第14話

 夕暮れの教室には、中学の制服を着たクラスメイト達がいた。帰り支度をしながら各々何かを話している。目を凝らしてみても、みんなの顔がはっきりしない。そこでようやく夢を見ているのだと理解した。


「ねぇねぇ、聖さんって好きな人いるの?」


 顔のぼやけた女子生徒が、私に声をかけてくる。


 中学生の私は、クラスメイトに妙なことを聞かれる機会が多かった。もちろん「妹が好き」と仏頂面で答えていたわけだけれど、返ってくるのは「そういうことじゃなくて」なんていう否定の文句ばかり。


「恋愛的な意味で好きな人いないの?」


 その質問に「いない」と返せば「えー」とよく分からない反応をされる。時には「恋をしないなんてもったいないよ」とか「妹が好きって、シスコンなの?」と何とも言えない顔をされたりもした。


 夢の中ですら、同じだった。「分かる! 妹って最高だよね!」みたいな反応をしてくれる人はいない。中学生や高校生は青春真っ只中だし、恋愛至上主義な価値観が強いのだろう。仕方ないのかもしれない。


 でも大人になっても、こういうやり取りは無限に繰り返されそうな気がする。


 お父さんとお母さんが恋愛して結婚して、私と藍はこの世に産まれた。そもそも文明をもってからの人類は、恋愛を前提に命をつないできた種だ。それに寄与しない愛しか持たないのなら、怪訝な目を向けられる。


 例え私にとって世界で一番尊いものだとしても、おかしいと決めつけられる。


「妹が一番じゃだめなの? なんでそんな目で見るの?」


 問いかけても、ぼやけた顔は何も言わない。興味を失ったみたいに私から離れていった。胸の奥が苦しくなる。夢の中だというのに、心の痛みは生々しい。


 瞼を閉ざすみたいに、世界が暗闇に呑まれていった。


「……く……きて」


 何かが私を揺らしていた。重い瞼を開いて現れたのは、私の可愛い妹、藍だった。


 曖昧な意識の中で思う。藍はお姉ちゃんにちゅーをして起こしてくれるんだっけ。どうだったかな。いや、しおりちゃんだったかな。よく分からない。眠い。


「して。おねえちゃんにちゅー……」

「は? 馬鹿なこと言ってないでさっさと起きろ!」


 鬼みたいな顔の藍に、乱暴に布団をめくられてしまった。そうか。ちゅーしてくれるのはしおりちゃんだったか。悲しい。目覚めて最初に感じるのが悲しみであるというのが、一番悲しい。


「……もうそんな時間?」


 目をこすりながら枕もとの時計に目を向けると、七時三十分だった。


「あんたが全然起きてこないせいで、まだご飯食べられてないんですけど」


 寝坊したのは申し訳ない。藍だってお腹がすいているはずなのだ。


 そこまで考えて、はたと気づく。


「あれ、お姉ちゃんのこと待ってくれてたんだ。先に食べてくれてよかったのに」

「……だってあんたがいないと、トマト食べる人いないから」


 藍は唇を尖らせて、気まずそうに目をそらした。


「それもそうだ。藍は可愛いね」


 腕を伸ばして、よしよしと頭を撫でてあげた。


「……ちょっと」


 熟れていくトマトのように、白い肌が色づいた。あれ、いつもの藍なら笑顔で「おねえちゃん!」って抱き着いてくるはずだ。なんでこんなに恥ずかしがっているんだろう。


 気付けば藍の表情が、般若のお面のように険しい。

 

「寝ぼけるのもいい加減にして」


 乱暴にお姉ちゃんの腕を振り払って、部屋を出て行ってしまった。その反応をみてようやく気付く。


「……あぁ。そっか」


 もう私は中学生ではないし、藍も小学生ではないのだ。


「そっか」


 でもすぐに思い直す。大丈夫だ。一緒にゲームを遊べるくらいには、また仲良くなれたのだ。大きく伸びをしてからベッドを下りる。ぼさぼさの頭でリビングに向かうと、藍がテーブルで待っていた。


「早く食べよう」

「うん」


 微笑んで隣に座る。


「はい、トマト」


 箸を手に取ったわが妹は、いの一番に赤い球体をお姉ちゃんのお皿へ置いた。お姉ちゃんも一番にトマトを食べてあげる。甘みと酸味がまじりあった、独特な味わいだった。


「友達、うちに連れてきてよね」

「分かってる。もしも真緒の都合が悪かったら別の日になるかもしれないけど」

「へー。真緒っていうんだ」


 さして興味もなさそうな顔でご飯を頬張った。ごくりと飲み込んでからつぶやく。


「あんたの友達だから変な奴なんだろうね」

「そういうこと言うの良くないよ」


 真緒はちょっと変わってるのかもしれないけど、大切な親友だ。


「……ごめん」

「えっ?」


 素直に謝るなんて藍にしては珍しい。


「あんたは間違いなく変だけど、真緒さんは、なんていうか真面目そう」

「謎に評価高いんだね……」


 お姉ちゃんには低評価を連打する癖に、なんと不平等なのだろう。


 ジト目で見ていると藍は皮肉たっぷりに笑った。


「だって私が馬鹿にするのって基本的にあんただけだもん。評価高いに決まってる」

「……あのね」

「私はあんた以外には礼儀正しいの」


 言いたいことは言い終わったようで、満足げに好物のベーコンを口へ運んだ。私も私で、もそもそとご飯を食べる。まぁ悪くはない。お姉ちゃんだけを馬鹿にするというのは、ある意味で特別視しているということだ。


 プラスな方向で特別扱いしてほしいものだけれど、無関心よりはずっと良い。


 ふと思ったことを口にする。


「お姉ちゃん藍のこと大好きだよ」

「は? 脈絡がない。キモい」


 藍は体を大きく反らしてお姉ちゃんから距離を取った。悲しい。


「ちょっとすり込みってのを試してみようかと思って」

「鳥じゃないんだからさ」


 見下すような冷たい目だった。お姉ちゃん大好き妹への道のりは、まだまだ遠いらしい。

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