第17話

 真緒を送り届けて自宅に帰るころには、もう日が沈んでいた。


「ただいま」


 扉を開けば部屋着に着替えた藍が、どたどたと走ってくる。


「どうだった? 告白されたんでしょ。付き合うことになったの?」


 流石は年頃の女の子だ。恋愛の話には興味津々のようだ。ご飯の前で待てをされたわんこみたいに、じーっとお姉ちゃんをみつめてくる。


 靴を脱いでフローリングに上がる。お母さんが帰ってきているのか、夕食の匂いがした。


「されたよ。でも……」

「まさか振ったの!? ありえないんですけど……」

「違うよ。返事を保留させてもらっただけ」


 感情を抑え込むこともできず、泣いてしまうくらいに私のことが好きで、振られるのもきっと恐ろしかった。それでも告白してくれた。だから私も真緒と同じくらい真剣に向き合いたい。


「真緒のことは好きだけど、そういう好きじゃないと思う。お姉ちゃんは恋が分からないんだよ。告白を受け入れるのも拒むのもしっくりこないというか。だからまずは恋を知るのが先なのかなって思った」


 藍は強張らせていた表情を、空気の抜けた風船みたいに一気にやわらげた。


「あんたって変なところで律儀だよね」

「お姉ちゃんは大切な人には大真面目になるんだよ」

「あ、私は例外にしてもらって大丈夫なので」


 面倒くさそうにひらひらと手を振る藍が悲しい。


「それは無理な相談だよ。お姉ちゃんの体は藍でできてるからね!」

「は? 勝手に血肉にしないでよ。名誉棄損で訴えられたいの?」


 相変わらずひどいことを言う妹だ。でもお姉ちゃんを嫌っているこの子が、真緒を応援するとは思ってなかった。「絶対にやめた方がいいです! こんな奴よりほかの人の方が絶対に良いですよ!」とでも言うのかと。


「その割には真緒とお姉ちゃんをくっつけようとするんだね?」


 ニヤニヤと笑ってリビングに入れば、素早く周り込んできた藍に正面から睨みつけられた。


「勘違いしないで。あんたも一応は家族。将来を心配するのは変じゃない。真緒さんみたいにしっかりした人なら、あんたを真人間へと更生させてくれるかもしれない。現にあんたは恋を知ろうとしてるでしょ」

「やっぱり藍ってお姉ちゃんのこと大好きなの?」


 目を細めて笑えば無言で横腹を殴られた。絶妙に痛くない力加減だった。


「人が心配してるのにこの馬鹿姉は……」


 深いため息がリビングに響いた。それを聞きつけたのか、キッチンからお母さんが現れる。


「二人は今日も仲がいいわね」


 ニコニコ笑顔だ。やっぱりお母さんは感性が微妙にずれている気がする。いやでも、脇腹を殴る力を加減してくれたり、お姉ちゃんの未来を心配してくれたり「もしかしてこの子お姉ちゃんのこと好きなのでは?」と思わせる仕草は結構多いのだ。時代を先取りしすぎた天才は馬鹿にされる。お母さんにも慧眼があるのかもしれない。


 感心する私とは正反対に、藍は鬱陶しそうにぼやいていた。


「……茶化しに来たのならキッチンに籠っててよ」

「あらひどい。藍はお母さんにも反抗するようになったの?」


 娘の成長が嬉しいのか朗らかに笑っている。


「そういうのじゃない。っていうか反抗期じゃないし」


 反抗期の妹にありがちなセリフ第一位に輝きそうな言葉を、藍は不貞腐れた顔でつぶやいた。ついつい笑ってしまう。素直な妹が一番かわいいけど、素直じゃない妹もかわいいのだ。


「は? なんで笑ってるの。見世物じゃないんですけど?」

「お姉ちゃん藍のこと大好きだから、どんな藍でも可愛くて」

「……馬鹿じゃないの。今さらあんたに言われなくても、自分が可愛いことくらい分かってる」


 面倒になったのか、藍は逃げるようにソファへと向かう。乱暴にぼふんと座った。そのままガチャガチャとゲームを始める。お母さんは気付けばキッチンに戻っていた。お姉ちゃんも藍の隣に座って、可愛い横顔に笑う。


「ご飯ができるまで一緒に遊ぼうよ」

「……いいけど、あんたってどうやって恋を知るつもりなの?」


 慣れた手つきでコントローラーを渡してくれた。


「とりあえず恋愛のドラマとか、漫画とか小説とか読もうかなって」

「……ふーん。じゃあ週末一緒に見に行こうよ。恋愛映画」

「えっ!?」


 つまりお姉ちゃんとお出かけをしたいということ!? 


「……まさか藍はツンデレで、実はお姉ちゃんのことが世界で一番大好き!?」

「なわけないでしょ。キモい妄想しないで」


 呆れた目でため息をつかれてしまった。


「見たい映画がある。でも一人で見に行くのは気が進まないだけ」

「友達と行けばいいんじゃないの?」

「予定が合わない。恋愛を知りたいあんたにも都合がいい。そういうことだから決定ね」


 強引ではあるけれど、藍と最後にお出かけしたのは一年以上も前なのだ。ついついにやけてしまう。


「そんなに嬉しい?」

「うん! 最高の気分だよ! お姉ちゃんは藍のことが大好きだからね!」

「……刷り込み、まだ続いてる?」

「今のは思ったことをそのまま口にしただけ」


 お姉ちゃんが笑うと、藍はやれやれと半笑いを浮かべた。


「なんで真緒さんがあんたなんかを好きになったのか本当に疑問」

「そんなのお姉ちゃんだって不思議だよ」

「シスコンいい加減に卒業しなよ。嫌われるよ?」

「卒業しようと思ってできるものじゃないでしょ」


 そうだけど、と藍もつぶやく。 


 やめられるものなら、藍が反抗期に入った一年後くらいにやめていた。でもお姉ちゃんは今も藍が大好きで、また昔のようにたくさん笑い合いたいのだ。


「姉妹デート楽しみだね!」


 私が微笑めば隣に苦い顔が現れる。


 けれど何かを言い返すわけでもなく、淡々とゲームに集中するだけだった。

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