第15話 結びつきと沈黙

 頭をそっと撫でてやると、うぅ、とよくわからない呻きのような声を発しながら、べそべそ泣き出してしまった。

「志澄……しすみぃ……!」

「な、なんだなんだ、泣くなって」

 よしよしつらかったな、と、子供をあやすみたいに言い、もふもふした赤髪を繰り返し、撫でさする。

「うー……!」

 しばらく号泣していた烙理が、おもむろに頭を上げる。

 その顔は涙と鼻水でべしょべしょになっていた。

「うわっ! べちゃべちゃじゃないか。ハンカチ、あったかな」

「いらない。コミチのは」

 ポケットを漁ろうとして、烙理に仏頂面で止められる。

「さすがに傷つくよ、それ」

 眉根を寄せ、でも拭きたいでしょ、と問いかける。

 不承不承という感じを隠そうともせず、うなずく。

「おー。怖がってるトコ申し訳ねえが」

 祥先輩が、木島さんの後ろから急に顔を出し、会話に挟まってきた。

「そろそろいい加減、風呂に入ろうと思うんだ。――で、たぶんコイツもついてくる」

 ものすごく嫌そうな顔で、立てた親指を久々利に向ける。

「うぇッ!?」

 烙理が怯えた顔で数歩、後ろに退がった。

「ぜ、絶対ヤだ! こんな奴と、いっしょに入るなんて!」

「おやおや。恥ずかしいんですか? 見られるの?」

 にまにまと緩んだ口元を、手で隠す。

「可愛いですねえ。花も恥じらう乙女じゃないんですから、別に構いやしませんでしょう」

「違うよ! お風呂ってつるつるするから、いざというとき逃げられないじゃん!」

「何だい、いざというときって」

 木島さんがツッコむ。

「特に何も起こらないだろう」

「さっきまでのやり取り、ホントに見てた? ボクのことキライ過ぎでしょ」

「因果応報ってことわざは知らないのかな? まだまだ勉強不足のようだね」

 とはいえ。

 いがみ合っていた相手から、つと目を外す。

 久々利に視線を、一瞬だけ投げかけ、すぐに祥先輩へと戻した。

「僕もはっきり言って、不安です。主に、祥先輩と久々利さんがまた浴場でもケンカして、つるっと足を滑らせないか。あとやっぱり、……四ツ角君が、今度そうなったときは、巻き込まれてしまうんじゃないかと思ってしまって」

「ダイジョブですよ」

「おう、心配すんな」

 つい先刻まで、すぐそこで大立ち回りを演じていた張本人たちが、そろってひらひらと手を振る。

「信用できませんね」

 ジトッとした目。

「今思ったんだけどさ」

 烙理が思いついたように割り込んでくる。

「ボクにも、それ言ってたよね。信用できないって。人間不信なの、コミチって?」

「!」

 木島さんの肩が、かすかに上下した。

「……」

 口を開きかけ、またすぐに閉じる。

 何度かそれを繰り返し、ぎこちなく口角を上げる。

「ちがうよ。人間すべてが、信じられないわけじゃない」

 ただ、胡散臭い奴らが周囲に、たまたま多くいるだけさ。

 ジョークとも本気ともつかない声音で、そんなことを言ってのける。

 どこか、湿度の高い実感、のようなものが、そこにはやけにこもっていて、まじまじとその瞳を見つめる。

「ふうん」

 ま、いいや。

 烙理が軽い口調で言って、祥先輩の横に移動する。

「なんだかんだ言ってもさ。お風呂入んないと、血まみれだし、みんな帰れないんでしょ? イヤだけど、行くしかないよねえ」

「そうですよ」

 久々利がうなずく。

「経緯はまあ、簡単にではありますが、聞きましたよ。祥から」

 ちらりと、こちらを向く。

「まさか本当に、『友達がほしい』という動機で召喚していたとは。いやはや、呆れる――とまでは行きませんが、何といいますか」

 難しいですねえ、と、首をひねる。

「私にもそういう、純粋さがほしかった、とは思いました。そうしたら、案外私にもあっさり、友人が持てていたのかもしれません。百人くらい」

「お前マジか」

 祥先輩がびっくりしたように彼を見る。

 どちらかというと、ドン引きと言った方が近いかもしれない顔だった。

「儀式に使う血ィ、ぜってえ物騒な手段で集めるつもりだろ。想像がつきすぎるぜ」

「確かにそうするでしょうが」

「うへぇ」

 こともなげに放言し、でもですね、と、木島さんとおれに、交互に視線をよこす。

「この二人だからこそ、この儀式は成功した――私にはそう思えて、ならないのですよね」

「……?」

 木島さんが首をかしげる。

「どういうことですか?」

「いや、別に。感覚的なものです」

 目を逸らした久々利のかわりに、烙理がうなずく。

「そうだよ」

 話に再度割り込み、あっさりそれを、肯定する。

「ボクがもともと、志澄と縁があったから、スムーズに呼び出せたんだと思う。他の奴らだったら、も少し苦労してたんじゃないかな。というか、普通に死んでた。二人とも」

 断言する。

「だってあの儀式、ホンモノだもん」

「……え?」

 木島さんが、眼鏡のフレームをつまむ。

「そうなのかい?」

「あッきれた。何で今更驚いてんのさ」

 声が、途端に尖る。

 見下すような口調。

「あれを実際に行動に移したってことはさ。ある程度、確信があったってコトでしょ。マジで呼び出せるって」

 おれを指差す。

「準備にかかるリスクが高いほど、ああいう儀式の成功率は高いんだよ。好きなホラー作家の言ってたことの、借りパクだけど」

 それとも何?

 志澄にあれだけの血を使わせておきながら、パチモンの方法で、どうせ『友達』なんて出てこないって思ってたの?

 黒く光る瞳。

「だとしたら、ねえ、……ちょっと怒っちゃうよ」

「……」

「ボク、志澄のこと、なんだかんだで大事に思ってるの。。今日、出会ったばっかりの、あんたと違って」

「え」

 ずっと、見てきた?

 どういうことだ、と訊こうとしたところで、ふと、思考が止まる。

 そういえば。

 血を吸われたときに、彼が言及していたことを、脳裏に浮かべる。

『何か、特別な結びつきがある人間の血は、この世のなかで、もっとも美味しいものに近いんだって。ばっちゃが言ってた』

 他にも、思い当たるふしがあった。

 自分が入浴をするときに、いつも首の傷に包帯を巻いているのも、彼はなぜか、知っていたのである。

「烙理……」

 お前は、いったい?

 問いかけようとしたところで、久々利が、眉を吊り上げておれのほうを見た。

「ほう。そうなのですか?」

 先ほどの、志澄くんの言と矛盾していますが?

 問いかけに、赤い舌を出す。

「あんたには教えないよーだ。けっこう、重要なことなんだからね」

 同時に、数歩下がる。

 また捕まえられて吐かされるのではないかと、警戒している様子だった。

「そんなに怯えなくても、無理には訊きませんよ」

 苦笑する。

「そなんだ」

 近寄ってくるそぶりは、なお見せないままで、問い返す。

「あんたにしては、ずいぶん大人しいね? めずらしっ」

「ふふ」

 寂しそうに、目を細める。

「まずは、先に、大事なお友達に教えてあげてください。私の優先順位は、そのあとで結構ですので」

「……」

 はあい、と、かったるそうに首肯する。

「コミチ。あんたがもし、志澄のこと、大事に思ってるんだったらさ。まず、ボクに認められてからにしなよね。そうじゃないと、お話にならないよ。いや、させない」

 挑発的な言動。

 腕組みをし、じっと、木島さんを見下ろす。

 いつもなら、彼が応戦し、皮肉合戦が始まるような局面だった。

 ――だが。

 意外なことに、あからさまにマウントを取られているのにもかかわらず、何も言わない。

 無言で、眼鏡を押し上げる。

 うつむく。

 前髪に隠れて、表情は読み取れなかった。

 想定していたのよりもはるかにナーバスな感じの態度だったらしく、烙理が気まずそうに頬を掻く。

「張り合いがないなあ。黙っちゃった」

 唇をちいさくとんがらせ、言い返さない木島さんを、じっと見つめる。

「ま! 志澄に食糧係って言っちゃった、ボクが大口叩ける立場じゃないのも、分かってるよ」

 気分を切り替えるように、軽く頭を振る。

 そして、問いかけた。

「コミチ。質問なんだけどさ」

 ――どうして、あの儀式をやろうと思ったの?

       ◇

「……」

 木島さんは黙ったままだ。

 口を開く兆候は、全くと言って良いほど見受けられなかった。

 蒼白な顔。

 何か異様な気配が彼から発散されている気がして、両腕をさする。

 さっきから木島さんは、どこか、ヘンだった。

 手にいつの間にかできていた、祥先輩曰く日常的なものらしき傷。

 久々利に蹴られたおじさんを助けに行ったあとの、『助ける』ことへの過剰な、執着めいた感情の発露。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 銀縁眼鏡の奥の眼が、ぎらぎらと、静かに光っている。

 烙理をしばらく睨んだのち、その視線が、おれへと向いた。

 瞳の光が、ほんの少しだけやわらぐ。

 それでもなお、気圧されるような鬼気迫った色が、そこには依然として残っていた。

 ふるえる唇が、ゆっくりと開く。

 そこから言葉が発されようとしたところで、祥先輩が見かねたように、口を挟んできた。

「おーう、烙理。気になるのは分かるんだがな。一回、浴場行って、身体洗ってから話ィしねえか?」

 そろそろ、嗅覚がマヒしてきたぜ。

 鼻をつまむ真似をし、お前にとってはいい匂いなのかもしれねえけどよお、などとふざけながら、烙理の鼻にも手を伸ばす。

「みゃッ!」

 妙な声を上げ、烙理が手を払いのける。

「息できないじゃん! やめてよ!」

「おや。怪異なのに、呼吸は必要なのですか? 首を絞めて窒息させても平気なくらいに思っていましたがね」

「ボクのこと何だと思ってるの!?」

 ずざざざざッ、と派手な足音を立てて、かなり遠くまで距離をとる。

「やっぱこわいよ、このひとッ! ショウ、もう帰らせてよっ、なんとかして!」

「何言ってるんですか、ラクリくん。私まだ、今日来たばっかりなんですけれど」

 黒手袋をした手を、口元にあてる。

「さ、とっとと行きますよ。私は早く、風呂上がりのコーヒー牛乳が飲みたいんです」

 素早く近寄り、赤髪の襟元に手を伸ばしかけてやめる。

「ああ、首が絞まるんでしたね。じゃ、手をつなぎましょう」

「嫌」

 眉間にシワ。

「苦しくないだけマシでしょう。ほら」

 手を差し出す。

 爽やかな笑顔に、悪意が滲み出ている。

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