第13話
太陽がまぶしく気温も高い。梅雨明けが近いのか、空は清々しいほどに青く晴れていた。駅前を行き交う人々はすっかり夏の装いだ。日焼け対策で黒い日傘をさしている人もいる。
私も持ってくるべきだったかもしれない。額ににじむ汗を拭きながらため息をつく。時計台を見上げると、待ち合わせの時刻よりも20分も早かった。流石にこの日差しの中で待つのはつらい。
近くのコンビニまで歩くことにする。駅前の広場を進み自動ドアを抜ければ冷房が涼しい。使わせてもらうだけなのも悪いから、ミネラルウォーターを手にレジに向かった。
財布を開きながら、学校での真緒の言葉を思い出す。みちるさんもやっぱり気にしていたのだろう。「週末一緒に遊びに行かないかな?」と真緒を誘ったらしいのだ。正直水を差すようで迷った。
でも私にも伝えなければならないことがある。だからこうして駅前に来ていた。
イートインスペースで涼んでいると、時計台の前に真緒たちが見えた。二人とも外行きの格好だ。スタイルの良さもそうだし、足の長さが際立つジーンズも相まってみちるさんはモデルさんみたいだ。
真緒も意外に可愛い格好をしている。膝下のスカートは制服で見慣れているけれど、今日は真っ白だ。真緒本人の小柄で可愛らしい容姿も相まって、夏の幻影を見ているかのように錯覚する。
自動ドアを抜けて手を振ると、すぐに真緒が振り返してくれた。みちるさんは気まずそうに頭を下げている。苦笑いを浮かべながら合流すれば、遮るように真緒が飛び出してきた。
「待たせてごめん聖」
「全然。コンビニで待ってたから」
にしても今思えば、わざわざ駅前で待ち合わせをする必要はなかったのではないだろうか。
「私こういうの初めて」
「こういうの?」
「うん。友達と待ち合わせる。そしてお出かけをする」
言われてみれば私も初めてかもしれない。外で遊ぶような友達なんて小学生のころからいなかったし。でもつまり真緒は初めてを経験したくて、わざわざ待ち合わせにしたわけか。自然と頬が緩む。
しっかりしてるけど、やっぱり妹が良く似合う子だ。
「それより聖。この服どう思う? 私こういうの慣れてない」
真緒は不安そうに肩をすくめていた。
「似合ってるよ。みちるさんに選んでもらったの?」
「うん。お姉ちゃん私を着せ替えるのが好きみたい」
「そっか。みちるさんも頑張った甲斐がありましたね」
微笑むと、真緒の後ろで照れくさそうに笑っていた。
「真緒ちゃん、おしゃれなんてしなくていいって頑なだったんだよ。もったいないよね」
「聖もそう思う?」
「思うよ。真緒可愛いし」
笑顔で伝える。なんだかんだ二人は相性のいい姉妹だ。みちるさんはお姉ちゃんらしいことはあまりできないけど、真緒の知らない世界を知っている。この子もまんざらではないみたいだし。
「……うん」
褒められて照れているのか、頬を赤らめ目をそらしていた。まるで別人みたいだ。
感慨に浸っていると、真緒の真っ黒な目が私をのぞき込んできた。
「……今気づいた。もしかして今の可愛いはお世辞? ぬか喜び? 美醜の友情割引?」
ずいぶん疑り深い親友だ。けれど恋愛はおろかクラスメイトとの交流もこの子はしてこなかった。そもそも自分の容姿がどうだとか、考えたこともないのではないだろうか。
「本心だよ。可愛いですよね。みちるさん」
笑顔で呼びかけると、みちるさんは激しく頷いた。
「可愛い、いや、もう可愛いを通り越して大天使だよ!」
「だってさ」
「……表現が過剰。もしかするとお姉ちゃんの美的感覚が狂っているのかも」
「信じてあげなよ」
真緒は考え込むように顎に手を当てる。でもすぐに頷いていた。
「こういうのは私よりもお姉ちゃんのほうが得意」
肯定されて驚いたのか、みちるさんは真緒の後ろで目を見開いた。
そうそう。真緒は何でも否定するわけじゃない。ひたすらに素直で嘘をつかないだけなのだ。やっぱりこの子はこうでないといけない。人の都合で歪めるなんて、絶対にあってはならない。
「やっぱり私、真緒のこと好きだよ」
太陽の光に目を細めながら笑う。人間関係は上手くいかないことの方が多いのだろう。けれど深くまで知れば、この子を嫌いになる人は絶対にいない。みちるさんだって、嫌いになれるわけがない。
「……聖も、かわいい」
「えっ?」
不意な言葉に目を丸くする。
「その、私の感性が狂ってるだけかもしれない。それは留意してほしい」
なんて目をそらしながら失礼なことを言うのは、真緒なりの照れ隠しなのか何なのか。
「ひどいこと言うなぁ真緒は」
苦笑いで真緒の手を握る。繋がれた手を見下ろしたまま素直な親友はつぶやいた。
「……ひどいこと?」
「私が不細工かもしれないってことでしょ」
「そんなことない!」
なぜか食い気味に顔を寄せてきた。
「聖は可愛い。私が見てきた中では、暫定で一番」
「そんなこと言ってくれるなんて、お世辞でも嬉しいよ。ありがとう」
いや、でも真緒は素直な子だから今のが本心なのだろうか? それはちょっと、普通に照れる。
なんとなく気まずくて目をそらすと、寂しそうに顔を伏せているみちるさんが目に入る。まずい。反射的につないだ手を離そうとする。みちるさんは、私にはあまりいい感情は向けていないのだ。
でも真緒は手を離してくれないし、みちるさんもいつの間にか柔和に微笑んでいた。
「気なんて遣わなくていいよ。繋いでていいからね」
予想したものと180°違うものだから、反応に困る。
「大学ではごめんね。あれから私なりに考えてみたんだよ。色々と。それでやっぱり聖ちゃんの方がずっとお姉ちゃんだなって気付いて。嫉妬なんて本当に見苦しかったよね。ごめんね」
真緒も表情を曇らせている。これまでの爽やかな空気が淀んでしまったようだった。
冷たい汗が背中を流れ落ちる。
「違いますよ。みちるさんはお姉ちゃんです」
「……うん。ありがとう」
まるで手ごたえを感じない。全てを軽く受け流すようにして、みちるさんは一人で歩いていく。
「二人とも、今日は私が奢るから楽しんでね」
壁を作るような寂しい声だった。違う。何もかも違う。今日の主役はみちるさんと真緒の二人なのだ。みちるさんは真緒と仲良くなりたくて、遊びに誘ったのではなかったのか。どうして引いてしまうのか。
同じ轍を踏んでしまった私が言えたことじゃない。でもお姉ちゃんなら、最後まで妹を諦めてはいけない。妹のことが好きなら、必死で食らいついてほしい。真緒だってみちるさんのことが好きなのだ。
でも私の言葉は決して決定打にはなりえない。真隣を見下ろす。この子じゃないとダメだ。
私を強く握った小さな手は、迷いそのものを表しているようだった。自分を拒む人に歩み寄るのは怖いに決まっている。それでも目が合うと、私を見上げたまま立派な妹はつぶやくのだ。
「お姉ちゃんは面倒くさい人。でも大切な人。私のたった一人のお姉ちゃん」
「……そうだね」
「だから呼び止めようと思う」
本当にすごい子だ。私が笑顔で頷くと真緒は叫んだ。
「お姉ちゃん!」
振り向いたみちるさんの手を、一回り小さな手が掴む。見てわかるほどに、全身に力が籠っている。一度は自分の気質を否定してしまった。涙だって流したのだ。
それでも真緒は諦めなかった。お姉ちゃんのことが、大好きだった。
「お姉ちゃん。一緒にいこう」
みちるさんは今にも泣きそうな顔で頷いた。こんなにも必死で引き止められれば、拒めるわけがない。
「……うん。ごめんね。真緒ちゃん」
「謝らなくていい。どんなお姉ちゃんでも私は好き」
みちるさんは安堵したような、落胆したような、何とも言えない顔をしていた。けれど握られた手をじっと見つめたかと思えば、優しく微笑んで頷いた。
「私も真緒ちゃんのこと、好きだよ」
真緒は花の咲くような笑顔を浮かべた。私たち三人は手をつないで歩いていく。明らかに私は手を放すべき場面だったけれど、頑なに力を緩めてくれなかった。でもこんなのは些事でしかない。
「偉いよ」
耳元でささやくと、真緒は誇らしげに笑った。
「うん。私は偉い」
自画自賛も納得なほどだ。本当に真緒は偉い子だった。
二人にはこれから先ずっと仲良くいてほしい。そのためにも私はみちるさんに伝えたい。
「みちるさん」
「どうしたの? 聖ちゃん」
「お姉ちゃんができるまで、真緒はこんなに笑ったりする子じゃなかったんです。ずっと無表情で、退屈そうで。だからみちるさんはもう十分に真緒のことを助けてるんですよ」
そうだ。誰も犠牲になんてなる必要はない。最初から全て解決していたのだ。ただ致命的なほどに勘違いをしてしまっていただけで。みちるさんは物理的に真緒を助けることを望んでいた。
でもそこにこだわる必要なんてなかった。
最初からみちるさんは、真緒を精神的に助けていたのだ。ただ言葉を交わすだけで、お姉ちゃんとしてそこにいるだけで、真緒はこんなにも喜怒哀楽に素直になれた。
「みちるさんはもう十分にお姉ちゃんなんです」
「お姉ちゃんはお姉ちゃん。何もできなくても私のお姉ちゃん」
真緒の笑みを浴びて、みちるさんは目を潤ませていた。
私たちに見られるのが恥ずかしいのか、正面に顔を向ける。
「……うん。私はお姉ちゃん。真緒ちゃんのお姉ちゃんなんだよ!」
背筋をまっすぐに伸ばして、鼻をすすりながらもみちるさんは笑っていた。
それから私たちは、三駅先のショッピングモールでたくさん遊んだ。カラオケだったりボウリングだったり、ゲームセンターに行ってみたり。真緒もみちるさんも心から楽しそうに笑いあっていた。
やがて遊び疲れた私たちは家の近くで「ばいばい」と手を振りあって別れた。
そうして私が家に帰って来たのは午後五時過ぎ。扉を開けて「ただいま」とあいさつをすると「おかえり」とお母さんの声が聞こえた。手を洗ってからリビングに入ると藍がソファでゲームを遊んでいる。
私にもやっぱりプライドのようなものはある。先に反抗したのは藍なのに、なんで私が下手に出ないといけないのか、とか。そもそも私は悪いことしてないのに、馬鹿にされるのも理解できないし。
でもやっぱり藍をみると思うのだ。「やっと家に帰ってきたんだ」って。
玄関をくぐった瞬間でもなく、挨拶をした瞬間でもなく、靴を脱いだ瞬間でもなく。
藍をみた瞬間に、ここが私の大切な場所なのだと。
一緒のソファに私も腰かける。可愛い横顔をみつめれば自然と頬が緩んだ。
「お姉ちゃんと一緒に遊ぼう!」
笑顔で伝えれば、藍は不服そうに唇を尖らせながらもコントローラーを手渡してくれた。
「友達の姉妹の話、どうなったの」
「上手くいったよ」
今日あったことを一言で伝える。約束は果たしたと思う。私はほとんど干渉しなかったけれど、二人のぎくしゃくはもう消えたはずだ。真緒の頑張りのおかげで。
「そう」
無表情な冷めた風ではあるが、藍は口元を微かに緩ませた。
けれどすぐに皮肉っぽく歪んでしまう。
「ま、私たちは上手くいかないと思うけどね」
「えっなんで」
「あんたに尊敬できるところがないからだよ。何かを頑張ってたりとか、何もない」
言葉に詰まる。強いていうのなら、妹を愛でることを人の何倍も頑張っている。でも藍が求めているのは、もっと青春らしいことなのだろう。部活の仲間と一緒に汗を流して友情を結ぶ、みたいな。
「ついでに人望もないし。っていうかそもそもその『友達』とやらは現実に存在するの?」
「ひどい! ちゃんと三次元友達だよ」
「じゃあ連れてきてよ。あんたが一方的に友達扱いしてるわけじゃないなら、来てくれるでしょ」
相変わらずな藍をお姉ちゃんはジト目で見つめる。
「もちろん。友達じゃなくて親友だからね」
「へー。親友なくせに一回も家に遊びに来たことないんだ。へー」
おちょくるみたいな顔と声色がとてもうざい。
「そういう感じじゃなかったの。藍だって家に友達連れてこないでしょ」
「あんたに会わせたくないからね」
「なるほど。お姉ちゃんを取られるのが不安なんだ」
「は?」
ただの冗談なのに、悪鬼羅刹のような顔だった。
「……分かったよ。明日遊びに来てもらうから」
ため息をついてテレビに目を向ける。ゲームの準備画面には、某有名ゲーム企業のキャラクターが大勢並んでいた。順調な滑り出しとは言えない。でも藍と仲良くなるための第一歩を踏み出したのは事実だ。
私たちの間には未だに深い溝がある。ついでに人一人分くらいの物理的な距離もある。
でも今はこれで満足することにしよう。
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