友達になれますか?
天萌 愛猫
第1話 陰キャと転換点
ソーシャルとは、おれ込みの定義ではない。
大学に入ってから、よりいっそう、その事実を思い知らされた。
雪がちらつく、駅のホーム。
何かから逃げるような早足で、電車に乗り込む。
ひそひそと、ささやく声。
それらが全て、自分に向けられているんじゃないか、なんて、錯覚をする。
(いつものことだろう)
自分に言い聞かせる。
毎度のことながら、それでも、手は震える。
よく聞き取れない音の渦が、耳を通って、脳の中で乱気流を起こす。
いたたまれなくなり、ただ、順番に前に出てくる、履き古したスニーカーを見つめる。
原因は自明だった。
服装にいくら気を遣っても、らしくもなくスキンケアだって始めても、これのせいで、全てが意味をなくしてしまう。
「ママー。あのひと、髪長いね。女のひと?」
「しっ! 見ちゃダメ、黙ってなさい!」
無邪気でごもっともな指摘が、くぐもった声で押さえつけられる。
それが、インターネットでよく見かける構文に似ていて、ますます肩身が狭くなる。
なんとか、空いている席に腰を下ろす。
居心地悪く、もぞもぞと身じろぎしたところで、顔をしかめる。
「痛っ」
それを、尻に踏んづけてしまったのだった。
(こんなところでまで、おれの邪魔をする)
涙が出そうになって、ぐっとこらえる。
ただでさえ、不審者めいた風貌なのに、ここで泣いたら本格的にヤバい奴だろう。
うなだれると、視界に、黒いシャッターが下りる。
どうせ自分には似合わないだろうと、ヘアピンなどは、あまりつけないようにしている。
その弊害を感じることが多い日常だったが、表情を隠してくれるという点で、今だけは、重すぎる前髪をありがたく感じた。
(無責任な遺言だよなあ)
恨み節が洩れそうになる。
けれどすぐに、それは良くない、と、思い直す。
小さい頃よく遊びに行っていた、母方の実家の赤い屋根。
古びたそれよりも、格段に鮮やかなかんざしを挿した玉ねぎ頭が、脳裏で微笑む。
『
そう言われるがままに
(罰が当たる。この人生で唯一、心の支えでいてくれたひとなんだから)
両親は幼い頃に離婚し、母が女手一つで、育ててくれていた。
けれど、今は、別居している。
「そのほうが、自由でいいでしょう」
ほら、もう、大学生だし。
合格が決まって、息せき切って帰宅した日。
母は自分のスマートフォンに目を落としたままで、淡白にそう言った。
リビングの椅子にもたれかかった顔は、無表情。
いつもなら、特に気に留めない。
けれどこの日だけは、胸に太い杭のように、刺さる。
昨晩の食器がシンクに残っていたので、片付けながら、褒めてくれるのを待つ。
こびりついたカレーはなかなか落ちないので、苦労する。
特徴的なスパイス臭に混ざる、洗剤の苦い匂い。
誤飲防止のためにそういう、とても飲み下せないような物質を配合しているというのを、経験則から知っていた。
思い出しただけで吐きそうになっていたのも、今は昔。
そんな馬鹿なことは、もう二度としない。
(おばあちゃんのためにも)
オレンジの甘い香りを、すっ、と吸い込む。
消えない、苦い記憶。
一度それを認識すると、たとえどんな幸せに包まれていても、その本質がちらつくようになる。
まるでひととの関係の、暗喩のようだと思った。
着信音。
母の携帯が鳴っている。
あらかじめ分かっていたように、すぐに、電話に出る。
「はあい。……うん、うん、……」
しきりに頷きながら、部屋を出て行く。
バリトンの耳慣れない声が、わずかに、通話口から聞こえた。
ドアの向こうに消えるショートカットの横顔を、見つめる。
華やかな表情。
ああ、彼女も辛かったのだ、と、そのとき急に気づかされた。
「うん、分かったよ」
誰もいない、リビング。
遅れていた返事が、宙を漂う。
「ごめんね」
口角を、ぎこちなく上げる。
しばらく待っても、戻ってくる気配はない。
自室の扉を閉めてからやっと、涙が一滴だけ、頬を伝った。
このまま、ぼろぼろ泣いてしまえるほど、余裕はなかった。
記憶をしまい込んでフタをしようとしても、時、すでに遅し。
さらに昔の嫌な記憶が、外へどろりと、漏れ出してきている。
◇
「もう、オレに話しかけてくんなよな」
親友だった男子から突然、突き放すような声音で言われた。
立ち止まる。
言われた意味がうまく、飲み込めなかった。
黒いランドセル越しの後ろ姿。
「ずっと、言えなかった。もうオレたち、絶交しよう、って」
自分たちの前を歩いていた女子が、その男の子に声をかける。
おう今行くぜ、待っててな、と返事して、走り去ろうとする。
「待って……!」
必死の呼びかけに、のろく振り返る。
逆光になった顔の中で、唇だけが真一文字。
ヒョウ柄のキャップがその目もとに、黒い影を落としている。
「なんで? ぼく何か、わるいことした?」
ごめんなさい。
そう、謝罪する。
「……ちげえよ」
声が降ってくる。
苦虫を噛み潰すような。
「ずっといっしょだったから、ウワサされてたんだよ。あの女男とデキてる、って」
「え……」
顔を上げる。
彼の背中越しに、集団下校していた皆がくすくすと笑いながら、高みの見物をしていた。
「じゃあな」
今度こそ、背を向ける。
徐々に、取り残されていく。
まるで木になったみたいに足が、うまく動かなかった。
◇
「――次は、
ひび割れた車内アナウンスが、際限なく沈みそうになっていた意識を引き戻してくれた。
目的地まで一駅、たった三分のあいだに、ひとはこんなにもネガティブになれるのか――。
なんて、思わず感心しそうになる。
ドアが開き、降車する。
学内へと続く道を、イヤホンをつけて歩く。
うちの学生は、とかくウワサ好きだ。
これなしには、到底、正常な精神を保つことなどできやしなかった。
好きな音楽をループ再生しつつ足早に歩いていると、目の前に誰かが滑り込んできた。
「!?」
びっくりして、ぶつかる寸前で立ち止まり、弾かれたみたいに顔を上げる。
にこにこした銀縁眼鏡の青年が、手に持ったビラを差し出してきた。
「――」
何か、声をかけてくる。
聞き取れないので、イヤホンを外した。
音がわずかに洩れているのが気になり、停止ボタンをタップしようとして、思いとどまる。
(話を聴く方が先だし、失礼に当たらないだろう)
判断を下し、問いかける。
「……何ですか」
「こんにちはぁ」
返ってくる、元気な挨拶。
若干、噛み合わない感じがした。
風に躍り、今にも飛んでいきそうになっているビラを、受け取る。
「……ホラー、研究部?」
「そうだよ」
相手を、まじまじと眺める。
こけしのように、肩口でぱっつんと切りそろえた、ところどころ白髪の混じる黒髪。
向かって右の目元に、ひかえめな泣きぼくろがあった。
ビラを持ち直し、重心を移動させる。
「急に思い立ってね、さっきから勧誘してるんだけど、全然減らないんだあ」
張り切ってたくさん刷っちゃったから、重いよお、と泣き真似をする。
(え、今?)
学内への入口では、年明けの寒風が吹き荒んでいる。
一般的な時期とはほど遠いことくらい、コミュニティに疎いおれですら分かる。
訝しんでいると、次の言葉が、抱いていた疑問をあっさり、氷解させた。
「でもまあ、当たり前だよね。非公式サークルだし、うち」
「え」
非公式?
「本当の、サークルじゃない、って、ことですか?」
「うん、そう。というか、面白いくらいどもってんね、キミ」
ビラを脇に挟み、おかしそうに手を叩く。
「まあ分かりやすく言えば、僕が勝手に一人で、好きなコトしてるだけとも言う」
(ただの趣味活動では?)
ツッコミを入れかけて、黙る。
違和感。
「あの」
「何?」
首をかしげる。
巻いている白いマフラーが、ゆらりと揺れた。
「なんで、おれなんかに、話しかけてくれたんですか」
心の底からの、疑問だった。
「え? ……ああね」
パチパチと目をまたたき、納得したように、一言。
「ぴったりじゃないか」
「えっ」
絶句。
「だって、キミ――」
さらになにか続けようとするのを耳に入れず、背を向けて走り出す。
「あ、おい!」
待ってよ、と背後で、叫ぶ声。
それとほぼ同時に、追いかけてくる足音。
数十メートルほど走ったところで、追いつかれるまいと必死で前に出していた足がもつれる。
「あっ」
「あぶない!」
どしゃぁッ、と、派手に転倒してしまった。
後ろで、紙が散らばる音。
「え。……どうして」
なぜか彼も同じように、地べたにスライディングしていた。
「あっちゃー。ごめん、間に合わなかったや」
なかなか、そう上手くはいかないねえ――。
音を立て、膝と手を軽くはたく。
チラシを何枚かずつ手早く拾い集め、正面へと回り込んでくる。
「大丈夫?」
黒いスキニージーンズが、眼前でしゃがみ込む。
差し出される、細かい砂利で汚れた、意外にしっかりした皮膚の手。
「――なんで、そんなこと言うんですか」
声を振り絞る。
「知らないわけないでしょ。おれの見た目が、ホラー寄りだなんて……!」
唇を噛みしめる。
痛覚を感じないくらい、周りの空気が冷たかった。
通りすがる雑踏の視線が、肌を刺す。
震えて縮こまる身体。
耳鳴り。
「ちがうよ」
しばらく続いた沈黙が、破られる。
青年が静かに、おれの泣き言を否定した。
「じゃ、何なんですか?」
「それはまだ、言えない」
まだ、ね。
含みを持たせ、こっちを向いて、と促す。
顔を上げる。
眼鏡の細いフレームが、日光にさえざえと輝いている。
「とにかく、僕と一緒においで。ケガしてるし」
部室に、案内してあげる。
おれの手を、有無を言わさず掴む。
「部室……?」
「絆創膏くらいはあるから。ね?」
にこやかな口振りとは裏腹に、力が強い。
細身なのに、妙にパワフルな印象を受けた。
(こういうときって、普通保健室じゃ……?)
「さ、行くよ」
疑問を投げる間もなく、引きずられる。
見上げた空の陽が、いつもより眩しかった。
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