第3話 拍子抜けの進軍、高鳴る胸
北陸道を進む武田信玄の本隊は、予想外の展開に目を瞠っていた。険しい山道を越え、幾多の川を渡り、ようやく平野部へと差し掛かったというのに、織田・徳川連合軍の抵抗は皆無に等しかったのだ。街道沿いの城砦は確かに存在する。しかし、城門は固く閉ざされ、物見櫓に立つ兵士たちの姿が見えるだけで、攻撃を仕掛けてくる様子は全くない。まるで、嵐が過ぎ去るのをじっと待っているかのように、息を潜めているのだ。
「これはいったい…」
副将の真田幸隆は、いぶかしげに周囲を見回した。
「あまりにも静かすぎます。伏兵の類も一切…」
幸隆は、警戒を怠らず周囲に目を光らせながら、信玄に報告した。
「ふむ…」
信玄は、髭を撫でながら、遠くの城砦を見つめた。その表情は、幸隆のような困惑ではなく、むしろ確信に満ち溢れていた。
「奴らは我らに怖気を成しているのだ。城から一歩も出ず、震えているだけよ」
信玄は、自信に満ちた口調で言い放った。彼の言葉には、敵を圧倒する威圧感があった。
こうして、北陸道軍は、ほとんど無抵抗のまま、京都へと進軍を続けた。拍子抜けするほど順調な進軍だった。かつて、幾多の戦場で智略と武勇を振るってきた信玄にとっても、これほど楽な進軍は初めてだったかもしれない。
そしてついに、武田信玄は京都の地を踏んだ。都の賑わい、華やかさは、信玄の目に新鮮に映った。これまで戦場ばかりを見てきた信玄にとって、都の景色は別世界のように感じられた。
京都に入った信玄のもとに、東海道軍からの連絡が届いた。内容は、馬場信春率いる東海道軍が、小田原近辺で織田・徳川連合軍と睨み合っているというものだった。
「馬場殿がうまく織田・徳川を抑えているようでござるな」
幸隆は、報告書を読み終えて、安堵の表情を浮かべた。
「うむ。馬場のことだ。陽動の役目をしっかりと果たしてくれるであろう」
信玄も、満足げに頷いた。しかし、その表情の奥には、微かな不安が潜んでいるようにも見えた。順調すぎる進軍、そして東海道軍からの報告。全てが上手くいきすぎている。そのことが、信玄の心をざわつかせていた。
明日は、将軍足利義昭に謁見する。その後は、天皇にも謁見する予定だ。信玄は、本陣と定めた宿で、一人静かに夜を過ごしていた。都の夜は静かで、虫の音だけが聞こえてくる。
(…ついにここまで来たか…)
信玄は、天井を見上げながら、感慨に耽っていた。長年の夢、天下統一への道が、いよいよ目前に迫ってきたのだ。明日、将軍と天皇に謁見し、武田家の威を示すことで、天下への足掛かりを築く。信玄の胸は、高鳴る期待で満たされていた。しかし、その高揚感とは裏腹に、心の奥底には、拭いきれない不安の影が忍び寄っていた。まるで、嵐の前の静けさのように、静かで不気味な夜だった。なかなか寝付くことができなかった。
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