第3話 神官ダグラスの影と王国の思惑
翌日、レイナは城の中庭で伸びをしていた。
まだ朝早いというのに、散歩をしている兵士や侍女が、遠巻きに彼女を見つめては目をそらす。
「なんか居心地悪いなあ。
……まあ、ここでの暮らしってどんなものなんだろ」
そんな独り言を漏らしながら、背の低い噴水の縁に腰を下ろし、手持ち無沙汰に空を見上げる。
昨日の街での出来事が大きく広まったのか、レイナの周囲は急に慌ただしくなった。
彼女が魔物をあっさりと鎮圧した話を、民衆が興味半分に語り始めたらしい。
まだ本人はとても“勇者”などとは思えないのに、王国としてはこの子をどう取り扱うか決めねばならない。
そこへ足早に近づいてきたのはクラウスだった。
ローブの裾を少し引きずりながら、紙束を抱えてメガネを押し上げる。
「いたいた……。
おはよう、レイナ。
朝から探していたんだ」
レイナは振り向き、ゆるく手を挙げる。
「おはようございます。
こんな時間から忙しそうですね」
クラウスはあからさまに寝不足のような顔をしている。
書物の読みすぎか、まぶたがやや赤い。
「実は、王国上層部の打ち合わせで君の話題がずっと出ていてね。
今日はぜひ神殿に来てもらいたいそうだ」
レイナは面倒そうにため息をついてから、「何するの?」とぼそりと尋ねる。
「神殿の高位神官たちが、君の力の詳細を知りたがっている。
いろいろと“神力”について調査をするんだよ。
僕も協力を依頼されているから、なるべく危険のないように進めるつもりだ」
それを聞いたレイナは、少しばかり口を尖らせた。
「測定とか、実験とか……そういうの苦手。
痛いのとかは嫌なんだけど」
クラウスは肩をすくめ、できるだけ柔らかい口調で続ける。
「確かに面倒かもしれない。
でも、わかったことが増えれば、君がどうやったら元の世界に戻れるかの糸口も見つかるかもしれない」
「……戻れる、か。
じゃあ、協力するしかないかもね」
レイナが返事をするや否や、彼女の背後から軽やかな足音が近づいてきた。
騎士団長セレナが、きりりとした顔つきで姿を見せる。
白銀色の長髪をいつも通りきっちり結い上げ、腰に佩いている魔剣が朝日に反射していた。
「レイナ、神殿へ向かうという話を聞いたわ。
護衛として私も同行するわよ」
レイナはセレナの凛とした佇まいを見上げながら、少し申し訳なさそうに頭をかいた。
「……ごめん、せっかく朝の散歩中だったのに。
でも助かる」
セレナは柔らかい笑みを浮かべ、彼女の表情をそっと窺う。
「あなたが気負わずにいられるよう、私たちが配慮するわ。
無理はしなくて大丈夫」
そうして三人は城を出て、王国の中心部に位置する大きな神殿へ向かった。
そこは光の神を祀る重要な施設で、厳かな雰囲気が漂っている。
円柱が並ぶ回廊を抜けた先には、ステンドグラスの差し込む礼拝堂があり、その中央で神官たちが待ち受けていた。
その中に、やけに静かな気配を醸し出す男がいた。
黒髪を短く整え、神官服をまとう姿はよく見れば洗練された顔立ちをしている。
しかし、背負う空気は重く、得体の知れない威圧感を感じさせた。
クラウスが低い声でレイナの耳元に囁く。
「彼がここの神官長、ダグラスだ。
先日着任したばかりと聞くが、相当な権限を任されているらしい」
ダグラスは静かに一礼してから、レイナを正面から見据える。
「朔間レイナ殿とお見受けします。
ようこそ、神殿へ。
あなたの力を少しだけ拝見させていただけるだろうか」
声の調子は穏やかに聞こえるが、その瞳には計り知れない意図が透けていた。
レイナは思わず視線をそらし、「そ、そういうのって具体的には?」と返す。
ダグラスは薄い笑みを浮かべる。
「まずは神聖魔法の結界に触れて、あなたの神力の流れを観測したい。
危険はございません。
ただ、神力が大きいと、その結界に影響を与えるかもしれませんが」
レイナは先日の水晶が砕け散った件を思い出して、少しだけ顔をしかめた。
彼女の予感が当たるなら、今回もまた何か壊してしまいそうな気がする。
それでも帰る術の手がかりを探るためには避けて通れない。
セレナが微かに不安げに見守る中、レイナは結界の中心へ足を踏み入れた。
そこは神官たちが紡いだ精巧な魔法陣が敷かれ、神聖文字が渦巻くように光を放っている。
レイナが魔法陣の中央に立つと、神官たちは声を合わせて神聖言語を唱え始めた。
言葉の意味はわからないが、その響きは礼拝堂全体に広がり、厳粛な雰囲気をさらに高める。
やがて魔法陣が淡く輝き、レイナの足元から幾筋もの光が走った。
「……こんな感じでいいのかな」
彼女が両手を上げてみると、光の筋はその動きに追従するかのように波打つ。
ダグラスは少し離れた場所で目を細め、分析のための魔法具を操作している。
だが、しばらくすると魔法陣の輪郭がまばゆく乱れ始め、床がきしむように震え出した。
周囲の神官が動揺の声を上げ、クラウスも「結界が歪んでいる……まずい!」と色を失う。
レイナは手を下げてあたふたとあたりを見回す。
「ごめんごめん、私、何もしないようにしてたんだけど!」
するとダグラスが落ち着いた口調で「心配には及ばない。
全て想定の範囲内だよ」と呟き、再び魔法具に刻まれたルーンをなぞった。
結界が振動を続ける中、彼の手からほのかな闇の気配が混じった光が立ち上る。
「本当に……強大な神力だ。
しかもご本人は制御について深く意識していない」
その言葉にレイナは「制御?どうやってやるのさ」と少しだけ声を荒らげる。
ダグラスは冷ややかとすら言える笑みを浮かべ、「まだ時期尚早かもしれない。私が直接あなたを導くことも可能だが、まずは国王と相談しなければね」と言うだけだった。
揺れが収まり、結界の光が収束すると、礼拝堂に残っていた神官たちが安堵の息をつく。
セレナは駆け寄り、レイナの手を取って「大丈夫?」と小声で尋ねる。
「うん、特に変な感じはないよ。
ただ、周りに迷惑かけてたらごめん」
レイナが少しだけ肩を落とすと、セレナは首を振って彼女の気持ちを汲むように微笑んだ。
一方、クラウスはダグラスの不自然な落ち着きに違和感を覚えていた。
通常ならこれほど結界が乱れれば神官長であるダグラス自身が慌てるはず。
しかし彼はどこか満足げで、むしろ嬉々としていたようにも見える。
その様子を見たクラウスは、研究者の勘というか警戒心をほんのりと呼び起こしていた。
儀式が終わると、ダグラスはさっさと近くの神官たちに指示を与える。
「観測データをまとめ、王に報告しよう。
そして、レイナ殿には王国の保護下で特別に学びを進めるよう提言するつもりだ」
レイナは「保護下?」と眉をひそめる。
セレナもその言い方に少し疑問を抱いたようで、目を細めてダグラスを見やる。
するとダグラスは神官らしい穏やかな声色を装いながら続ける。
「あなたの力は計り知れない。
今は王国の援助を受けることで、より適切な方法を学ぶのが理想だと考えております。
仮にあなたが独自のやり方で力を振るい続ければ、周囲に甚大な影響を及ぼす可能性がございます」
言葉は至極真っ当な提案にも思えるが、レイナはどこか引っかかるものを感じていた。
「私って……まだここのこと、そんなにわかってないんです。
勝手に召喚されて、よくわからないまま皆が期待してくるし……自由って、どこまで許されるの?」
つぶやきにも似た問いかけにダグラスは笑って、「それは王と神々が決めることでございます」と短く返す。
けれどレイナには、その笑みがまるで“利用価値を計る”ように見えた。
クラウスはレイナの腕を軽く引いて礼拝堂から外に連れ出す。
「あまり深入りしないほうがいい。
彼ら神殿サイドは王国の上層部と利害関係があるから、今後いろいろと動きがありそうだ」
セレナも後ろを歩きながら、自分の剣の柄をそっと握る。
「ダグラス神官長の雰囲気……ただ者ではなさそうね」
レイナは溜息まじりに小声で答える。
「私の意思とか、あんまり考慮してくれないのかな。
うまくやっていける気がしないんだけど……」
日常的に努力を避けてきた彼女にとって、窮屈な管理体制は想像するだけで億劫だ。
それでも、この世界で迷惑をかけず生きていくためには何らかのルールに従わなきゃいけないのかもしれない。
神殿を後にし、三人は再び城へと向かう。
道すがら、セレナが落ち着いた声でレイナに語りかける。
「あなたが望むなら、私が直接サポートしてもいいの。
王国の上層部と話をするのが苦手なら、私が間に入るわ」
レイナは驚いたように目を瞬かせた。
「……ありがとう。
それが助かるかも」
クラウスは歩きながら、彼女らを横目に見てメガネの奥で少しだけ微笑む。
「まずは落ち着いて、いろいろな角度から情報を集めてみよう。
神力の研究も私に任せてくれれば、危険な真似はさせないから」
レイナは遠慮がちにうなずく。
「そのほうが助かる。
何か……変な実験台にされるのは勘弁だし」
そのとき、ふと上空を見上げれば、王城の尖塔のあたりで黒い影が横切ったように思えた。
だが、それは一瞬の出来事で、何も気配を残さず消えていく。
レイナは気のせいだと思い、すぐに視線を戻す。
けれどクラウスとセレナは、わずかな空気の乱れを感じ取っていた。
何者かが神殿と城を往来する動きをしているのだろうか。
もしかするとダグラスが裏で何かを企てているのかもしれない。
だが、今は何も証拠がない。
レイナ自身もまだこの世界を深く知らない。
彼女が望む「自由」がどこで守られ、どこで折り合いをつけなければいけないのか、その答えははっきりしないままだった。
張り詰めた王城の空気の中で、レイナは再び“どうにかなるでしょ”と小さくつぶやく。
しかし、王国上層部の思惑と、黒い影を漂わせるダグラスの狙いが絡み合う今、そんな気楽な言葉だけでは対処できない未来が近づいている気がしてならなかった。
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