第13話 久々利と祥
しかし。
目を眇める。
「関係性ではなく、素姓について訊いたのですがね。まあ一旦、目を瞑っておいてあげましょう」
片頬を、思いっきり上げる。
向かって右側の目が、不自然に細まった。
「むう。うまく行きません。ウィンクは苦手なのですよね」
気を取り直して。
烙理の前に、長い脚を曲げてしゃがみ込み、ひとの好さそうな笑みを浮かべる。
「……何さ」
「怖くないですよぉ。よしよし」
気休めじみた、赤ん坊をあやすような甘ったるい声で、頭を撫でる。
無理があり過ぎるなだめ方だった。
烙理が、身を縮こまらせる。
祥先輩にスキンシップされているときよりも、明らかにおびえている仕草。
「怪異でも、人間におびえるんですねえ。愉快愉快」
さして面白くもなさそうな仏頂面で、まあいいでしょう、と独りごち、鼻を鳴らす。
そして、こちらに話を振った。
「きみ。ちょっとお聞きしたいのですが」
「何ですか?」
わしゃわしゃと赤い髪をかき混ぜながら、穏やかな口調で言う。
「この子、私がもらってってもいいですか?」
「……え?」
何だって?
事態が、うまく飲み込めない。
「どうして……」
「この子、いろいろと使えそうなので」
さばけた口調で、言い放つ。
「いいですよね?」
有無を言わさぬ口調。
黒い瞳が、ぎらりと光る。
「せっかくここで会えたのですし。良い関係を築いておきたいのです」
言葉とは裏腹に、その眼には、朗らかさや親しみやすさは欠片もない。
これがほしい。
だから、レジに持って行く。
そんな、当たり前の手続きを踏んでいるのだとでも言わんばかりの口調。
自分に引き渡すのが、ごくごく当然の成り行きであると。
そう、言わんばかりの。
震える脚が、一歩退がりそうになる。
「ねえ? いいですよね?」
なんとか、踏みとどまる。
口から出した最初の音が、明々白々に上擦った。
「でッ、でも。おれ達、今日、会ったばっかりで。そんな、いきなり、連れてくって言われても――」
「今日会ったばかり?」
訝しげに、復唱する。
「なら、私との関係性と、さして変わらないではないですか。ちょっと、おっしゃった言葉の意味が理解できないのですが」
あからさまに見下げた感じのする、うわべだけの慇懃な敬語。
「どうして、そちらだけが友達、と名乗れて、私が仲良くするのは駄目なのですか? なんだかすっごく、不公平な感じがしますねえ」
すっごく、の部分に力を込めて、唇をゆがめる。
「不愉快ですよ。明確に理解できない線引きが、私にはひどく、幼稚に思えます」
「……」
とっさに返す言葉が見つからず、うなだれる。
言われてみれば、その通りだった。
おれだって確かに、彼とは会ったばかりだ。
友達、とはいえど、あくまで出来立ての、出来合いの、関係。
(何が違うんだろう)
脳内で必死に抵抗をし、反論を組み立てていた自分が、立ち止まりそうになっているのを知覚する。
「名前も似てるし、いいじゃないですか。私の方が、はっきり申し上げまして適格でしょう。ククリさんですよ、ククリさん。可愛くありませんか? ねえ、ラクリくん」
蒼白になった烙理の頭を、これ見よがしに優しく撫でる。
色をなくした唇の奥から、かちかちと歯のぶつかり、鳴る音。
「い……いやだ。ヤだ」
やっと開いた口から、拒絶の言葉。
「ふふ」
わずかに、声を立てて嗤笑する。
が、久々利はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、目をますます細めて、烙理の頭に乗せた手に、力を込める。
みし、と、握りしめられた頭蓋の軋む音が聞こえた。
「……!」
声にならない悲鳴をあげる。
自ずから親睦を深めたい、といっている反面、彼は、その相手を痛めつけることをもまるで、
さながら、脅迫、
彼――久々利の放つ殺気は、どんどん重苦しさを増している。
「ち、違うんです!」
あわてていることを自覚しつつも、必死に言い募る。
「この子は、おれが召喚したんです。だから、会ったばかりでも、関係性としては、わりとあるほうで」
「ほう? 召喚、とは」
興味深いですね。
語尾を微妙に伸ばしてそう言い、こちらに手を添えた片耳を向け、傾聴のジェスチャをする。
「詳しく聴かせてくださいな。どういうふうにやったんですか?」
烙理に確認を取る。
「話していいか?」
一瞬だけ、木島さんの顔が脳裏によぎった。
が、すぐにかぶりを振って、それを打ち消す。
ここは、一人でけりをつけなければ。
あのときは強気だったけれど、それでもなお、積極的に巻き込むのは避けたかった。
(何より)
こくり、と、ちいさな動きでうなずき返す姿。
不安そうな目で、地べたからこちらを見上げている。
初対面のときの不遜な態度は、今や、雲か霧のように消え失せてしまった。
瞳の表面には、よく見ると、わずかに溜まった涙。
(……)
口の中だけで、ちいさく、彼の名を
(守らないと。この怖いひとから、烙理を)
守る、なんて言葉が、この怪異に向かって使ってもいい表現なのか、適切な感情なのか、分からなかった。
ひょっとしたら、はなはだ場違いなのかも知れなかった。
まるで、普段の生活における、一般的な世界における、おれ自身の存在みたく。
けれど。
守りたい。
その気持ちだけがただ、おれのコミュ力とか恐怖心とか、そういう諸々をとうに飛び越してしまって、胸郭の内側で渦を巻いていた。
さながら、制御不可能な激流。
「早く話してくださいよ。興が冷めますねえ。コンビニから徒歩で持って帰ったフライヤーフードのように」
よく分からない冗談を言い、ふん、と鼻を鳴らす。
「もう少し、洒落のセンスを磨きたいものです」
その視線がふいに、おれの頭上に移った。
「……おや。やっと来ましたか」
背後を振り仰ぐ。
「おい。そこまでだ、
祥先輩が、おれと彼とのあいだに身を滑り込ませた。
下がってろ、と、低い声で告げる。
おれは静かに、その通りにした。
「せっかく対峙してくれてたところ、悪いんだけどな。こいつは、――俺が退治しねえといけねえ、相手なんだわ」
振り返ったサングラスの奥の目に、怒りの炎がちらついている。
「まあ」
両手で口元を覆い、ぱちぱちと大げさに、目をまたたく。
「私より、洒落が上手いではないですか。素晴らしい。妬ましいですね。韻が踏めています」
「黙れ」
中指を突き出すと、眉をしかめる。
「下品なハンドサインですこと。人格がよく表れていますね」
「寿敬。冗談吹くのはそこらへんにしとけ。温泉に来た意味がなくなっちまうくらいに寒い」
「おや」
とがったおとがいを上げ、見下すように、祥先輩に相対する。
くすくす、と嫌味ったらしく、口元を手で覆い隠す。
「祥。おひさしぶりです、お元気でしたか? 相も変わらず、そこらへんの底辺にてあぐらをかいているようですが」
「きゃらきゃらうるせえよ。下手くそなライムが聞き苦しいわ、猿真似野郎」
わざとらしい舌打ち。
「いいか寿敬」
びっ、と、立てたままの中指をそのまま、久々利に突きつける。
「今テメェがガタガタ言わせてるそいつは、大切な俺のおもちゃだ。あ間違えた、大切な恋人だ」
「普通その二語を取り違えますかね? ぬるま湯の環境にかまけて、老化が進んでいませんか?」
おちょくる姿勢を崩さずに、小首をかしげる。
おほんッ、と、取り繕うように一つ、咳払い。
ハート形のサングラスを、乱雑に折り畳んで、ぶかぶかしたズボンのポケットに入れる。
「今のは、まあ、言葉のアヤだ。聞き流しといてくれ」
ひらひらと手を振り、もう一度言う。
「俺のおもちゃを、返しやがれ、クソバイオレンス狐目」
一言一言に、異様なほどの語気を込めて、凄む。
ただ、再び烙理のことをおもちゃと言い間違えているからか、その威力はいささか弱まっていた。
「あーくそ……」
唇をへの字に曲げ、気まずそうに、渦中の彼のほうを見る。
うれしいのか悲しいのか怒っているのか、とてつもなくビミョーな表情をして、先輩にむくれっ面を向けていた。
むう、と唇を突き出し、目線を下げる。
「なにさ。結局、そう思われてるってことじゃん。さっき車ん中で、めっちゃ真剣な表情してたくせに」
「なッ!?」
祥先輩の眉が吊り上がる。
「あれは本気だ! 本当に本気なんだ!」
「ウソつかないでよ! ホントにピュアに愛してるんなら、おもちゃなんて言わないでしょ、絶対!」
すごい勢いでそっぽを向く。
「もう知らない、ショウなんて! きらい!」
祥先輩が膝から崩れ落ちた。
「さ、さっきよりもダメージがでけえぜ……」
けど。
長身の男のほうに、あごをしゃくる。
「いいのか? 俺がお前を助けるのをやめたら、お前、そっちのヤベぇ暴力敬語野郎んとこに強制送還だぜ」
「ひっ!?」
肩を震わせ、おそるおそるそちらを見上げる。
「うふふふふふ。可愛いですねえ、小動物みたい。握りしめたくなっちゃいます」
わきわきと両手の指を、見えないちっちゃな毛玉でも揉みしだくみたいに、気持ち悪い動きで眼前に迫らせる。
「わあぁッ!?」
烙理が地面に腹を向け、乳児のハイハイみたいな姿勢で、彼から逃げようとする。
「ふふふふ」
数メートル離れたところで、同じ体勢になった久々利に即座に追いつかれていた。
後ろから押し倒すように抱きつかれ、身動きを封じられる。
「んにぃっ!?」
妙な声を発し、うつぶせにべたりと、床にはりつく。
「んー可愛い。このままずっとこうしてたいですねえ」
「やめてぇ! こわいこのひと! ショウたすけて!」
「何してっだテメェ!」
声を荒げ、呼ばれるまでもなくダッシュで止めに入る。
「嫌がってんじゃねえか! やめろ、離れろコラ!」
「嫌がられてるのはあなたもでしょう? 嫉妬は見苦しいですよ」
勝ち誇った笑み。
祥先輩の口角が、ぴくぴくと引きつれて上がる。
「……るっせえ」
「?」
ゆらりと、その大柄な体躯を揺らす。
「やかましいわ! 嫉妬じゃなくて俺が許せねえから離れろっつってんだ、このクソドヘンタイが!」
右足を、ものすごい速さで振り上げる。
何となく、木島さんとその姿がダブる。
(あっ)
木島さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます