第一章 砦墜とし編・5

 そんなこんなで雑貨屋を訪れた巫女長とアコニタムは、従軍経験のある巫女長の指導の下、城壁外で活動するために必要になるであろう物資を大量に買い込んだ。

 その量、巨大な背嚢三つ分である。

 なお、背嚢の大きさはアコニタムが体育座りをしたくらいだ。


「えぇ……こんな量持てませんよ」

「何言ってるの。その絵札に押し込みなさい」


 さも当然の様に巫女長は指示を出す。あれだけの説明で持ち主よりも空白絵札の使い方を熟知してしまったようだ。そして初めに補給物資を考える辺り、流石の経験量と言えよう。


 アコニタムは巫女長から手渡された羽ペンとインク壷を受け取る。

 受け取ってから、いったいどこから出したのだろうと不思議に思い巫女長へ視線を投げると、いつの間にか巫女長付きの侍女が少し離れた場所で待機していた。


 いつの間に呼んだんだろうと気になりつつも、白紙の絵札の上部に『荷物が入った大きな背嚢』と書いてみる。


 その間に巫女長は集まってきた侍女たちに何か指示を飛ばしている。おそらく他人の名前を告げて、その人たちを探させているようだ。いや、場所を指定しているので招集させるのだろう。


 とりあえず名称を記入した絵札をパンパンに物が詰まった巨大な背嚢に当てると、荷物は忽然と消え去り、その代わり絵札には目の前にあった巨大な背嚢がそっくりそのまま描かれていた。


「こんなに大雑把でいいんだ……」


 アコニタムが愕然としながら現実を受け止める。もちろん自分の力なので何ができるのかは把握しているのだが、それでもこの光景は信じがたい。


「本当に便利ねその力。伝承に聞く、何でも収納ができる容量不明の奇跡の道具袋もこんな感じなのかしら」


 事情を知らない侍女の一人がその丸い目をもっと丸くして驚いていた。当然周りにいた店員も客も遠巻きに驚いている。少し目立ち過ぎだが、奇跡なんてそんなものだと巫女長は嘯いている。


 巫女長が言えばさもありなんと、騒然とした雰囲気は消える。

 それでいいのか民衆よ、と思わなくもないが、かつて星を降らせたと記録されている守護者に比べたらこんなものは序の口なのであろう。


「じゃ、次ね。旅に必要なのは十分な糧秣と安全な飲み物。糧秣は纏めて持っていけばいいけれど、飲み物は大樽と小樽に分けた方がいいかもしれない。あ、酒と水ならどっちがいい?」


 修道院では飲用可能な井戸水があったのでアコニタムは酒を飲んだことがなかった。儀式ではもっぱら聖水が振る舞われるのだが、一部の聖職者は神饌の蜂蜜酒を好んでいた。


 そもそも市井では、飲用水代わりと言えば薄い麦酒や果実酒で、蜂蜜酒はそもそも飲用水代わりに飲むものは少ない。


「えっと、水で大丈夫です」


 巫女長は少し悩む。水は傷みやすいため従軍中だと普通は少量の錬金薬を入れたり、定期的に元素術士が水を入れ替えるものだ。


「そうね、もしかしたらアナタの力なら水を清浄な状態のまま持ち運べるんじゃない? むしろ泥水から水を分けることだってできるかも……元素術士にできるんだからアナタもやってみたらどう?」


 そんなこんなで移動して、醸造家から新品の樽を金に物を言わせて買い取り、続いて街を流れる水路で汲んだ水を他人の庭にぶちまけるという暴挙を強行する巫女長。


 あまりの傍若無人っぷりにアコニタムは言葉も出ず、一人の侍女は貧血の様によろめいた。なおこの侍女は巫女長が戦場帰りとは知らない。


「じゃ、やってみて」


 短く、にべもなくそう言って女性が抱えるには大きすぎる樽を地面に置く。

 水が入った大樽を水路から淀みなく民家の菜園に運んだ巫女長のその膂力にアコニタムは驚愕する。


 巫女の本領は奇跡の行使であるが、巫女長はそれだけを伸ばすのではなく体を鍛えることも是とした。人は見かけによらぬものである。


「えっと、水って書きますね……あ、できちゃいましたね」


 菜園の土をぐちゃぐちゃにかき混ぜた大量の泥水は、絵札を近づけるとすっと一瞬で消え去った。地面は少し荒れてしまったが、まあ仕方がない。後で侍女さんと一緒に謝ろうとアコニタムは心に誓った。

 そして水とだけ記してあった絵札には、水滴の絵が描かれている。成功だ。


「うん、それじゃあこの樽に水を出してみて」

「えっと、いきます。【水、解放】」


 アコニタムは大樽から一歩離れた位置に立つと、水が出るところを確認するために、水を封印した絵札を樽の上、目線の高さに浮かべて解放してみせた。


 アコニタムの宣言と同時に絵札から怒涛の勢いで水が自由落下し、樽の底を叩いて側面をうねり、水飛沫が樽の口から揚がった。


「うん、匂いも樽のものだけのようね。泥臭さは一切無いし、むしろ水路の嫌な臭いもしない……ふうむ」


「あの、巫女長。これは飲んでも平気なのでしょうか」


 巫女長は少し考えて、結論を出した。


「元素術士や錬金術士から聞いた事があります。術式で作った水は、とりあえず岩塩を一欠片いれたらいいそうよ? 嫌なら水って書かずに飲用水って書けばいいんじゃない?」


 アコニタムは素直にその言葉に従って、絵札に容器に入った飲用水と書くことにした。彼女たちには知る由もないが、これにより木材や木樽の側面に付着した土から飲用水として必要な成分が供給されるようになった。


 水の検証を終えて、今度は食料を売っている店を足早に周る。最初にパン屋から焼きたてのパンを買い占め、続いて肉屋で豚の後ろ脚一本丸ごとの燻製ハムを買い、乾物屋で漬物石のようなズシリと重いホールチーズを買った。


 その次に向かった野菜を売っている露天で問題が起きた。


「どうして野菜が入らないのかしら……」


「え、えっと、生き物は入らないって表記が出て、弾かれてしまいます」


「えっ、収穫されて日が経った野菜でも生きているのですか⁉」


 巫女長、もうじき四十路の頃、生野菜が生きていると知る。


 結局、生野菜や果物など青果は、火を通したり、酢漬けなどにした漬物以外は入らないことが分かった。

 これは生物を封じ込める際の条件に該当し、生物は自身の力か、または自分が認めた仲間パーティーメンバーによって殺害されたものの魂魄を転写した場合に絵札へ封印できるという条件に引っ掛かったのだ。


 よってこの場合、食材関係は調理・加工されたものを無生物として絵札に封印でき、その為の工程を踏んでいないものは弾かれることとなる。


 繰り返しになるが、背嚢や水の様に名称まで記入して漸く絵札に封印することが可能となる。


「いえ、知ってたわ。知ってたの。本当よ? だって麦粒とか水に濡れると発芽するものね……。野菜だって水に浸けると根っこが出たり葉っぱが出てくるものね!」


 巫女長はとても物知りなんだなー、とアコニタムは思った。


 もちろんアコニタムは修道院の菜園で野良仕事をしたことがあるので、一度抜き取った根菜を地面に植えればまた育ち始めることを知っているし、麦も蒔けば生えてくるのを知っている。


 そんなこんなで買い漁った食料は新しく購入した数枚の布袋に小分けし、それをさらに大きな袋に入れて、【食料の入った大袋】として一括で絵札に封じた。


 なんだかんだ条件があったり緩いところがあったりする絵札だが、物を出す時には一括で出てくるというデメリットもある。


 そんな仕様に対して融通が利くようになったらいいなと思うアコニタムだった。

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