プロローグ 勇者召喚の儀式と少女覚醒・2
第一聖堂。そこは300年前に建立された、創造神を奉る由緒正しき聖域である。
立ち入ることが許されているのは、ごく限られた者のみ。王家の祖たる守護者の血脈に名を連ねるものと、高位の神官、そして神託を授かる力を持った巫女たちにのみ、その門扉は開かれる。
巫女とは即ち、創造神の代弁者である。知恵ある者たちの中でもほんのごく僅かにしか、創造神の声を認知することができない。巫女とは、守護者の血脈に次ぐ希少な人材たちだ。
その中に一人、今年成人を迎えた、まだあどけない顔立ちの巫女が、赤錆色のフードローブを目深に被り、他の巫女たちと共に一心に祈りを捧げていた。彼女は一昨年の春に巫女の末席に名を連ねることができた新入りであった。
黒のフードローブを身に纏う巫女長と赤色や藍色の補佐役の巫女が、山と積まれた霊晶を前に跪き、創造神の象徴である六角形の真鍮の輪を握りしめて心を凪ぎの湖のように鎮めていた。
末席の巫女、名をアコニタムと言う。燻し銀の髪を前髪の両横だけ肩甲骨まで伸ばし、後は雑に切り揃えている。その形の良い眉や、長い睫毛は灰白色だった。
厳かな空気の中、衣擦れと複数の人間の呼気、そして石畳を革靴が擦る音だけが聞こえる。誰かが玉座の前に進み出て囁くような、それでいて芯を感じさせる声を発した。
声を発したのは若い教皇だった。儀式の進捗――その準備だが――が調ったことを告げたのだ。
少女はほんの僅かに顔を上げ、目にかかる薄手のフードの隙間から、玉座の方に視線を向けた。
少女の青みがかった灰銀色の美しい目が、頷き短く下知を発した巨漢の国王と、それを受けた若く細身の教皇を認める。
いよいよか。末席の巫女は内心で溜息を吐いた。一応今年で15歳となり、成人と呼べるまでに成長したのだが、如何せん少女は捨て子であり親の顔も知らずに育っている。
修道院に併設された孤児院で一通りの教養は積んだが、それはそれ。幼少期を忙しく過ごし、その延長に今なおいる彼女の精神は少々荒んでいた。
ただし、普段から感情を表すのを苦手としているだけあって、祈りの時だろうが食事の時だろうが、そして寝起きだろうが、彼女のやや下がり気味の目とその眦が鋭い様は、見る人によっては清貧で貞淑、そして寡黙で敬虔な信者の表情に見えるだろう。
だがしかし、同室が長かった者からすれば、だいたい眠いか不機嫌な時か、あるいは腹が空いている時の表情であるのだが、その機微は初見では捕らえ辛かった。
野良仕事で赤く日に焼けた頬も、野暮ったいフードローブでありながらも線の細さ、そして薄さが浮いて見えるような貧相な体つきも、その生活のままならなさが透けて見えるというものだ。
それは別に現在のこの国では珍しい事ではないのだが、彼女は同世代と比べて背が低く、とりわけ幼く見えた。
高位の神官が聖句を唱え始めた。儀式の段取りを思い出したアコニタムは瞼を閉じていつものように掌を組み、精神統一を始めた。神託を授かる事を祈り、創造神の像を心に描く。
アコニタムにとって祈りの時間は嫌いではなかった。眠っている時とは違い、瞼を閉じ集中すると、自分の心の内側にある真っ白な空間に足を運ぶことができるからだった。
そこは何もなく、果てしなく続く世界で、煩わしい修道院の小さな社会も、傷付いて運び込まれる修道院の外の人々もいない。ただ純粋で、止まった世界。ここには怖いものも見たくないものも存在しない。アコニタムだけの世界であった。
その世界では極稀に淡い燐光が文字を作ることがある。アコニタムはそれを見ると、いつも教会や聖堂の象徴と共に飾られる一柱の女神像を思い描くのだった。
なのでアコニタムはそれを神託だと認識している。
白の世界で神託を一言一句漏らさず記憶すると、瞑想の時間は終わりだ。
あの静寂の世界からなにかと煩わしい現世へ戻り、巫女として神託を告げる仕事を遂行するのである。
しかしアコニタムには神託を完全に伝えることができなかった。なにせ創造神の言葉とは実に複雑で、なまじ人の肉体では再現できない領域にあった。
本来ならば巫女たちはこれを意訳して伝えるか、もしくは己が内なる霊力を用いて可能な限り再現するのである。
ある時は祭具を使い、またある時は歌や踊りも含めて表現する。
内容が複雑であればあるほど、巫女は全身全霊を使ってそれを表現し、神の指図を国民に伝えなくてはならないのだ。
残念ながら、アコニタムには同年代よりもその身に宿る霊力が少なかった。
彼女は神託の入力においては類稀なる、それこそ右に出る者がいないほどの才能があったのだが、生憎と出力できるほどの素質には恵まれなかった。
故に、末席の巫女。もしも守護者ほどの才気に溢れていたのならば、齢15で巫女長になっていてもおかしくはなかっただろう。それほどの才能であった。
残念ながら本人も周りもそれを知る由もない。アコニタムは寡黙な少女だった。必要なこと以外は語らず、また心に小波を立てることを嫌っていた。
真っ白な世界でアコニタムは祈った。神に願い届ける為にいつも以上に祈りを捧げた。
きっと周りの巫女や、普段目にすることの無いやんごとなき人々と共に、今だけは同じ事を祈っているのだろう。
ふと、そんな柄にもないことを思い浮かべたアコニタムは、集中を切らして瞼を開いていた。いや、彼女は極度の集中状態になると自然と瞼が開いているのだが、視覚情報として認識していないだけなのだ。
だからだろうか、おかしなことに気が付く。目を開けているのに、薄暗い聖堂の中ではなく、白い空間が見えていることに。
アコニタムは動揺を押し込めながら顔を上げず眼球を動かし周囲を見回した。
隣に祈りを捧げる巫女たちが見える。しかし目に入る床も、その奥行きのある聖堂内の通路も、精緻な装飾や守護精霊を模した石細工も見当たらない。
(ここは、どこ?)
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