第3話
午後四時過ぎにホームルームが終わった。自由の甘みを浴びて、クラスメイトは活発に騒いでいた。
私も鞄を肩にかけて立ち上がる。みんなの間を縫い真緒の所に向かうと、放課後なのにノートや教科書を広げていた。今日の授業で何かしら納得できない部分があったのかもしれない。
「真緒は賢いねぇ」
「うん。賢い」
いかにも面倒くさそうなオウム返しだ。手を止めることもしない。今の真緒はハムスターに似ている。せわしなく手を動かしている所が、回し車を回しているみたいだった。
「邪魔するのも悪いし先に帰るね。ばいばい」
「ばいばい」
顔をあげて、無表情でひらひらと手を振ってくる。私も軽く振り返して教室を出た。
昇降口を出ると相変わらず太陽がまぶしい。汗をにじませながら通学路を歩いていく。その途中でふと思い出して、本屋に寄った。しおりちゃんの漫画の新刊と、もう一つ藍が読んでいる少女漫画も買って帰る。
藍はあんなにもツンツンしてるのに、こういうところは年齢相応なのだ。うざい癖に可愛い所があるのは、かえって質が悪い。やれやれとため息をつきながら家の扉を開いた。
その瞬間、振り向いた藍と目が合う。
ちょうど帰ってきたばかりらしい。ほのかに汗ばんでいる。
「うわ、ストーカーとかじゃないよね?」
いつもの不機嫌な顔だ。最後に純粋な笑顔をみたのはいつだろう。
「なんで妹をストーカーしないといけないの」
「やっぱり理解しがたいよね。変質者の考えってのは」
「お姉ちゃん変質者じゃないし! 藍のお姉ちゃんだから!」
そりゃ妹への愛は多少行き過ぎている自覚はあるけれど、だからって闇雲に何でもするわけじゃない。そもそもだけど別に今の藍は好きじゃない。しおりちゃんがナンバーワンだ。
でも藍はお見通しだとでも言いたげな半笑いだ。
「知ってる? 怪しい人ほどそういうの否定するんだよ」
「じゃあ藍がお姉ちゃんのこと嫌い嫌いって言うのは、好き好きの裏返しってことなんだね」
「は? 何言ってんの。私があんたのこと好きなわけないじゃん」
「でも藍が言ってるのってそういうことだよ」
ぐぬぬとでも聞こえてきそうな険しい顔だった。
けどすぐに自分の腰に手を当てて、余裕ありげな笑みに変わる。
「っていうかそもそも私は怪しくないし。あんたのことが好きだって言ったこと、一度でもあった?」
そりゃたくさんあるでしょ。小さな頃なんて毎日のように「おねえちゃんだいすき!」って抱き着いてくれたし。でも藍が言いたいのはそういうことではないのだろう。
「確かにないね」
「私はあんたのこと大嫌いだから。キモい勘違いしないでよね」
「言われなくとも。私だって藍のこと好きじゃないし」
「そうですか」
さっさと背を向けて階段を登ろうとしたから、急いで袋の中から少女漫画を取り出す。
「待って。これ」
振り返った妹は理解できないとでも言いたげな顔だった。
「……何企んでるの?」
「いつも買ってきてあげてるでしょ」
「借りてるだけなんだけど」
藍はいつもノックもせずに私の部屋に侵入してくる。本棚から漫画を借りていくのだ。
基本的に私は姉妹が出る漫画しか買わないけど、一度だけ気まぐれに少女漫画を買ったことがある。表紙の子が可愛かったからとかそんな理由だったと思う。残念ながら内容は好みじゃなかった。
でも藍が楽しそうに読んでいたから、買うのが習慣になっていたのだ。
残念ながら今はほとんど惰性だけれど。
藍は私が今もこれを読んでいると思ってるのかな。でもわざわざ教えるような事でもない。面倒なことになりそうだし。「あんたに施しを受けるとか最悪」みたいな感じで。
「そうだね。藍は借りてるだけ。ほら受け取って。お姉ちゃんは最優先でこれ読まないとだから」
しおりちゃんが表紙の漫画を取り出して、藍に見せた。
でも何が気にくわないのか、藍は受け取ろうとしない。差し出した少女漫画をまじまじとみつめている。興味深いものが描かれているわけでもないのに。
「そろそろ腕がしんどいんだけど……」
「前から気になってたんだけど、あんたって本当にこれ読んでるの?」
鋭い妹だ。図星なのが危うく顔に出るところだった。
「もちろんお姉ちゃんも読んでる。じゃないと買わないよ」
「妹キャラなんてほとんど出てこないのに?」
「そりゃお姉ちゃんだって恋愛に興味あるから」
言い切ると藍は、不機嫌そうに目をそらした。
「へー。あんたに愛された人はきっと世界一の不幸者だね」
「お姉ちゃんそれなりに美人なんですけど?」
「うわ、それ自分で言う?」
私も正直思ってた。でもわざわざ指摘しなくていいじゃん!
「やだやだ。二次元妹オタクな上にナルシストとか」
「そんなこと言うのなら返してよ。お姉ちゃんのお金で買ったんですけど?」
いつの間にか藍は少女漫画を胸に抱えていた。手を差し出すもそのまま背を向けてしまう。
「心配しなくても読み終わったら返すから」
そのままどしどしと階段を登っていってしまった。本当に可愛くない妹!
でもまぁいい。私にはしおりちゃんの新刊がある。今はマイベスト妹を愛でることにしよう。
リビングで水分補給をしてから、二階の自室に向かった。
部屋着に着替えてベッドへうつ伏せに寝転ぶ。漫画を開くと今回の巻でもしおりちゃんは暴走していた。お姉ちゃんに恋人ができたのではないかと疑い、ストーカーのようにあとをつけ回しているのだ。
私もこれくらい愛されたいなぁ。軽い憧れを覚えながらページをめくっていく。勘違いで二人の仲がこじれそうになるけれど、最後には恋人だと思っていた女の子がお姉ちゃんの友達だと明らかになる。しおりちゃんは嬉しそうにお姉ちゃんをハグしていた。そうして二人はいつものように、一緒にお風呂に入るのだ。
大きなため息をつく。悪い意味ではなく、満足感の溢れるため息だ。
「……うーわ。中学生なのに一緒にお風呂入るの?」
耳元で急にささやかれる。ベッドの上を転がって振り返ると、にやけた藍に見下ろされていた。
「ちょっと、みないで!」
慌てて飛び起き漫画を閉じる。妹好きであることは公言しているけれど、実際にその瞬間を見られるは恥ずかしい。藍も明らかに馬鹿にしてるみたいな顔だし、本当にうざい。
「あんたがキモいってことはもうバレバレなんだから。読み終わったらそれも貸してよね」
「私としおりちゃんの聖域に入り込んでくるなっ」
「聖域って。そもそもあんたしおりの姉じゃないでしょ」
「……それは、そうだけど」
痛い所をついてくる。客観的に見て、私は二次元に逃避している痛い人でしかない。でもそもそも悪いのは藍だ。藍がお姉ちゃんに甘えてくれないから、二次元妹を愛することしかできなくなったのだ。
「まぁあんたじゃなくてその姉が姉なら、妹も溺愛したくなるのかもね。おしゃれだし、困ってたらいつも助けてくれるし。まさに自慢できるお姉ちゃん」
なんだかむっとした。私のことは全然褒めないのに、他のお姉ちゃんを評価するなんて。
「お姉ちゃんだって藍のこと助けてる。今朝もトマト食べた!」
「自慢できないじゃん。二次元妹オタクな姉なんて最悪だよ」
本当にこの子は嫌味ばかりだ。
そんなに嫌なら避けてればいいのに、いちいち絡んでくる。
「藍って本当にちゃんとした友達いるの? 現金握らせてない?」
「残念でした。私はあんたと違って貰う側だから」
心身ともに見下ろされているような圧力を感じた。唇をかむ。
嘘だと言い切れないのが、悔しい。藍は見た目が可愛いし学校では外面もいいらしいのだ。この間も「クラスのイケメンに告白されちゃったー」とかニタニタ笑ってたし。その割には彼氏が全くできないのは極めて不思議だけれど、やっぱり藍くらい可愛いのなら理想も高いのかもしれない。大人になったあとが心配だ。
「小野小町みたいになってもお姉ちゃん知らないからね!」
「は? 小野小町?」
「プライドの高さを治せってことだよ。絶対いつか幻滅されるから」
「そんなわけないでしょ。私ほどの美少女なら許されるんだよ。これだから何も知らないぼっちは……」
藍はやれやれと肩をすくめていた。まるで聞き入れるつもりがなさそうだ。
「私があんたに伝えに来たのは、次巻もよろしくってことだけだから。それじゃ」
ばたりとドアが閉まった。
せっかくしおりちゃんに癒されていたのに、全部台無しだ。
勉強をする気にもなれずベッドの上でぼんやりと天井をみつめていると、扉が開く。また嫌味を言いに来たのだろうか。スプリングを軋ませながら飛び起きて、臨戦態勢に入る。
でも表れたのは違う顔だった。
「聖。少し買い物に行ってくれないかしら」
お母さんだ。いつの間にか帰ってきていたらしい。
「いいけど何買えばいい?」
「このリストをお願いね。八百屋のおばあちゃんのところで」
最後に顔を出したのは二か月くらい前だ。あのおばあちゃんは私を覚えているのだろうか。流石に失礼か。
「あとこの福引も期限が近いから適当に回しておいて」
手渡された福引券をみると、一等は温泉旅行と書かれていた。二等は最新のゲーム機らしい。そういえば昔の藍はゲームが好きだった。いつも二人で遊んでいたのだ。
今となってはそのゲーム機も、リビングにあるテレビの下で埃被ってるけど。
「分かった。行ってくる」
適当な服に着替える。ありがとうねと微笑むお母さんに見送られて、家を出た。
辺りはすっかり夕暮れだ。部活終わりの中学生や高校生が友達と談笑しながら帰っていく。そんな中を私は一人で歩いていく。やがて商店街のすぐ近く、車通りの少ない交差点で信号に引っ掛かった。
斜陽の中を車が行き交う。向かいでは姉妹が手を繋いで信号を待っていた。
制服を着てないから確かではないけど、お姉ちゃんはたぶん中学生だ。妹とは四歳か五歳差くらいだろうか。あどけない笑みを浮かべている小さな妹の頭を、よしよしと撫でてあげていた。
姉妹愛がまぶしい。濃いサングラスが欲しいくらいだ。目を細めてみつめていると、妹がぴょんぴょん飛び跳ねて私の頭上を指さしてくる。少し遅れて信号が青になったことに気付く。
私は一人ぼっちで、とぼとぼと横断歩道を渡った。
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