来。
私が通っていた高校には、設備が整った植物園が存在したから。
「…凄いね」
「でしょ〜?」
マシューと私と手をつなぎ、嬉しそうに歩くシエット。
三人で過ごせるのが楽しいらしい。
父親の前では子供らしくはしゃぐ彼女を微笑ましく眺めつつ、温室の中を案内して貰う。
「見て!エレナ!サボテンの花!」
「わー」
「お父様のお気に入りなの!ね、お父様!」
「えっ…あ、ああ…」
「変わったお花が好きなんですね(シエットに合わせましたね。実際好きなお花は?)」
「よく言われるよ(なぜ会話をしながらアイコンタクトができるんだ君はぁ。ちなみに一番は霞草だ)」
「どうしたの、二人とも。また目をパシパシさせて…」
「「花粉で目がかゆくなっちゃってね」」
「そっかぁ…大変だねぇ」
二人して適当な言い訳を述べて、思いっきり嘘を吐く。
真に受けたシエットはどうしたらいいか分からなくて、露骨にしょんぼりしていた。
「…(これは僕達の間では有効的な会話方法だが)」
「…(シエットにいらぬ心配をさせてしまう。彼女の前では封印しましょう)」
「…(了解)。しばらく目をパチパチさせて、花粉を流せば自然とかゆくなくなる。大丈夫。すぐに治る」
「そっかぁ。よかったぁ」
安心するシエットを確認して、互いにウインクを返す。
上出来な言い訳だ。嘘は吐いているが、シエットを安心させる為だ。致し方ない。
「…二人とも、やっぱり変なの」
「どうしたの、シエット」
「ううん。なんでも。次はあれ!ラフレシア!」
「よかった。まだつぼみだ…」
「一週間咲けばいい方で、咲いたら咲いたで激臭らしいぞ。嗅ぎに来ないか?」
「死んでもご遠慮します」
それから後もシエットの案内を受け、時々専門職らしくマシューの解説が入る。
一通り見て回った後、はしゃぎ疲れたシエットを休ませるために、中央に設置されたベンチに腰掛ける事になった。
「…すぅ」
「…疲れていたんですかね」
「あれだけはしゃげば疲れるだろう」
休憩を取り始めてからしばらく。うとうとしだしたシエットはそのままマシューの膝を枕にして眠り始めてしまった。
流石にベンチの上に蹲るように寝るのは身体が痛んでしまうだろうと、マシューはシエットを膝の腕に乗せ、抱っこした状態で寝かしつけていた。
「君の方はどうなんだ?」
「私は大丈夫です。まだ起きていられます」
「そうか。それで、聞きたいことは?あるんだろう?むしろ、君からしたらこれが本題ではないか?」
「ごもっともですね」
流石マシュー。話を持ち出す前からこの話になることを予想してくれていたらしい。
「ではまず。こんな設備をどこから…」
「元々、僕は首都の大学で植物学の研究をしていた。結婚するまでに色々と結果を出して、学会から援助金を出して貰える研究者になり…この温室を建てたというわけだ」
「色々とは?」
「色々だよ。品種の改良とか、新種の発見とか…まあ、やり過ぎた自覚はあるけれど」
前世並の技術が使用されている温室だ。並大抵の結果ではこれを作り上げられるような支援金は用意されなかっただろう。
…それ相当の結果を出していると考えるべきだろう。ただの親馬鹿ではないらしい。
では、そんな彼の原動力は?
「植物、お好きなんですか?」
「好きか嫌いかと問われたら…そうだな。普通?」
「疑問形…。せめて好きか嫌いかで答えてくださいよ…」
「わからないままなんだよ。結局、この植物に関する仕事だって、リーシェと結婚する最低条件をこなすための代物。手段なのだから」
「最低条件?」
「勲章一つ分の功績を挙げろと…。無名の男にリーシェはやれないと言われていたんだ」
「…割と無茶ぶりでは?」
「そうだな。しかしミーシャ殿…この場では姉上というのが相応しいか。彼女は十歳時点で、初めて部隊を率いてしまっている」
「げぇ…」
「同じ事を僕も考えたさ。優秀な上がいると、期待ばかりで大変でね」
「他のお兄さんやお姉さんは?」
「他の面々も、成人を迎える前に功績を挙げている」
「これはまた…」
期待される気持ちに挟まれて、苦しくなるのはよく分かる。
私も、同じだったから。
「あの、大学って…十二歳の時に通えるんですか?」
「正確には十五だな。成人後」
「早いですね…」
「前世の世界だと、十五歳の時は何をしているんだ?」
「まだ子供。大半が学校に通っています」
「大半って、どれぐらい?」
「九割ほどですかね」
「…凄いな。前世の教育を見ている君からしたら、この世界の教育や学問、文化は古めかしく感じるのではないか?」
「…」
「ノーコメントで貫く気なんだな…」
「色々頑張ったからな。それに、リーシェの事情もあったし…僕の成人年齢がリーシェのタイムリミットに近かったんだ」
「事情、ですか?」
「ああ。歴代のピステル家長女は長命ではないらしくてな」
断言しないということは、マシュー自身も誰かに聞いた程度なのだろう。
リーシェ本人か、他のピステル家の人間か…。
「亡くなる原因は病気とか、ですか?」
「それもあるが、不幸な事故に遭ったり…ただの風邪をこじらせて亡くなったりとか…リーシェも非常に身体が弱かったが、今回は事故死に相当する」
「…シエットは、どうなんですか?病気とか」
「今のところは問題ない。月に一度、軍医をしている一番上の兄さんに診て貰っているし…何かあればすぐに伝えよう」
「お願いします」
「僕らは協力者だ。情報提供は惜しまない」
「助かります。それで、リーシェさんの事情なんですけど…」
「ああ。興味があるのか?」
「多少は」
「あまり面白くはないが…いいだろう。リーシェは僕と結婚した当時、二十三歳だ」
「普通ぐらいでは?」
「この国の貴族はな…二十歳を過ぎても未婚だと、周囲からの心象がよろしくないんだ…。二十五歳になると…言わなくても分かるな?」
「理解しました」
結婚に対する価値観に関してはかなり古めかしい。
それに、彼らは貴族だ。他にも制約が色々ついているはず。
そう考えると、平民に産まれて良かったと心から思ってしまう。
「身体が弱いと言っただろう?そういう事情もあるから、リーシェは「跡継ぎが見込めない」と縁談を無かったことにされることも多かったらしくて…それでいてお義父様は格のある家から婿を取りたいとか…他にも無茶な事ばかり言っていたらしく…」
「そんな様々な条件に引っかかったのが」
「アルステン家。唯一何も決まっていなかった僕に白羽の矢が立った」
「それは何故?」
「アルステン家の人間は、先の戦争でピステル家が所有する領土を滅茶苦茶にした前科があるらしくてなぁ…」
「つまり」
「僕を婿に出すなら許すと言われたらしく…穏便に済ませるために売られた」
当時のことを思い出して死んだ目を浮かべるマシューに、なんと言葉をかけていいか分からなくなる。
「リーシェ様のことは、どう思われて」
「一緒にいると落ち着く人。目を離すとすぐにいなくなりそうな程に儚げな印象を抱いてはいたよ」
「…」
「本当にいなくならなくたって、いいと思わないか?」
「そう、ですね…」
「さて、君が聞きたかったのはこんなところか?」
「今のところは。ありがとうございます」
「つまらなかっただろう?」
「私からは何も。自分の人生を評価する権利は、自分しか持ち合わせていけないものだと思っていますから。他者から決められるものではない。絶対に」
「そうか」
重すぎることを言った自覚があった。
しかし、こうもさらっと受け流されるとは思わなかった。
まあ…これぐらいの反応をされた方がお互い楽ではあるか。
「そうだ、せっかくだしリーシェとマルコの墓に行ってみないか。温室の裏にあるんだ」
「是非」
知りたかったことを、少しずつ知っていく。
その時間はやはり、悪くはない。
マシューと共に、温室を出て…外を歩き出す。
抱きかかえられて眠るシエットは、マシューにも私にも見えないところで…
「…」
…先程まで眠っていた子供とは思えない程、目をはっきり見開いていたことに私達は気がつかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます