第4話 精霊王フィロとの出会い
朝早くに王城の玄関ホールを出発したはずなのに、レイナたちが辿り着いた場所は、アルカディア王国の外れにある広大な森だった。
きっかけは、クラウスが持ってきた古文書だった。
「どうやら、あなたの“神力”に関わる情報が、この森の深部にある精霊の泉に隠されているらしい。
少し遠いが……行ってみる価値があると思う」
その提案に、セレナも「手がかりが得られるなら私も同行する」と即答してくれた。
レイナは大きめのバッグを肩にかけ、どこか気の進まなそうな顔をしながら森の入り口に立っている。
「あんまり乗り気じゃないよね」
セレナが馬を引きながら、レイナの表情を見て穏やかに笑う。
「ごめん。
ただでさえ城下をうろつくだけで疲れたのに、こんな森の奥まで探検って、私の性分に合わないっていうか……」
「ふふ、でも王城に居づらかったんじゃない?
そう思って、クラウスも早めに出発を計画したみたい」
クラウスは後ろでメガネをくいっと押し上げながら、馬車に積み込んだ地図を再度確認する。
「王国の上層部や神殿にあれこれ言われるより、情報を直接見つけたほうが話が早いからね。
森の奥には精霊が集まりやすい清廉な泉がある。
そこなら“血”にまつわる秘密も掴めるかもしれない」
レイナはどこか面倒くさそうに小さくうなずく。
「まあ、ここまで来たら仕方ないね。
せっかくなら、ちょっと観光気分で見て回るのも悪くないし」
セレナが手綱を握り、クラウスが地図を広げると、三人は馬車をゆっくり進めて森の中へ踏み込んだ。
ここは王都近郊とは打って変わって鬱蒼と木々が生い茂り、獣道が複雑に交差している。
朝日が木漏れ日になって地面を照らすだけで、すでに神秘的な気配が漂っていた。
「うわ……道なき道って感じ」
レイナは馬車の荷台からひょいと降りて、足元を枝や落ち葉がかさかさと擦れる音に耳を傾ける。
「クラウス、地図の精度、大丈夫?」
「う、うん……。
古地図だから少し誤差はあるかもね」
すると、セレナが前方で馬の手綱を引きながら立ち止まった。
「どうしたの?」
レイナが首を傾げると、セレナは眉根を寄せて辺りを警戒するように見回す。
「妙ね。
道が細くなってる。
ここで馬車を通すのは難しいわ」
「じゃあ歩くしかないか」
クラウスが苦笑いしながら馬車を樹の陰に寄せる。
「この先は徒歩に切り替えよう。
いざってときは馬車を取りに戻ればいい」
レイナはやや気乗りしない様子でバッグを背負い直し、森の奥へ足を踏み入れた。
「ちょっと待って、この森って危険な魔物とか出るの?」
セレナが表情を和らげ、「危険といえば、どこにだって魔物はいる。
でも騎士団長として、あなたを守る準備はしてるから安心して」と胸を張る。
レイナは「頼もしい……けど、自分も多少は戦えるっぽいから、いざという時は力を借りてもいい?」と訊く。
「もちろん。
あなたの力は計り知れないから、上手く使えば脅威になる魔物も一掃できるかもしれない」
「ただし乱用は禁物だ」とクラウスが補足する。
「制御の仕方がわからないからね。
ほどほどに頼むよ」
そんな会話をしながら、三人はじめじめとした小道を抜け、徐々に森の奥へと進んでいく。
木々が深く絡み合い、昼間だというのに足元は薄暗く、鳥のさえずりすら時折聞こえるだけ。
レイナは「なんかRPGのダンジョンみたい」とぼやきながら、落ち葉を踏む度にカサカサと響く音を退屈そうに聞いていた。
しばらく歩くと、クラウスが「まっすぐ進むのは危ない。
地図では右手に大きな岩があるはず……」と呟きながら周囲を見回す。
だが、指示どおりに進んでもそれらしき岩は見当たらず、かえって似たような樹々が立ち並ぶばかりだ。
セレナが溜息をつき、「どうやら本格的に迷ったかもしれないわね」と苦笑いを浮かべる。
レイナは「どこかで休憩しようよ。
お腹もすいてきたし、私こう見えて意外と体力ないんだよね」と言い出す。
クラウスが「確かに少し休もう」と同意を示し、ちょうど広めの空き地のような場所に腰を下ろした。
リュックから取り出したパンと水を分け合ううちに、なんとも言えない静けさが森を包む。
レイナはふと空を見上げ、「この辺、鳥の声も少ないね。なんだか不思議な気配」とつぶやく。
すると、風がそよぐような音とともに、目の前に花びらのようなものがふわりと舞い落ちた。
ただの花びらだと思ったその瞬間、その花びらの色合いが水色へと変わり、さらには人型の形を作り始める。
「え、何これ……」
レイナが驚いて腰を浮かすと、それはあっという間に少年の姿へと変じた。
水色の髪に金色の瞳、長い耳が妖精を思わせるシルエットだ。
クラウスは思わず息を呑んで立ち上がる。
「まさか精霊王……フィロ、なのか?」
その名前を耳にしたセレナも警戒しつつ剣の柄に触れるが、相手は楽しげに手をひらひらさせている。
「はじめまして。
人間がこんなところに来るのは珍しいな。
しかも……ずいぶん面白い力を持ってる」
レイナはその少年にまじまじと視線を注ぐ。
「えーと……人間じゃないよね?」
「僕はフィロ。
自然界と共鳴する精霊王だよ。
そっちの学者っぽい人間は確か……クラウス?
君の名前は聞いたことがある気がする」
クラウスは少し動揺しながら、「あなたが本当に精霊王フィロなら、今日ここで会えたのは幸運です。
僕たちは……」と自己紹介を始めようとするが、フィロはそれを適当にはぐらかすように肩をすくめた。
「堅苦しいのは苦手なんだ。
まあ、とにかく見てわかる通り、僕は気まぐれでここに現れた。
こっちの黒髪の子、君は……面白い匂いがするね」
フィロはひらひらと歩み寄り、レイナのロングヘアを指先でつつく。
レイナは「ちょ、勝手に触らないでよ」と嫌がる素振りを見せるが、フィロはいたって無邪気な表情だ。
「ごめんごめん。
僕、こういう力には敏感でね。
君、神の血を持ってるんでしょ?」
その言葉を聞いたレイナはもちろん、セレナとクラウスも息を止めたように固まる。
「なんで、そんなこと知ってるの?」
レイナの小声の問いに、フィロは首をかしげながら微笑む。
「そりゃわかるさ。
精霊は、君たち人間が思うよりずっと深いところで力の波を感じ取ってるからね」
クラウスは驚きを隠せないまま、「神の血に関する歴史的資料はほんの少ししか残っていない。
我々もまだ正体を掴みかねているんだが……」と口を開く。
フィロは宙を見上げて楽しそうに手を叩く。
「だったら教えてあげるよ。
神の血を持つ者は、古い時代に神々と人間の間に生まれた特異な存在。
時を経てもその血脈が途絶えず、まれに地上に現れるんだ」
レイナはなんだか現実味がない話を聞かされている気分で、思わず苦笑いを浮かべる。
「つまり、私がその特異な存在ってわけ?
努力したわけでもないのに、変な力を持ってるのはそのせいか……」
フィロは微かに笑みを深め、「力を使うかどうかは君次第。
大きすぎる力は時に自分も他人も傷つける。
でも、君はあまり自分のことをわかってないようだから、その分“期待”も“破滅”もどっちもあるかもしれない」と曖昧に言葉を濁す。
セレナが一歩前に出て、フィロの瞳をまっすぐ見据える。
「教えてくれてありがとう。
ただ、私たちはこの森で精霊の泉を探しているの。
あなたが精霊王なら、泉の場所を知っているんじゃない?」
フィロは「泉ね。
なるほど、あそこは神力に近い流れを見つけられる場所だよ」と軽く口笛を吹き、森の奥を指差した。
「でも、案内するかどうかは、僕の気分しだいかな。
最近は人間があんまり好きじゃないんだ。
森を勝手に荒らして、精霊たちを傷つける者もいるからね」
レイナは「私だって、勝手に召喚されてこの世界に来た身だし、無駄に争う気はないよ」とぽつりと答える。
フィロはその言葉に目を細め、「面白いね。
まあ、君が大きな力を持っているのはたしか。
それで森を壊したくないなら、少しだけ協力してあげてもいいよ」と言って、ひらりと身を翻した。
背後にふわりと花びらが舞い、フィロの身体がそのまま風とともに消え入りそうになるが、彼は森の奥へ向かって軽やかに跳び進んでいく。
「どうやらこっちが正解だよ。
ついてくるなら迷わないでね」
クラウスとセレナは顔を見合わせ、急いでその後を追う。
レイナは「ほんと気まぐれだなあ」と苦笑しながらも、きびきびと足を動かして森の闇に踏み込んだ。
しばらくフィロの背中を追いかけると、不思議と森の中が明るみを帯びてきた。
深い緑の木々がトンネルを作るように枝葉を広げ、その先に淡い光が広がっている。
レイナは足元の湿った土を踏みしめながら、「やっぱり迷ってたんだね、私たち」と小声でつぶやく。
やがて視界が開け、そこには小さな湖と呼べるほどの透明な泉が広がっていた。
泉の表面は朝日を受けてきらきらと輝き、周囲には色とりどりの花や草木が咲いている。
セレナが思わず息を飲むほど、その景色は美しく幻想的だった。
「ここ……すごく神聖な感じがする。
空気が澄み切っているわ」
フィロは湖畔に腰を下ろし、水面を軽く手で撫でる。
「ここが精霊の泉。
森の“境界”みたいな場所でね。
地上と精霊界の力が重なって流れるんだ」
クラウスは歓喜に近い声を漏らし、「まさに古文書どおりだ。
神力を持つ者がこの泉に触れると、何か手がかりを得られるかもしれない」と一歩踏み込む。
レイナは泉の縁に立ち、恐る恐る水面に手を伸ばした。
指先が冷たい水に触れると、かすかな震動のような波紋が広がり、泉の底から柔らかな光が立ち上る。
まるで水晶を覗き込むように、澄み切った水の奥に何かが見える。
人間の目には見えないはずの光の流れを、彼女はぼんやりと捉えているようだった。
「これ……」
レイナが声にならない言葉を漏らした瞬間、泉のほとりに涼やかな風が吹き抜け、あたりの葉がさわさわと揺れた。
フィロは子どものようにうれしそうな目をして、「やっぱり。
君の“血”がここで反応してる」と微笑む。
「要するに、神の血が流れてるレイナなら、この泉を通じて神々の気配を感じ取ることもできるかもしれない。
ただし、それは良くも悪くも、神々の世界へ近づくことになるけどね」
レイナは泉に手をつけたまま、横目でフィロを見つめた。
「神々の世界って……天界とか、そういう場所?」
「まあ、君たちがどう呼ぶかは自由だけど、神々が住む上位次元は人間に優しいだけの場所じゃない。
もし本当にそこに踏み込めば、君の力を利用しようとする存在が山ほど寄ってくるだろう」
その言葉にセレナが身構えるように泉を見やる。
「だから王国や神殿が必死になっているのね。
レイナを味方にするか、あるいは管理するか……」
フィロは視線を遠くにやり、金色の瞳を細めた。
「僕は森と精霊を守る立場だから、人間同士のいざこざに興味はないんだ。
ただ、君には森を乱さないでほしい。
いざとなれば、君は神々すら凌駕するほどの力を解放できる。
ここで見た光景をどう活かすかは君次第だよ」
レイナは改めて自分の手を見下ろす。
「正直、力を使う気はあんまりないんだけど……。
放っておいたら、それこそ誰かに利用されて面倒なことになりそうだしね」
クラウスが泉のそばに寄り、「レイナ、何か感じ取れた?」と声をかけると、彼女は曖昧に頷く。
「うん、はっきり言葉にしづらいけど……何か不思議なものに触れた気はする」
フィロは水面を軽く撫で、ふわりと立ち上がる。
「じゃあ、僕の役目はここまで。
君たちは好きにしていい。
ただし、僕の気まぐれ次第では、また姿を現すかもしれない。
面白いことが見られそうだからね」
そう言うと、風に乗る花びらのように体が淡く消えかけていく。
レイナが「あ、ちょっと待って」と手を伸ばすが、フィロは薄い笑みを残して森の風へと溶けていった。
森にしんとした空気が戻る。
セレナは泉を見下ろしながら、魔剣の柄をゆるめた手で押さえる。
「精霊王フィロ……。
本当に現れるなんて、伝承以上に神出鬼没なのね」
クラウスは頷きつつ、レイナの肩に手を置く。
「とにかく、ここまででわかったのは、君が“神の血”と呼ばれる特別な力を内包しているということ。
それをどう扱うかは君次第。
だけど、周囲にはいろんな思惑を持つ連中がいる。
これから先、どう動くか考えないとね」
レイナは泉の水滴が残る指先を眺めながら、「まあ、私としては無駄に騒がれたくないんだけど……そうもいかないよね」と小さくつぶやく。
その姿を見つめるセレナの瞳には、何か決意めいた光が浮かんでいた。
「あなたが望む自由を守るために、私はできる限り力を貸すわ。
それでも勝手が許されない場面も出てくるかもしれない。
いざという時は、私を頼って」
レイナはセレナの真剣な眼差しを見返し、わずかに微笑む。
「ありがとう。
私も、少しはがんばるよ。
……“少しは”だけど」
クラウスが小さく笑い、「そろそろ森を出ようか。
馬車の場所まで戻らないと夜になる」と地図を握りしめる。
三人は精霊の泉から離れ、再び森の中を歩き始めた。
レイナは振り返って、水面に薄く揺れる波紋を見つめる。
そこには見慣れないほど美しい景色と、フィロの残した不可思議な言葉の余韻があった。
“神の血”を持つ者として、この世界でどう生きていくか。
答えが出るにはまだ時間がかかりそうだったけれど、少なくとも彼女の視界は少しだけ広がった気がする。
音もなく降り積もる葉と花の香りに包まれながら、レイナたちはうっそうとした森を抜けていく。
精霊王フィロが見せた神秘のきらめきは、彼女の心に小さな火を灯したようでもあり、それがどんな行く末をもたらすかは誰にもわからないままだ。
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