後編

 いや。

 いやいや。

 いやいやいや……!

 おかしいって絶対。

 今まで何のアクションもなく友達やってきた梨李が、なんでここに来てそんなこと言いだすんだ。

 それで……どうして僕は、のこのこと着いてきてしまったんだろうか……。

「のお~っ!!!」

 僕はラブホテルのベットに腰かけて悶えていた。

 梨李はシャワーを浴びているが、もう長くはないだろう。

 まずい。

 本当にまずい。


 ……あっそうだ、今逃げればいいんじゃないか?


 僕はカバンを漁ってスマホで時間を確認する。

 今ならバスに間に合うはずだ。

 電源を付けると過去の通知が画面に表示される。


『LOIN

 梨李:

 に げ る な よ ?』


「ひぃぃぃぃぃ~!!?」


 完全に先を読まれてるっ!?

 し、しかしどうすれば……。


「お前、何やってんだよ?」

「うわぁあああああああああ!?」

「うるせぇ!何ビビってんだよ」

 僕の目に飛び込んできたのは、バスタオル一枚のみを身にまとった梨李の体だった。

 艶めかしい曲線が、情欲を擽る。

「何やってんだは、こっちのセリフだって」

「あん?」

 それで目が覚めた。

 あまりにも露骨で滑稽だったから。

「何やってんだよ、梨李。

 こんな真似して、今更どういうつもりなんだよ」

「怒ってんのか」

「当たり前だろ!」

 僕はだんだん頭に来ていた。

 僕は変わらない。

 今も昔も梨李の気持ちなんてわからない。

 だからって、これはないだろう……!

「君は自意識過剰だっていうんだろう。

 だから妄想で勝手に言う。

 僕は君が趣味が悪い男とくっ付いたって、君が別人みたいになったって、それでも何もなかったみたいに友人を続けたってなにも言わなかった。

 どうしてだと思う?」

「わかんねぇよ……」

「君に幸せになってほしかったからに決まってるだろ!!」

 僕は吠えた。

「なのに、君はなんだ!

 これはなんだ!

 僕とベットインしてハッピーエンド?馬鹿にしてる!」

 そこまで言って、僕は初めて気が付いた。

 多分僕は、彼女のことをちゃんと好きになれたんだ。

 どうしようもなく遅すぎたけど、まだ間に合うこともある。

「君は僕を傷つけたかったんだ。

 理由なんか分からないけど、それで終わりにするつもりだったんじゃないのか」

 彼女は答えない。

「それで君が幸せになれるならそれでいいさ。

 僕に君をどうこういう資格なんてない。

 でも、これが違うってことぐらいわかるだろ。

 しっかりしろよ梨李!こんな逃げ方は認めるもんか!」

 もしかすると、これは彼女が言いたかったことなのかもしれなかった。

 なんとなく一緒にいて、なんとなく付き合って、ふたりが変わることが怖くなって別れた。

 それがひどい逃げ方だったってことを、彼女は俺に分かってもらいたかったのかもしれない。

 自分がどれだけ傷ついたのかを知ってほしかったから?

 それとも、あの日言ってほしかった言葉を、彼女は待っているのだろうか。

「分かるように言ってくれよ!

 こんな遠回りなやり方じゃ全然わかんないんだよ!

 ちゃんと言葉で言って、ちゃんと態度で示してくれよ!」

 僕はあの日、ひょっとすると、彼女にちゃんと止めてほしかったのかもしれなかった。

 梨李は泣きそうな顔をしている。

 「自分とは違う他人に心を奪われるんだから、恋ってのは地獄だぞ。

 やっと俺の気持ちが分かったか、ばーか」

 でも、それが悲しそうに見えないのは、どうしてなんだろう。

「終わりにしようぜ」

 梨李はそう言って、きれいに笑って見せた。

 


 梨李と別れてからのことはあまり記憶がない。

 タクシーを使って帰ったらしいことと、相当落ち込んでいたのか、母さんの結婚しろ口撃がぴたりと止んだことだけはなんとなく覚えている。

 気が付けば、帰りの飛行機に乗り込んでいた。


 正月休みも明日で終わろうとしていた。

 僕は目覚まし時計を止めて、芋虫の様に布団から這い出る。

 時刻は9時ぴったり。寝正月はさすがに勿体ないと思いこの時間に設定したものの、正直やることもない。

 明日になれば仕事が始まる。

 そして、何を失っても必ず明日はやってくる。

 日々で摩耗で胸の痛みが削り取られるのを待つことにして、僕はもう一度布団に潜り込もうとした。

 しかし、僕の就寝をインターホンの音が阻む。

「正月だぜ……?」

 まさか正月からセールスということはないだろう。

 なら、宗教勧誘だろうか?

 僕は音をたてないように覗き窓を見る。


 そこには女が立っていた。

 大きな眼鏡にお姫さまカットの、ちょっと野暮ったい女だった。


 気が付いた時には扉を開けていた。

「な、なななな、なんでここに居るんだよ!?」

 学生の頃の姿、学生の頃の言葉の遣いで現れた梨李は事も無げに言って見せる。

「終わりにしようって言ったでしょ」

「なっ、なんだよそれ!?

 だからわかるように言えって!」

「あっ、そっか。

 言葉にしないのは私の悪い癖だね」

 質の悪い夢を見ているようだった。

 まるで今までの数年間が存在しなかったような歪な感覚が湧き上がってくる。

「君がようやく私だけを見てくれたから、やり直しに来たんだ」

「やりなおしにって……。

 君は終わりにしようって言ったんだぞ。

 僕との関係を終わりにするんじゃないのかよ」

 言葉では疑問を投げかけつつも、薄々事態が掴めてくる。

「私、終わりにしようとしか言ってないよ。

 終わりにするのは、あの遠回しなかかわり方。

 君がちゃんと好きになってくれたんだもん。

 これからは、ちゃんと恋人になるんだよ」

 梨李はいたずらが上手くいった子供が浮かべる、花が咲いたような笑顔を見せた。

「付き合い始めたころ、君が私のことをいつか振るのは分かってた。

 そうやってきれいに関係が終わって、君が勝手に前を向いちゃうこともわかってた。

 そんなの嫌だもん。

 だから君が私しか見られないよう、君を振り回して、私しか残らなくなるようになるまで待ってたんだ」

 仕返しもしたかったしね、と彼女は舌を出した。

 なんだよそれ。

 人を何年も弄んでおいて、自分はすっきりして、それから付き合おうだって?


「私に恋して、地獄に落ちてね」


 彼女は恋を地獄だと言った。

 そして僕に共に堕ちろと言う。

 滅茶苦茶だ、どうかしてる。

 でも。


 悔しいことに、今の僕はすっかり彼女に惚れてしまっているわけで――。


 だめだ、怒りと喜びで脳がシェイクされて気分が悪くなってきた。

 目を白黒させて黙っている僕を見て、梨李が段々と焦り始める。

「ま……まさか、今ので嫌いになったなんて言わないよね……?

 た、確かによく考えたら酷い手口かもしれないけど、これしかないと思ってたっていうか、他にどうしようもなかったと言うか……!

 お、お願い!OKされる前提でアパート引き払っちゃったの!仕事も辞めてきたし!

 断られたら路頭に迷っちゃうんだよぉ〜!」

 本当に、とんでもない女に惚れてしまったらしい。

 半泣きになっている梨李に、僕は最後の問いを投げかける。

「住所、どうやって知ったのさ……」

「えっ、きみのお母さんに聞いたら教えてくれたよ?普段から結構話すし」

 だから帰りは結婚がどうこう言ってこなかったのか!

 最悪の真相だ……。

 おろおろとしている梨李は、あの頃と全く変わっていない。

 僕達は一歩も動かずに、背中合わせで立っていたのだ。

「梨李」

「は、はいっ!?」

 僕はこれ見よがしに特大の溜息を着いた。

「おかえり」

 旅行鞄を拾い上げて、家の中へと運び込む。

 背後から聞こえるやったぁ~!と言う声に綻ぶ顔は彼女に見えない。

 僕の最後の抵抗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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帰郷 渡貫 真琴 @watanuki123

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