第2話


 しばらくして、ラファエルが戻って来た。

 彼は薔薇の女性と踊った後も、何人かに声を掛けられ、さすがにすぐに戻っては来れず、三十分ほどで桟敷へ帰って来た。

「お帰りなさいませ、ラファエル様」

「やあ、遅くなっちゃってごめんよ。一曲だけ踊るつもりだったんだけど」

「まだまだみんなラファエルと踊りたがってたよ」

 ワインを注いで、アデライードとネーリが迎える。

「素敵でしたわ。ラファエル様は本当に楽しそうに踊られますのね。見てるこっちまで楽しくなります」

「楽しくなったら踊っておいで。折角愛らしいアルテミスがこんな所で文字通り高嶺の花になってはいけない。一曲でもいいから」

「僕が一緒に下まで行ってあげるよ」

「まあ、よろしいのですか?」

「妹を頼むよ、ネーリ」

「いいんだよ。僕も下の空気見て来たいし。色んな人がいて楽しいね」

「上から君たちを見守っててあげるよ」

 妹たちが笑いながら桟敷を出て行くと、ワインを少し飲み、ラファエルは一度座ったソファから立ち上がった。

 会場がざわめく。

 別に自分が偉いなんて思わないが、こういう空気には慣れている。自分の容姿を見て女性が喜んでくれるなら大歓迎だ。

 ダンスホールに妹たちが入って来て、アデライードは少しだけ気後れを見せたが、ネーリが優しく手を引いて歩いて行く。自分が小さい頃もそうだった。ネーリは夜会に怯えているラファエルを最初からダンスホールの輪の中に放り込んだりしなかった。

まずは誰もいない庭先で自由に。次に誰も通らない回廊で少しだけ人々の気配を感じながら。初めて「ダンスホールで踊ってみる」とラファエルから言った時、最後の勇気が出ないラファエルの手をああやって引いてくれた。

 相手は僕だから、全然失敗しても大丈夫だからね、と笑いかけてくれて、実際一番最初に踊った時は、緊張でどうしようもない出来だったけど、それでも最高に楽しかったのだ。

 リードはネーリがしてくれたから、ラファエルが下手でも人の輪から外れなかったし、人にもぶつからず、気まずくもならなかった。

 何よりネーリが本当に楽しそうに踊ってくれたから、そのうちに、他の人のことなんて、どうでもいいやと思って緊張がほぐれて来た。

 ネーリ達はダンスホールをゆっくりと横切って行った。庭先に、美しく揃えられたデザートが飾られているのだ。色とりどりで、見ているだけでも美しい。まだアデライードが緊張しているようなので、それを見に行こうと言ってるのかもしれない。

 案の定、ネーリがそこへ連れて行って、色々話してやっている。

 アデライードは菓子作りが好きだから、王宮の美しいデザートに目を輝かせているようだ。

「可愛いねえ。姉妹みたい」

 仲のいい様子の二人を眺め、何気なく階下に目をやると、丁度反対側の、廊下に面した方に正装に仮面をつけただけの様子で、佇む姿が見えた。ラファエルが指を動かし、上がって来いと仕草で伝えると、彼はすぐ、会場から姿を消した。

 ふと視線を戻すと、すでに二人の姿がない。

 少し探すと、反対側の窓辺で、物陰に隠れるようにして話しているのが見えた。

 仕草から察するに、客の仮装について話しているのだろう。

 アデライードからはすっかり緊張が消えていて、楽しそうだ。


『ラファエル』


 幼いころ、踊りたくないといじける自分の手を取って、ネーリは城を探検してくれた。

 城は大人の居場所だったから、子供二人になんか、誰も注意を払わなかった。

 ラファエルは言いつけをよく守る子供だったから、入ってはいけないという場所にどんどん入って行くネーリが最初は信じれなかったが、大人が浮かれ踊っている間に、王宮の書斎や絵画の間や、食堂、騎士館、色んな所に入り込んで、いつも見ない景色を見ることは、誰かが知らない間に取り付けたラファエルの心の壁や怯えを、取り払ってくれた。

『入っちゃダメって言われたよ。

 見つかったら怒られる。

 怖くないの、ジィナイース』

 大丈夫だよ、と彼は笑った。見つかることもあった。何をしているんだと叱られることも勿論あったけど、立派な書斎や絵画の間を見たかったんだとネーリが一生懸命説明すると、やれやれ、という顔で見なかったフリをしてくれる人もいた。

 ラファエルがジィナイース・テラと一緒にいて学んだことは、

 人はきちんと話せばわかってくれる人もいる、ということだった。

 最初から決められていることが全て正しいわけじゃなく、自分次第で変えて行けることもある。変わって行くこともあると、信じれるようになった。

 夜会は秘密の坩堝で、あのままネーリがフランスに留まっていたら、色んな夜会に二人で出入りして、子供の頃のままで、本当に楽しかったんだろうと思う。

 曲が変わった時、ごく自然に男性が近づき、アデライードに声を掛け踊りを申し込んだようだ。丁寧な所作で分かる。相手に合わせて踊りは上手そうだ。あれならアデライードも安心して踊れるだろう。ネーリは気を利かせ、どうぞ、と彼女の手を男性に譲り、ごく自然に窓辺の方に避けた。

 扉が鳴る。

「折角だからもっと仮装して来ればいいのに」

 いつもの軍服に仮面付けただけなんて退屈だ。ラファエルの軽口を、フェルディナントは無視した。

「そっちの柱の陰に立ってくれる? 二時の位置に桟敷があるだろ。ここより低いから、そこからは見られない。でも気を付けてね。君と俺が談合してるなんて、思われたくないしさ。あれがシャルタナ家の桟敷だ。すでにドラクマとレイファがいる」

 単眼鏡でフェルディナントは桟敷を見遣った。

「仮装はフェニーチェ劇場で上演中の演劇【大聖堂の人々】の登場人物だよ。なかなか面白い作品だ。知ってた?」

 真剣な様子で桟敷を窺うフェルディナントは、ラファエルの言葉を無視する。フランスの貴公子は手摺に頬杖をつき、階下で優雅に踊る妹を見守りながら、小さく溜息をついた。

「……少しくらいネーリをそういう所にも連れて行ってあげなよ。彼だって芸術の好きな人なんだからさ……」

「――側にいる二人は?」

「んー。マルゾフ伯爵の格好した人が秘書のアンヴィ・メンゲル。ヘクタール男爵の格好した方が護衛のウィッチャー・バローだね」

「全く分からん」

「少しくらい演劇とかも見なよ……。

 マルゾフ伯爵は蝶の収集家。胸に蝶のブローチつけてるでしょ。

 ヘクタール男爵は金で爵位を買った元ならず者。右耳に髑髏のピアスを付けてる」

「分かった」

 単眼鏡を一度外し、フェルディナントはラファエルに視線をやる。

「リストの件で何か分かったか?」

「……オークションの購入した品目なんだけど。特に特定の人物や一族を指す法則は見つけられなかった。でもリストに意味があるなら、必ず意味があると思ってね。品目についてもう少し調べてみた。

 例えばネーリ・バルネチアが購入したのは首飾りだけど、ここ十年のヴェネトのオークションで、最も高額で首飾りを落札した人間を調べたんだ。さすがに最高額で落札すれば、記録に残る。当たり前だけど、全て有力貴族が競り落としてる。競り落とした人間を一族ではなく個人で調べてみると、色々な形で被害者との接点がある。ヴェネツィア聖教会への寄付者や信者も多い」

「人身売買のリストだと思うか?」

「何とも言えないけど。でも行方不明者が多いんだろ? 若い修道士が失踪したって、誰も気にしたりはしないよね。役者の卵や、画家もそうだ。彼らはまだ世に出ていないから、色々な所に出入りする。ろくな庇護者もなくね。その過程で何かの事件に巻き込まれたのかもしれない」

「つまり購入者が被害者で、購入した品目が買い取った人間を表わしてるのか」

「その可能性がある。もう少し調べてみるけど」

 つまり、シャルタナがもし絡んでいるのだとしたら、首飾りといえば、シャルタナを表すような、そういう過去の大きな取引があったというような仕組みだ。美術界に通じる者なら、一目で確かに分かる。

「ネーリもそうだが、リストに載ってもまだ事件に巻き込まれていない人間がいる。彼らの身辺を警護する必要がある」

「まだそういう人はかなり多いの?」

「……その逆だ。あのリストは俺たちが着任する前に記録されたものだ。着任してから、あの『オークション』はつまり開かれてない」

「君たちが警邏隊を解散させちゃったからね。要するに、有力貴族たちの便利な手足をまずもぎ取った。だから一時的に事件が止まってるってことかな」

「『首飾り』と聞いて、何か現時点でシャルタナと結び付くような心当たりがあるか?」

「まだ、もう少し調べてみるけどね。一つだけある。

 三年前にイタリア王家から流れた【青き福音】という銀麗の首飾りを、ドラクマ・シャルタナがオークションで競り落としたことがある。

 そのニュースはパリの宮廷で僕も聞いたよ。細かい装飾がよく見ると聖書の文言に象られていて、飾りにサファイアがふんだんに使われている。かつてイタリア王家の戴冠式にも使われたものだ。

 競り落とされた当時フランスでも随分話題になった。王が欲しがっていたからね。

 まあヴェネトに流れたということはイタリアが君たち神聖ローマ帝国に侵攻されて各王宮が抑えられた時、そういったものが質のいい仲介者の手に渡らなかったんだろう」

「……怪しいリストとシャルタナがつまり繋がったわけだ」

 フェルディナントはもう一度、単眼鏡で対面の桟敷を見た。

「だけどはっきりとした証拠があるわけじゃないんだろ?」

「それはこれから見つける」

「もう帰るの?」

「シャルタナを尾けて顔を確認する。動向は探るよ」

「相手は六大貴族だけど、そういうのちゃんと考えてる?」

「俺は他国の人間だ。ヴェネトの貴族の権威など知らん。知りたくもないから話すな。捕まえた後に気付いたふりをする」

「あっそう。まあいいけど、捕まえるならちゃんと証拠掴んで捕まえてね。嫌だよ、思わず怒りで殺しちゃったとかは。もう行くの? 他の貴族もたくさんいるよ。他の六大貴族の一族の人間もいる。聞きたいなら教えてあげるけど」

「今夜の獲物を逃したくない。また別の機会にな。ありがとう。恩に着る。リストのことでまた何か分かったら教えてくれ」

 フェルディナントは短く告げると、桟敷をすぐに出て行った。

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