第4話

 くすんだ白い天幕だった。薄暗いアーケード街には、古ぼけた店舗が軒を連ねている。店先で店主とお客さんが駄弁っているのはごくごく当たり前で、ここにいるとタイムトラベルをしたような心地になる。


 古臭いのが嫌いな人もいるみたいだけど、私はこの空間が好きだ。心が落ち着く。


 ノスタルジーの中をしばらく歩いて、八百屋にたどり着いた。


「おぉ聖ちゃん。久しぶりだねぇ。またべっぴんさんになって」


 しゃがれ声で話しかけてきたのは、八百屋のおばあちゃんだ。腰が曲がってしまっていて窮屈そう。しかも内臓がどこにあるのか不安になるくらいに身体が細い。でも表情はしっかりしているし動きも意外と機敏だ。


「お久しぶりですおばあちゃん」


 私が軽く頭を下げると、おばあちゃんは「あーあー」となにかを拒むように腕を横に振っていた。


「敬語なんていらないよ。よそよそしい」


 毎回同じことを言われているような気がする。小さなころは「おばあちゃんこんにちは!」ってお母さんや藍と三人でよく訪ねてきたものだった。けれど高校生にもなれば人との距離感には敏感になる。


 敬語を使わないのは逆に窮屈なのだ。おばあちゃんには申し訳ないけれど。


 思えばそこまで気を遣わなくて済むのは、お母さんや真緒くらい。残念ながらお父さんはちょっと微妙かな。話がかみ合わないことがよくあるし、デリカシーに欠ける発言も多いから。


「おばあちゃん。これを下さい」


 お母さんがくれたメモ用紙を、おばあちゃんに渡した。目を細めて確認したおばあちゃんは「はいはい」と頷く。年齢には不釣り合いな機敏さで、手際よく野菜を袋に入れていった。


 けど、突然手を止めた。んー、とうめくような声をあげている。別に苦しそうではない。

 

 何かを思い出そうとしているみたいだった。


「あの子の名前は何だかったかね。いつも聖ちゃんについて回ってた。めんこい子……」


 これくらいの、とおばあちゃんは自分の腰あたりに手の平を置く。そこまで小さくなかったと思う。けど昔のおばあちゃんはもっと背が高かったから、あながち間違ってはいないのかもしれない。


「藍のことですか?」

「そう! 藍ちゃん! めんこかったねぇ。聖ちゃんが高校生だから、今は、中学生?」

「中学二年生です」

「ほぁ~。もう中学生かぁ! すごいねぇ!」


 たいそう驚いたように目と口をぽかんと開いている。きっとおばあちゃんの中で、藍は小学生のまま止まっていたのだ。反抗期真っ只中で、姉妹関係も最悪だなんてきっと知りたくもない情報だろう。


「今も仲はいいですよ」

「そうかぁ。また顔をみせて欲しいもんだねぇ」

「伝えておきます」


 頷くと、野菜の山積みされた袋を手渡された。注文した量よりも多すぎる。


 疑問を込めて目配せするとおばあちゃんは笑った。


「たくさん食べて大きくなりなさい」


 断ったところで押し問答がはじまるだけだ。大人しく受け取っておく。


「いいんですか? ありがとうございます」

「うんうん。あと、これも」


 おばあちゃんは、色あせた店には不釣り合いな蛍光色の福引券を手渡してきた。


「これで少しは人も集まってくれるといいんだけどねぇ」


 アーケード街にはシャッターを下ろした店がまばらにある。


 これでも昔は大繁盛していたらしいのだ。かつては車やハワイ旅行が福引の景品だったらしい。


「色々と変わってしまうものはあるけど、二人にはずっと仲良くして欲しいね」


 不可逆なものはこの世に多い。ここも時代に置いていかれた場所だ。かつての繁盛を取り戻すことはもう無いのだろう。まるで私と藍の関係のようだと思う。


 反抗期は大人になる過程の一つ。自立するために通らなければならない関門なのだ。遺伝子に刻まれた本能的なもので、それを姉妹愛だけで乗り越えるというのは、無謀なのではないだろうか。


「聖ちゃん。なにかいいの、当たると良いね」

「ありがとうございます。今から行ってきます」


 おばあちゃんに会釈をして、福引に向かった。

 

 商店街の片隅に紅白模様のコーナーがある。中年の女性が買い物バッグを片手に、ガラガラを回していた。その後ろに並んで、福引券を数える。おばあちゃんに貰ったのを合わせて五枚だった。


 いいのが当たったためしはない。大体ポケットティッシュだ。


 特に期待するわけでもなく、一等から八等までの品物を眺めていく。ノートだったりシャープペンシルだったり箒だったり。景品からは在庫処分的な意味合いを感じる。


 でも四等は低反発の枕、三等も空気清浄機で、結構いいものだ。


 突然、からんからんとベルが鳴り響いた。後ろから覗き込むと緑色だった。女性は思わぬ幸運に手をぱんぱん叩いていた。低反発の枕を手渡されると「ちょうど欲しかったところなのよ」と笑った。


 こういうのをみると、ちょっとだけ期待してしまうのが人の性だ。


 私の番が回って来る。福引券を渡して取っ手を握った。


 店主のおじいさんが「頑張れ」と謎の応援をしてくる。


 もう少し運気を高めて来るべきだったかもしれない、と謎の後悔をしながら回した。


 ぐるぐるぐる。白。


 ぐるぐるぐる。白。


 そんな感じで、再放送みたいな光景が四回も連続した。


「あー」


 悲しそうな声が響いてきた。なぜか私よりもおじいさんの方が残念そうにしている。気まずい。当たらないのは別にいいんだけど、名前も知らない人が私の悪運に落胆しているのが辛い。


 なんとか一つくらいは色付きが出て欲しいものだけど。


 最後の一回し。ぐるぐるぐる。赤。それが零れ落ちた瞬間、からんからん、と甲高くベルが鳴った。


「おぉぉ! おめでとう! 君みたいな若い子で良かったよ」


 セクハラかと訝しむも手渡されたものをみて納得する。最新の家庭用ゲーム機だ。


「いやー。これを景品にするのはどうかと思っていたんだよ。君の運が良くて助かった」

「私もちょうど欲しかったところなんです。ありがとうございます」


 微笑むとおじいさんはうんうんと頷いていた。通りすがりのおばあちゃんが私の肩を叩いて「良かったねぇ」と微笑んでいった。そんなに悪い気分じゃない。


 ただ一つ問題があるとすれば、私も藍も両親も、誰もゲームには興味がないということだ。


「……どうしたものかなぁ」


 なんてぼやきながらアーケード街を出て、帰路につく。夕暮れの世界で、通りすがりの子供が「わぁいいなぁ」とキラキラした目でゲーム機をみていた。私も昔なら大喜びしていたのだろう。藍が喜んでくれたはずだから。


 袋に入れたゲーム機が歩くたびに揺れる。感じる重さは、積み重なった年月みたいだった。


 

 家に帰って「ただいま」と挨拶するとお母さんが玄関にやって来る。


「おかえり……。って、えっ!? ゲーム機……?」

「うん。なんか福引で当たった。二等」

「へー。凄いじゃない!」

「野菜はおばあちゃんのおまけ」


 緑が山盛りのビニール袋を手渡す。


「今日の聖は福の神ね」


 お母さんは上機嫌に笑った。確かに客観視してみるとなかなかの豪運だ。


「でも誰もゲームとか遊ばないんじゃない?」

「藍と一緒に遊べばいいじゃないの。仲いいんだから」

「えー……」


 お母さんはなぜか私たちの仲がいいと思い込んでいる。否定してもニコニコするだけなのだ。


「藍! お姉ちゃんが福引でゲーム機当てて帰って来たわよ!」


 なんて大声で二階の藍に呼び掛けている。そんなことで降りてくるわけもないだろうに。


 靴を脱いでフローリングにあがった。エアコンの効いたリビングでソファに腰かけ涼む。隣にゲーム機の箱を並べてみると、ちょうど肘の高さにフィットしていた。


 高級肘置き機にするのも悪くないかもしれない、なんて思っていると階段を下りてくる音が聞こえた。軽く体をひねって入り口に目を向ける。開いた扉から現れたのは、藍だった。

 

 夕方のテレビ番組では政治がどうとか、あまり興味のない話がなされていた。まさかテレビを見に降りてきたというわけでもないだろう。やっぱりゲーム機なのだろうか? 


 藍はずかずかと私のところまでやって来て、ソファの上の箱をじーっと見つめた。


 何も言わず棒みたいに突っ立っているだけだ。ハシビロコウの真似でもしているのだろうか。全く落ち着かない。欲しいのならそういえばいいのに。


「お姉ちゃんのゲーム機欲しいの?」

「別にあんたのじゃない。福引きで当てたんだから共用の家財」


 もっともなことを言う。藍は棒人間をやめてぼふんとソファに座った。私の高級肘置きを強引に奪ったかと思えば、乱暴にテープをはがして破壊の限りを尽くしていくのだ。ひどい。


「あんたに肘置きとして利用されるよりはずっといいでしょ」


 得意げに笑ったかと思えば、立ち上がってテレビの前に座り込んだ。


 私としてはゲームに興味はないから別にいいんだけど、ちょっとだけイラっとした。共用だとか言っておきながら、自分のものみたいに持ち出して。本当にわがままだ。


「一人で設置できるの?」

「心配無用。昔みたいにあんたの手なんて借りないから」


 埃をかぶった旧式のゲーム機を藍は取り外していく。それからテレビに最新の方を接続した。けれどなぜか藍は首をかしげていた。試行錯誤をしているみたいだけど、上手くいかないようだ。


 耐えかねたのか不満げな声が飛んでくる。


「なんで画面映らないの? これ壊れてる」


 藍はもしかすると機械音痴なのかもしれない。


「壊れてないよ。たぶん線の場所間違えてるだけ」


 手のかかる妹だ。重い腰をあげて藍のそばに向かう。思った通りテレビの裏側の間違った場所に配線されていた。正しい場所につけ直すと、テレビにゲームの画面が映し出された。


 藍は目をまん丸にして見つめていた。画面ではなく、私を。どういう反応だ。


「にしても藍がこういうのに興味持つなんて珍しいね」

「友達が好きなんだよ」


 女の子座りのまま、白っぽいホーム画面に目を向けていた。


「へー。友達が」

「あんたはぼっちだから分からないのかもしれないけど、友達付き合いは大変なんだよ色々と」


 やれやれと見せつけるみたいにため息をついてくる。憎たらしい妹だ。


「ぼっちじゃないし!」

「あんたが外で誰かと遊んでるとこ、みたことないんですけど?」

「お互いにインドア派だからね。わざわざ外出たくないよ。ぼーっとしておきたい」

「うーわ」


 なぜか藍は、すすすとお尻を滑らせて後ずさりした。


「もう陰キャ通り越してお年寄りじゃん」

「お年寄りで結構。お互いが満足してるんだからいいんだよ」


 手元のコントローラーで無意味に画面を操作しながら思う。藍は現代っ子だなぁと。


 それに比べて私は古代人だ。SNSとかも触らないし、若者らしいことに興味がない。


「……まぁお互いにそれくらい分かりあえたら、楽しいのかもね」

 

 無意識にこぼれたみたいな声だった。いつも否定してばかりの藍にしては珍しい。


 人間関係を円滑にするためにSNSで流行を調べたりだとか、友達が好きなアイドルに関する情報を集めたりだとか。そういったことへの煩わしさは藍にもあるのだろう。


「なんか悩みがあるのならお姉ちゃんに話してみれば」

「馬鹿なの?」


 即座に拒絶された。ま、知ってたけどさ。この子が自分のことを話すわけない。仮に踏み込んだところで、辛辣な言葉が帰ってくるだけなのだ。これまでの経験から嫌というほど理解している。


「ゲームはほどほどにしなよ。学校の課題とか……」

「言われなくても分かってるから」


 言い切らない声に割り込んできて、強引に話を断ち切られた。小さくため息をついてから、廊下に通じる扉に向かう。私にもやらないといけない数学の課題がある。


 外に出る前に、なんとなく藍の方を振り向く。私のことなんて忘れ去ったみたいに、コントローラーでぎこちなく画面を操作していた。遠い昔のことを思い出して、ちょっとだけ悲しくなった。

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