少女空白絵札

虹晴

プロローグ 勇者召喚の儀式と少女覚醒・1

 この289年もの間、平穏を保ち続けた王国は存亡の機に直面していた。


 300年前、知恵ある者たちはその守護者の力によって、惑星のごく限られた地域ではあったが、安全に過ごせる楽土を手に入れることができた。

 しかし現在より11年前、安寧の時世は脆くも崩れ、いよいよこの国に滅びの兆しが突き付けられた。


 魔王誕生。


 その意味するところは、この星に住む全生命体の置換に他ならない。即ち、世界終焉である。

 創造神の産み出した者たちの末裔は、いよいよ絶滅を余儀なくされた。



 そして現在――守護者の末裔たる、知恵ある者唯一の生存権を束ねる王は、余りある重圧に齢の割に精悍な顔で渋面を作った。


 守護者の末裔であるこの王が、直立不動で睥睨するこの場所は、知恵ある者たちにとって最も貴ぶべき場所、すなわち第一聖堂と呼ばれる流星が落ちたその丁度真上に立てられた施設の中枢である。


 白い岩石でできた荘厳な第一聖堂では、今まさに儀式が執り行われている。

 今より10年前の新年に、創造神から示された天啓、起死回生の一手である【勇者召喚の儀式】が粛々と進行していた。


 筋骨隆々で上背のある王は、この3日間まんじりともせず、食事と雑事の時以外はこの第一聖堂中央の儀式場を見渡せる位置に用意された玉座の前で、仁王の如く立ち尽くしていた。


 険しい表情の裏側に、万感の思いが王の胸に去来していた。この10年間、民草も配下の家臣団も苦痛に耐え血と涙を流し、王の勅令を全身全霊をもって応えてくれたのだ。

 今代の王はせめてもと、儀式の結果を見届けるまでは一心に祈り続けることを己に課したという訳である。


 忍ぶ王は、ついと儀式場に山と積まれた、空色の透明な結晶を流し見た。

 虹が閉じ込められたような見た目のこの大小様々な石は、霊晶と呼ばれている。

 この霊晶は、人々が便利な生活を送るために必要な資源であるのだが、今は儀式を起動するための代償である。


 その数、国庫に納められたもの全てと、10年間領土各地から税として徴収し、時に城壁の外にて魔物と対峙し、幾人もの戦士が命を懸けて集めたものだ。

 その一つ一つに民とそれを束ねる配下の貴族たちが少なくない犠牲と、己が親しい者の屍から取り出した、正しく尊厳と引き換えに得られた物である。その量、その質たるや、正に国の重責に他ならない。


 3日間、聖職者たちが霊晶を清める儀式を見守り続けた王は、改めて民と家臣に感謝の念を抱いた。この国は一つだ。


(この儀式がどうなろうと、俺は責務を全うするまで。)


 王の覚悟は決まっていた。


 10年もの不便な日々。流れ出た血潮。それでもこの国は纏まっていた。なにせこの王は現生の人びとの中でも最強と称えられる傑物であった。


 もし彼が最前線で魔物と対峙する日々を過ごしていなければ、この国は早晩瓦解していたに違いない。今の今まで各地で貴族の蜂起はもちろん、農民一人として一揆を起こさず、それどころか王族に恨みを抱いたことはなかった。


 王が率先して壁外へ駆け出て魔物を討伐し、霊晶を集めたからこその忠誠の高さである。この王だからこそ、数多の民が支持し、その命運を託した。


 そんな武の誉れ高い王とて、疲弊していた。顔の脂汗は止まらず、眉間の皺は消えることはなくなっただろう。それほどまでに苦悶していた。


 王はこの国の限界を知っている。なまじ情報が最も集まる現場にいるからこそである。


 最早一日が惜しい状況なのだ。無駄にする時間など無かった。


 剣の柄頭に重ねた両掌に無意識に力が込められていた。この戦場を共に駆けた頼もしき相棒たる剣は、その鞘が緑玉の破片を金継ぎして作られていて、その美術的な荘厳さだけでなく見ているだけでも心の平穏が得られる神秘の聖剣である。


 聖剣自体も頼もしい。その由来は伝説として王家に伝わっている。

 守護者誕生を告げに地上に降りた、創造神の御使いの羽根を素材にして鍛えられた剣であり、彼の守護者と共にこの地から魔物を退かせた神器であった。


 王家の秘宝中の秘宝だ。300年以上振るわれてきたが、依然とその刃の冴えは鈍ることも欠けることもない。


 偉丈夫な現王が侍らせているとその大きさが霞むのだが、その剣は長剣の中でも非常に大きい。それこそ馬であろうと一刀両断できそうなほどだ。現に家屋よりも巨大な魔物を真っ二つにした事は幾度とある。


 国の象徴たる王と聖剣が一堂に会し見守るほどの儀式である。王国の歴史を纏める編纂者も、国王の一挙手一投足を記録し続けていた。後の世にこの記録が残らない可能性が濃厚であっても、彼はこの一時一瞬を書き逃すことはないだろう。


 ――そしていよいよ、時が満ちた。


「我が君王、ついに調いました。どうぞ、お下知を」


 恭しく傅いたのは、この国の主教を束ねる教皇だ。まだ若く線も細いが、瞳の奥には輝く英知の光が見受けられる。


 先代が崩御したのは一昨年の事であったが、その引継ぎを見事に熟し、遅滞無く儀式に漕ぎ着けたのは彼の手腕でもあった。


 頼もしい配下と、頼もしい友に恵まれた。その感動を一時胸にしまい、国王は一度頷くと儀式場を改めて見回した。


 王族のうち、実子の王子3名と王女4名。配下の家臣と伯爵位以上の貴族が39名。教皇と高位聖職者、そして神託を授かるための巫女長及びその麾下の巫女、合わせて300名。この儀式はかつてないほどの大規模なものだ。


 それこそ高位上級に位置するほどの大奇跡の行使である。

 万に一つも失敗は許されないが、この人材を揃えて失敗するのであれば人類は文字通り早晩滅ぶことだろう。


「始めよ」


 命令が厳かに響く。最早言葉を紡ぐ時間すら惜しかった。

 荘厳な空気に、巫女の祈りと聖職者たちの聖句が聖堂内を震わせた。


 知恵ある者たち最期の抵抗である、儀式が始まったのだ。

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