第12話
「ただいま」
玄関で挨拶をすると、キッチンの方から「おかえり」とお母さんの声が聞こえてきた。けれどそれだけだった。「おねえちゃんおねえちゃん!」と無邪気に抱き着いてくれた藍は、もういない。
背中を丸めながらリビングに入る。今日も藍はがちゃがちゃとゲームを遊んでいた。後ろ姿は昔を彷彿とさせた。もうあり得ないと分かっているのに、微かな期待を胸に藍の元へ歩いてしまう。
そのまま隣に座ると、藍は不機嫌そうに私を一瞥するだけだった。失意は紙のように薄っぺらい。分かり切ったことなのだ。良くも悪くも慣れてしまった自分が嫌だった。
何を言うでもなく、ぼんやりとテレビをみつめる。思い浮かべるのは今日あったことだ。
真緒とみちるさんには、幸せな姉妹関係を築いてもらいたい。
一番手っ取り早いのは、みちるさんが姉としてのプライドを捨てること。けれど私は姉だからみちるさんにも感情移入してしまう。でも真緒をないがしろになんて絶対にしたくない。
真緒には、真緒のままでいてほしい。裏表がなくて、思ったことを素直に言う子で、学年一位を取れるほど優秀で。人間関係を積み上げるのは凄く苦手だけれど、でも私は今の真緒が一番好きなのだ。前向きな理由で変わるのならもちろん応援する。でも無理やり歪めるのなら私は問答無用であの子を制止するだろう。
どうすればいいのだろう。焦点の合わないぼやけた視界で、ぐるぐる考える。
「なんか悩むようなことあったの」
気だるげな声の方へ目を向ける。藍はゲームを遊びながら話していた。
「言っておくけど心配とかじゃない。辛気臭い顔されるのが鬱陶しいだけ」
ツンデレじゃないんだろう。藍のことだから純度100%の本心に違いない。でも一人で考えるくらいなら、この子に話を聞いてもらった方が良さそうだ。ぼんやりとテレビをみつめながらつぶやく。
「姉妹ってどうやったら仲良くなれるのかなって。私たちの話じゃなくて友達の姉妹のことね。いろいろと上手くいってないみたい。そのことでお姉ちゃん、ちょっと悩んでたんだよ」
「どんな人たちなの?」
興味を示したみたいだ。コントローラーを操作しながらも、横目で私をみてくる。
「優秀な妹と、平凡なお姉ちゃん。妹が優秀だからお姉ちゃんに全然頼らないんだよね。それをお姉ちゃんが悲しそうな顔でみてる。ぎくしゃくしてて、どうすればいいんだろうって」
「……それのどこが問題なわけ?」
藍は首をかしげていた。皮肉とかではなく、本当に理解できていないようだった。
「ぎくしゃくするのが嫌なら、姉が妹を頼るようにすればいいだけじゃん。優秀なんでしょ」
「でもお姉ちゃんにはお姉ちゃんとしてのプライドがあって……」
「はぁ?」
馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに藍は目を細めた。
「王様とかなら家臣に舐められてはいけないってのは分かるけど、姉妹はそういうのじゃないでしょ。個人のプライドの問題でしかない。その姉は妹と仲良くしたくないの? そんなにプライドが大事?」
語気がいつにも増して荒い。真緒の立場に感情移入しているのかもしれない。藍が憤るのもよく分かる。私からしても、姉のために妹が犠牲になるくらいなら、姉が犠牲になる方がずっといい。
私なら迷わずそうする。でもみちるさんは、受け入れられるのだろうか。
黙り込んでいると横腹をつつかれた。
「もしもあんたがその姉の立場ならならどうするの」
「そんなのお姉ちゃんが譲歩するに決まってるよ」
考えるまでもない。
「お姉ちゃんのために妹が犠牲になるなんて、許せるわけない」
「でしょ。なら悩む意味ないじゃん。他人になりきって考えるだけ馬鹿馬鹿しい。相手のことなんて分からないんだから、あんたはあんたが思ってることを伝えるだけでいい」
藍の顔をまじまじと見つめる。私は私だから、みちるさんが考えていることは分からない。自分のことを100%理解できるのは自分自身だけ。というか本人すらも自分を分かっていないことさえある。
言われてみれば確かにその通りだった。
「藍は賢いね。ありがとう」
「……別にいいけど、どうなったか教えてよね」
「気になるんだ」
何気なく聞いただけなのに、なぜか睨みつけられた。
「悪い?」
「むしろいいよ。藍が姉妹に興味を持ってくれてるってことだから」
「じゃあ教えなくていい。興味ないし」
ぷいとよそを向いてしまった。相変わらずのひねくれものだ。
「でもその割には本気で考えてくれた」
笑って横顔をみつめる。今日の藍の言葉には、いつもよりも感情がこもっていた。
流石の藍も否定できないようだ。気だるげにつぶやいている。
「……お姉ちゃんはいつだって妹の味方なんでしょ」
「お姉ちゃん!?」
「あんたのことお姉ちゃんって呼んだわけじゃないから!」
睨まれてしまった。まぁそうだよね。昨日の私の発言を指しているのだろう。
「一般論として、妹はお姉ちゃんに優しくしてもらえたら嬉しい」
「藍も嬉しいの?」
「今となっては最悪の黒歴史だけど、……昔は嬉しかった」
目を丸くする。まさか藍が昔を肯定するとは思ってもいなかった。
「あんたの悩みの種な姉妹は、お互いに仲良くしたいって思ってるんでしょ」
「そうなんだよ。大好きなんだけどすれ違っててさ……」
「私は姉妹そのものを嫌ってるわけじゃない。だから仲良くしてほしいって思った。それだけ」
唇を尖らせた藍に、思わず笑みが漏れる。
普段はひねくれた態度ばかり取る藍なのだ。でも今はやけに素直で、それはつまりこの子が姉妹というものを、多少は特別に感じていることの証明ではないだろうか。
「聞きたいんだけど、藍ってどこまでお姉ちゃんと仲良くできそう?」
「……どういう意味?」
藍は首をかしげていた。喉の奥が乾くのを感じる。拒まれてもなお、しつこく距離を詰めるという選択もあるにはあった。けれど反抗期に入ったこの子は本気で嫌そうにしていた。
だから私たちは、自然と距離をとることになった。
そのうちに、私は藍に対して苛立ちだとか憎しみにも近い感情を抱くようになっていた。ただただ一方的に毒を吐く妹を愛するのは、大切だとしてもやっぱり難しい。
でも、藍が姉妹という関係を大切に思ってくれているのなら、まだ希望はあるのではないだろうか。
「例えば一緒にお出かけしたりとか」
「なんで?」
「いや、なんでって……」
そんなの藍と一緒にお出かけしたい以上の理由はない。
「あんたは私のことを大切に思ってるのかもしれない。でも好きではないんでしょ。なら無理に近づかなくてもいい。私もあんたと仲良くなるつもりはない。変な期待をされても困る」
「大切だから仲良くなりたい、じゃだめかな?」
さっきの藍の言葉を思い出す。
『相手のことなんて分からないんだから、あんたはあんたが思ってることを伝えるだけでいい』
私は決めつけていた。藍は反抗期で私とは仲良くなりたくない。なら仲良くなろうとするだけ無駄だと。そうして自分の意思を見て見ぬふりして、流れていく毎日を憂鬱に過ごしていたのだ。
「……あんたってシスコンだよね。それも相当にやばいタイプの」
「知らなかったの?」
「知ってたけどさ……」
集中できなくなったのか、コントローラーを机の上に置いた。そのままソファにもたれかかって、自由になった両手を頭の後ろに回す。そうして視線だけを私に飛ばしてきた。
「中学生の妹に媚びるってどうなの。プライドとかないの?」
「藍と仲良くなれるのなら捨てられる」
馬鹿にされてもなお距離を縮めようとするなんて、もはや滑稽だ。
それでも私は藍のことが気になっている。みちるさんに完敗して悔しさを感じた。本気で頑張れるみちるさんが羨ましかったのもある。でも何より一番悔しかったのは、今の自分があまりにも情けないことだった。全てを諦めて流されるままなのは、お姉ちゃんとして恥ずかしい。
「……具体的にはどういう風に?」
藍が問いかけてきた。
最近この子はゲームに熱中している。帰って後ろ姿を見るたびに思うのだ。「昔はよく二人で遊んでいたなぁ、今も一緒に遊べたらいいのになぁ」と。けれど言葉にすることはなかった。
どうせ拒まれるに決まっている。何をしても無駄だ。言い訳して諦めるのが癖になっていた。
でもそれは間違いだった。
「お姉ちゃん、藍と一緒にゲームを遊びたいです! お願いします藍さん遊んでください!」
頭を下げて、言葉にして、ますます思う。私は馬鹿だった。もっと早く口にすべきだった。藍がいじめられているかもしれない。知らされた可能性に、強い庇護欲を覚えた。かつての愛は消えてなんていなかった。
どこまで行っても私は藍のお姉ちゃんなのだ。
「普通に嫌なんですけど」
「えっひどい」
「……まぁ別にいいけど。それくらいなら我慢してあげてもいい。ただし条件がある」
ごくりと唾をのむ。今の藍は昔の可愛い藍とは違う。お姉ちゃんに抱っこしてもらうとか、一緒に寝てもらうとか。そういう可愛らしいものではないのだろう。
「その友達の姉妹、絶対に仲良くさせてあげて。後味が悪いのは嫌だから」
「それだけでいいの?」
目を丸くする。もっと凄いことを要求されるのかと考えていた。
「余計なことを願ってあんたに借りを作りたくない。後で何を求められるか分かったものじゃないし」
「頭なでなでさせてとか、ぎゅって抱き着いてとか、色んなこと頼んじゃいそうだよね……」
目を閉じてうんうんと頷いていると「うーわ」とドン引きする声が聞こえてきた。
隣をみると、藍はソファの端っこまで逃げている。
「リアル妹をなでなでとか本気でキモい」
「抱き着くのはいいの?」
「すぐさま死を選ぶ」
「悲しい」
相変わらずの辛辣な態度だ。でも不思議と心はぬくもりに満ちていた。
私を苦しめていたのは、思い込みだった。あんなにも甘えてくれた藍が、お姉ちゃんに反抗するようになって。だからこそ無理に近づいてはいけないような気がしていた。
でも本当はそんなことなくて、藍も一緒に遊ぶくらいのことは許してくれる。
目を閉じてソファに寄りかかっていると、冷たくて硬いものが手の甲に触れた。
コントローラーだ。顔を向けると藍は「早くしてよ」と急かしてきた。
「一緒に遊ぶんでしょ」
「うん!」
ますます頬が緩んでしまう。変に思われるって分かってるのに、制御が効かないのだ。
「本当に理解不能」
藍は呆れたみたいにため息をつきながらも、対戦用のゲームに変えてくれた。
いつぶりだろう。こんなにも心が弾むのは。
藍と一緒のソファで一緒にゲームを遊ぶ。ただそれだけで、お姉ちゃんは幸せになれるのだ。
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