第6話

 放課後には真緒のお姉ちゃんから返信が来ていた。今すぐにでも会いたいらしい。教室でスマホをみせてもらうと、文の後にビックリマークがたくさんついていた。すごく会いたそうだ。


 気持ちは良く分かる。妹の友達がどんな子なのかはやっぱり気になるよね。


「聖は今日大丈夫?」

「特に予定ないよ。大丈夫」


 今の藍は、お姉ちゃんの帰りを待ちわびるような可愛い妹ではないのだ。遅くなればむしろ都合がいいとほくそ笑むのだろう。悲しいけど夕食に間に合えば何も問題はない。


 でもそういえば、誰かの家に遊びに行くのは初めてかもしれない。他人の生活空間に足を踏み入れるのには慣れていない。そんな私の手を、小柄な真緒はぐいぐいと引っ張っていく。


「聖。早くかえろ」

「はいはい」


 傘をさして一緒に昇降口を出た。いつもの帰り道をそれて、真緒の家に向かう。高校からそう遠くない場所にある、雨音だけが響く閑静な住宅街の一角。友達の家だと知らなければ、記憶に残らないような一戸建てだった。


 真緒は鍵を開けて、慣れた素振りで家の中に入った。居心地の悪さを感じながら私も後に続く。傘立てと靴入れ、その上には白い鉢に入ったスズランの造花。よくある感じの玄関だった。


 誰もいない廊下の向こうに私は声を投げる。


「おじゃまします」

「お姉ちゃん。私も帰ってきた」


 思わぬお姉ちゃん呼びにドキリとする。もうそこまで仲良くなっていたのか。


 真緒はリビングらしき部屋に入っていった。床にはベージュのカーペットが敷かれていて、その上に四角いローテーブルが置かれている。ちょうど入り口から一番遠い席に、髪の短い大人びた女性が座っていた。


 顔立ちは整っていて、可愛いというよりは美人。けど決して人を緊張させるようなタイプじゃない。


「お邪魔させてもらってます」と私が会釈すると「いえいえ! こちらこそ……」とぶんぶん手を横に振る。なんだかおもちゃのロボットみたいな動きだった。ずいぶん愛嬌のある人だ。


 私は何も考えず真緒のお姉ちゃんの正面に腰を下ろした。けれどはたと気付く。何を話すべきなのだろう。


 真緒姉が話題をふってくれたのなら、まだ話せた。でも「へへ」とぎこちない笑みを浮かべているだけなのだ。スマホではビックリマークをたくさんつけていた癖に。


 気付けば真緒はリビングから姿を消しているし、流石に気まずさに耐えられない。おそるおそる口を開いた。


「最近雨多いですよね」

「そうですねー。こういうの、梅雨っていうらしいです」


 うん。知ってます。っていうか私の話題の振り方もひどすぎる。雨が多いから一体なんだというのか。どういう返事を期待していたのか。


 再び気まずい沈黙がリビングに満ちていく。静電気を帯びたみたいに肌がぴりぴりしてきた。


 真緒姉も落ち着かないのか、ためらいがちに声をかけてくる。


「何かテレビとか見ますか?」

「みたいです。お姉さんさえよければ」


 真緒姉は「それじゃあ」と笑いながらリモコンのボタンを押した。その途端、勇ましい音楽が流れる。いかにも無双してそうな、あのBGMだ。吉宗公の流れるような殺陣(たて)が美しい。


 再放送を見るたびに思うことだけど、幕府の将軍がこんな派手に暴れまわって良いのだろうか。まぁそれはそれとして、普通に見入るわけだけど。襲い来る敵を次々に切り倒していく、淀みのない動きがいい。


 真緒姉も、もじもじしながらテレビを見ていた。妹の友達だから緊張しているのか、ただただ人見知りなだけなのか。というか私はまだこの人の名前も知らない。友達のお姉ちゃんなのに。


「あの、今更ですけど名前を伺っても……?」

「あ、ごめんなさい! みちるです! 真緒のお姉ちゃん(強調)の、みちるです!」


 みちるさんは誇らしげに胸を張っていた。分かる。「お姉ちゃん」っていい響きだよね。


「みちるさんですね。私は聖っていいます」

「ひじり。なんかひじき……。いえ、いい名前ですね!」


 直球の失言に、あははと苦笑いするしかない。でも仲良くなったら楽しそうな人だ。


 自己紹介で緊張が多少は解けたのか、表情が柔らかくなっている。


「聖さんは姉妹とかいるんですか?」

「中学二年生の妹がいます。今は反抗期ですけど」

「え、いいなぁ。私も真緒ちゃんの反抗期みたかったなぁ……」


 しゅんと眉をひそめて、悲しそうにしている。そういうものだろうか。反抗期なんていいものではないのに。あんなに可愛かった藍を、悪魔みたいに変えてしまうのだから。


「あ、理解できないって顔してます」


 みちるさんは体を乗り出して顔をよせてきた。当然だけど、真緒とは目の色が違う。真緒は真っ黒だけど、みちるさんはかなり色素が薄いようで青っぽくみえる。


「私一人っ子で、すっごく焦がれてたんです。アニメとかドラマとかみてて、妹がいるってどんな感じなんだろうって。甘えてくれるのかなとか、不安なことがあったらすぐに頼ってくれるのかな、とか」


 ほわほわした声は夢でも語るみたいだった。


「だから反抗期も羨ましいなって思ってたんです」

「あー……。でもそんなに良いものじゃないですよ」


 現実は、往々にして理想とは違う。もっと優しい反抗をみちるさんは想像しているのだろう。漫画でよくあるツンデレ妹みたいなのを。でも実際には顔を合わせるたびに口論だ。


「顔を合わせるたびに『きもい』とか『うざい』とか言われるんです。何を言っても返って来るのは、馬鹿にするような言動で。大切な妹でもやっぱり辛いですよ」


 深いため息をつく。みちるさんは困ったように眉をひそめていた。その表情でようやく過ちに気付く。冷水を浴びたような心地だった。初対面の人の前でいったい何を話しているのだろう。


「それより真緒との話を聞かせてください。興味があるんです」


 本来の目的に戻る。二人の間にある不仲の理由は一体何なのだろう。

 

「真緒ちゃんかぁ。そうだね。真緒ちゃんは凄く優秀なんだよ」


 打って変わってニコニコと嬉しそうだ。真緒のことを考えてリラックスしたのか、敬語も外れている。


「料理も上手だし、洗濯とか掃除とか、私が気付くよりも先に全部こなしちゃうし」

「学校でも真緒は優秀ですよ。勉強なんてすごいんです。一位を取ることもよくあって」

「えー! そんなに。……やっぱりすごいなぁ、真緒ちゃんは」


 感心しているというよりかは、どこか寂しそうな声色だった。


「妹って真緒ちゃんみたいにみんな優秀なのかな?」

「そんなことはないと思いますけど……」


 藍の成績は普通くらいだし、料理や掃除なんかもしない。ごくごく一般的な怠け者妹だ。これが普通だと思う。真緒が優秀なのは、そうならざるを得ない環境で過ごしてきたから。例外中の例外だ。


「真緒は昔から、なんでも一人でこなしてたんですよ」

「え、そうなの?」


 みちるさんは知らないらしい。でも確かに真緒が自分のことを話すとは思えない。


「一人で育ててくれたお母さんに心配をかけたくなかったんだと思います。人に頼ることもなくて、嬉しいとか悲しいとか感情だってほとんど表に出すこともなくて」

「知らなかった。ちょっと不思議な子だとは思ってたけど……」


 表情に陰がかかる。みちるさんは一か月一緒に過ごして、少しは真緒のことを理解した気になっていたのだろう。でも友達である私が気付いていたことにも、気付けていなかった。


 ぱらぱらと雨音が響いてくる。テレビの向こうでは、大暴れしていた将軍も刀を納めていた。


「私、真緒ちゃんに甘えてもらいたいんです。でもあの子は何でも自分でしてしまうから。お姉ちゃんとしては寂しいけどそういう性格なのかなって。仕方ないのかなって背景まで考えなかったんです」


 私は駄目なお姉ちゃんです。みちるさんは自嘲的に笑った。


「だから真緒ちゃんは、余計に私と距離を取ってるんですよね。何も知らない癖にお姉ちゃん面してくる私が、嫌で。他人行儀な距離感で、感情だってほとんど出してくれなくて」


 ぎくしゃくの正体が分かった気がした。そもそもだけど、真緒はみちるさんを好いている。勉強以外に興味をもたない子だったのに、わざわざ私にみちるさんとのことを相談してくれたのだ。


 でもみちるさんは、真緒に嫌われていると思い込んでいる。あの子は、感情をほとんど外に出さない。だから真緒の好意を好意だと感じ取れない。愛情表現やその認識がかけ離れているのが、一番の問題なのだ。


 その時、扉が開いて真緒が現れた。お菓子やジュースの乗ったお盆を手にしている。


 それを目撃したみちるさんは、目を見開いていた。


「ちょ、ちょっと。それお姉ちゃんの役割!」


 真緒は相変わらずの無表情で、首をかしげている。


「そう思うのなら、私たちが来るまでに用意しておけばよかった」


 ごもっともだ。みちるさんは、あわあわと口を動かしていた。


 けれどすぐに肩を落としてうつむいてしまう。


「……ごめんね。真緒ちゃん」

「なんで謝るの?」


 みちるさんはますますうなだれてしまった。本人は文字通り「なんで謝るの?」としか考えていないのだろうけれど、みちるさんは真緒のことを良く知らない。だから色々な可能性を考えてしまう。


 私が「真緒はみちるさんのことが好きなんですよ」なんて伝えても、素直に受け取るとは思えない。みちるさんは自分が姉であることを重視しているように思う。反抗期すらも羨ましい、なんて言うくらいだし。


 だからこそ姉として不十分な自分を、真緒が好いてくれているなんて信じられない。


 きっと昔から姉妹に憧れていたのだろう。お姉ちゃんとして、頼られたかったのだろう。


 妹を愛したかったし、愛されたかった。


 でも現実には妹は自立しすぎていて、姉である自分は妹のために何もしてあげられない。それどころか、身の回りの世話すらもさせてしまう。妹である真緒が、あまりに優秀だから。


 真緒の言う「ぎくしゃく」の解決はきっと一筋縄ではいかない。


 普段は何でも一人で解決する真緒が、助けを求めてきたのも納得だった。


 お盆を机の上に置いて、真緒は当然のように私の隣に座った。みちるさんは今にも泣きそうな顔だ。横目でみつめて真緒を非難する。「なんでこっちに座るの! お姉ちゃんの隣に座ってあげなよ!」と。


 でもテレパシーが伝わるわけもなく、真緒は首をかしげるばかりだった。

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