【8】

 サイレンを鳴らしながら猛スピードで走ってきた黒い覆面パトカーが羽田空港のターミナルビルの前で急停止した。そこへ数名の制服警官たちが駆け寄ってくる。

 彼らは助手席から降りてきた桐山に対して背筋を正して敬礼した。

「ご苦労様です」

「どうだ、見つかったか」

 その制服警官は意気揚々と答えた。

「はい。の身柄は押さえました。現在、空港警察の署員が職質中であります」

「よし。案内しろ。――ねえ。ま、それには違いねえが、何か理由を付けて必ず引っ張ってやる。安心しろ、ワッパは俺たちが掛ける。おまえらに迷惑は掛けねえよ」

 桐山浩一郎は制服警官の肩を叩くと、共に早足で空港ビルの中に入っていった。覆面パトカーから降りてきた橋本と中村も桐山たちの後を追う。

 四人が国際線ターミナルの出発ロビーに着くと、搭乗ゲートから離れた場所で二人の制服警官たちに挟まれて立つロングコート姿の中年男性が視界に入った。

 一度顔を見合わせた桐山と橋本は、その男性の方に駆けていく。中村綾乃は緊張した面持ちで二人の背中を追いかけた。

 コート姿の男性は握りしめた航空券を振りながら必死に前後の警官達に怒鳴っていた。

「だから、これはいったい何の真似だ! このチケットをソウル行に変更しないといけないんだよ。その時間が必要なんだ。いつまで他人をこんな所で待たせるんだ! 予定の便に乗れなくなるだろうが!」

 そこへやってきた桐山が男に話し掛けた。

「どうもどうも、お待たせしてすみません。道が混んでいまして。私は警視庁刑事部捜査一課の桐山と申します。ああ、こっちのデカいのが橋本刑事で、こっちは中村刑事です」

 中村綾乃は自分が刑事と紹介されたことに少し驚いて、桐山と橋本の顔を見た。橋本誠也刑事がウインクして応える。

 桐山浩一郎刑事は男に警察バッジを見せながら言った。

「申し訳ない。重要な事件の容疑者を追っていましてね。たぶんおたくではないと思いますが、念のため、何か身分証明となる物をお持ちでしたら、確認させてもらいたい」

 男は渋々顔で背広の胸中に手を入れ、中から長財布を取り出し、開いて運転免許証を抜き取ると、それを桐山に渡した。

 受け取った免許証を確認し終えた桐山は、それを男に返すと、軽く敬礼してから頭を垂れ、言った。

「いや、失礼いたしました。どうぞ、もう行かれて結構です。ご協力に感謝いたします」

 制服警官たちは皆が一様に驚いた顔をしていた。

 最初に出迎えた警官に桐山刑事が言う。

「バカヤロウ、人違いだよ。こちらは、清成建設の現社長の階堂健次郎さんだ。俺が身柄を押さえろと言ったのは竹内健次郎だろ。健次郎違いなんだよ!」

 向こうに歩を進めかけていた階堂が立ち止まり振り返った。

 桐山は橋本と中村に言う。

「遠目に見ても年齢が違うと思ったんだよ。竹内は空港に向かったって事だったよな」

 橋本刑事が周りを見回しながら答えた。

「はい。会社の秘書課の人の話では、竹内は途中で階堂社長を拾って羽田に向かうと。それなら二人は一緒だと思ったのですが……」

 戻ってきた階堂社長が桐山に尋ねる。

「え? うちの竹内ですか。彼が何か……」

 桐山は顔の前でパタパタと手を振りながら答えた。

「おたくの会社に連絡したら、竹内健次郎さんは階堂社長を銀座まで迎えに行って、そのまま羽田に向かうと聞きましたのでね。てっきり一緒に出国されるものだと思っていたのですが……」

「いえ、韓国に行くのは私だけです。これはどういう事ですか。なぜ警察が竹内を……」

 桐山浩一郎は声を低くして階堂の発言を遮った。

「そんなに呼び捨てにしていいのかよ。あんた只のお飾り社長だろうが。秘書の隠れ蓑を被って実質的に会社内の権限を握っているのは竹内なんだろ。分かってんだよ、あんたが会社の資本提携先の韓国財閥の御令嬢と籍を入れておきながら、銀座のホステスと浮気している事が先方にバレて、詫びを入れにソウルに向かおうとしていることもな。秘書課の人が全部話してくれたよ」

「あ……いや、それは……その……」

 狼狽する階堂の前で中村と橋本は顔を見合わせていた。

 桐山刑事は階堂に詰め寄った。

「こっちはあんたの会社の大事なの命を守ってやろうと思って来たんだ。たとえ、そいつが子供を犯して殺したクソ野郎でもな。竹内は何処に行った!」

 階堂健次郎は口を開けて固まったまま、目を白黒とさせて必死に声を発した。

「こ、こ、子供を殺した? 竹内君が? そんな馬鹿な」

「奴は変態サディスト野郎なんだよ。それを隠すために先代の漆原は奴を会社の表には出さずに秘書課に置いて、ダミー社長のあんたに寄り添わせていたのさ。で、奴は何処だ」

「竹内君……いや、竹内さんは乗ってきたタクシーから私を降ろした後、そのまま会社に戻りました。今頃もう着いているはずでは」

「くそ! 入れ違いになっちまったか。ん? ちょっと待て、今、タクシーと言ったか?」

 頷いた階堂に橋本が早口で尋ねた。

「そのタクシーは個人タクシーでしたか。運転手は工藤彰という名前ではありませんでしたか」

「た、たしか、そんな名前だったかと……」

 桐山浩一郎が下唇を噛む。

「チクショウ。橋本、急いで戻るぞ。入れ違いになったのなら、工藤はどこかで人気の無い場所に行き先を変えたはずだ。まだ都内には戻っていない!」

「ちょっと待ってください!」

 駆け出そうとした桐山と橋本にそう叫んだ中村綾乃は、振り返り、階堂に尋ねた。

「先ほど、ソウル行のチケットに切り替えるとかおっしゃっていましたよね。それ、もともとは何処行きのチケットなのですか」

 階堂は手許のチケットを見ながら答えた。

「ああ、ドバイ行きのはずだが。弊社がドバイの会社と組んで進めるプロジェクトがあるので、表向きはそういう理由で出張の手配をする必要があったと彼は言っていました」

 中村は桐山の顔を見て早口で言った。

「ドバイはICPO(国際刑事警察機構)との連携が未だに上手く出来ていない国の一つです。なので、世界中から犯罪者が逃げ込んでいると言われています。竹内はドバイへの逃亡を企てているのでは」

 階堂が急に怯えたような顔で喚いた。

「竹内さんが逃亡だって? じゃあ、僕はこれからどうすればいいんだ!」

 桐山がそんな階堂の顔を指して怒鳴った。

「知るか! 秘書課の人間はお忍びでソウルに向かうあんたに竹内が同行すると言っていた。それが嘘なら、竹内は初めから自分のドバイ行きのチケットが欲しくて、あんたの分と合わせて会社に買わせたんだよ。乗ってきたタクシーは何色だった!」

「た、たしか、黒に緑の線で……」

 スマートフォンで何かを調べていた中村が階堂の発言に被せて叫んだ。

「桐山さん、この時間なら成田です! 直行便だとすると、最終のドバイ行きに間に合います。だから、きっとそちらの方向に向かっているはずです!」

「橋本、車を回せ! とにかく追うぞ! 中村、おまえも来い!」

「はい!」

 二人の刑事たちと共に、中村綾乃はロビーの中を全速力で駆けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る