【6】

 身を反らして顔を後ろに引いた中村綾乃はひどく狼狽した様子で尋ねた。

「あ、あの小野田なのですか。死んだ? やはり他殺なのですか?」

 椅子に体重を戻し背もたれに身を投げた桐山刑事はそっぽを向いて言う。

「ああ。間違いない。やはり顔面をボコボコにされていたうえに、体にも複数個所の打撲創と骨折があった。かなり痛めつけられたようだ」

「死因は」

 桐山は一度橋本と顔を見合わせてから答えた。

「転落死だ。赤城山に登山に行って、山頂付近の崖から滑落したらしい」

「え? 事故死なのですか」

 中村の顔に一気に疑念が滲み出た。

 桐山刑事は両頬を下げて口を縛りながら答えた。

「そう群馬県警は処理している。打撲創と骨折も滑落の際の傷だと。だから捜査になっていない。だが、遺体の検視記録を見ると、俺には前の二件と手口が同様に思える」

「それだけで……」

 眉を強く寄せている中村に橋本刑事が言った。

「確実なウラが取れた話ではないのですが、小野田の会社の人間の話によれば、小野田に登山の趣味は無かったそうです。それに、ユーチューバーが登山に行くならスマホの他にも自撮り棒とか予備のバッテリーとかを持っていくでしょ。ところが、遺体で見つかった小野田は、そんな物は何も所持していませんでした」

 「でも……」と何かを言おうとした中村と同時に桐山が話し始める。

「それどころか、見つかった奴の服装は大きめの半袖Tシャツ一枚にゆるゆるのジャージズボン。いくら常識が無いとは言っても、登山の恰好じゃねえ。それに、おまえも知ってのとおり、奴は元建設作業員だ。作業中の怪我の防止のために建設現場ではどんなに暑くても長袖だと教わっているはず。もし山に登るなら、それなりに備えた服装で行くはずだろ。半袖にジャージはあり得ねえ」

 中村綾乃が尋ねた。

「たしか、彼は清成建設の作業員でしたよね。そして、あの事故で有罪判決の確定と同時に懲戒解雇された」

「ああ。だが、一点だけ間違えているぞ」

「何を……」

 不満そうに言いかけた中村を桐山は強く指した。

じゃねえ。あれはだ」

 中村綾乃は事知り顔で頷いて返す。

「ええ。確かに業務上過失致死ですが、あの事件が何か関係があるのですか」

 桐山刑事は答えなかった。代わりに彼はこう中村に言った。

「おまえさんに見てもらいたいものがある。ある動画サイトに上げられていたモノだ。かなりヘビーな内容だが、どうする」

 桐山刑事は中村の顔をじっと覗き込んできた。今度の桐山は少し中村を心配しているような目で、いつでも拒否して構わないといった感じの雰囲気だった。

 中村綾乃はその違和感に気付きながらも、躊躇することなく首を縦に振った。

 頷いて返した桐山は橋本に合図を送る。橋本刑事がズボンのポケットから取り出したスマートフォンを覗いて操作を始めた。

 中村の顔に視線を戻した桐山刑事は、彼女の目を見て念を押すように言った。 

「事情が理解できればいい。無理なら言え。最後まで全て見る必要はない」

 よく理解できないまま中村が頷くと、桐山は橋本に軽く手を振った。橋本刑事がスマートフォンを中村の前に置く。

 そのスマートフォンの画面では動画が再生されていた。半裸の男から暴行され泣き叫ぶ少女の姿だった。男は泣き叫ぶ少女を殴りながら性的凌辱を加え続ける。腰を動かしながら少女を殴っていた。少女がぐたりとなると、呼びかけて意識を戻させ、また性的危害を加えながら殴る、その繰り返しだった。その合間で撮影者のものと思われる男の笑い声がフレームの外から聞こえてくる。犯され殴られ続けているその少女は工藤玲奈だった。

 中村綾乃は顔をそむけた。肩をブルブルと震わせている。桐山刑事は彼女の前に腕を伸ばすと、机の上のスマートフォンを取って橋本に渡した。そして中村に優しく尋ねる。

「大丈夫か」

「……ええ。……」

 そう答えた中村の呼吸は荒かった。顔は紅潮し目は充血して涙を溜めている。

 桐山刑事は静かに言った。

「昨日まで動画閲覧サイトに上げられていた動画だ。投稿者は『撮りタイガー』。小野田が生存中に投稿したものだ。もちろん、すでに警察からサイト管理者に連絡して、現在は閲覧できないようにしてある。数日中にサーバーから削除されるだろう。まあ、それが慰めにしかならん事は分かっているが、とにかく、この動画は『撮りタイガー』の会社から回収したオリジナルの動画データを警察の証拠保管用サーバーに取り込んだものだ」

 橋本刑事が補足する。

「映っているのは漆原の息子の健次郎。撮影しているのは小野田です。声紋が一致しました。二人の関係を調べてみると、当時、健次郎は研修と称して一般社員として清成建設に就職していたそうです。職場での素行もかなり悪かったらしいのですが、そこの現場で知り合い、ワル仲間として奴とつるんでいたのが小野田琥太郎。二人はたびたび共同で婦女暴行を働いていた疑いがあります。警察は認知できていませんが」

 桐山浩一郎が少し声を張って言った。

「真相はこういう事だ! 漆原健太郎の息子の健次郎と小野田琥太郎は自己の欲望のままに幼い少女・工藤玲奈に性的暴行を加え、執拗に殴打し彼女を死に至らしめた。それを隠蔽するために遺体をトラックで轢いて潰し、暴行の事実が遺体から判明しないように……クソ共が!」

 桐山刑事は話している途中で机を強く蹴り上げた。

 中村綾乃が顔を両手で覆って泣き出す。

「主任……」

 橋本刑事が諫めるように桐山を睨んで首を左右に振った。桐山刑事は深く溜め息を吐くと、自らも気を静めてから中村に言った。

「悪かった。俺たちも、この動画の存在を知ったのは昨日のことでな。まだ怒りが収まらねえんだ」

 中村綾乃は両手で顔を覆ったまま言葉を漏らした。

「わたし……、あの時、玲奈ちゃんの遺体を見た時に聞こえた気がしたんです。玲奈ちゃんの声が。恐怖に怯える子の叫び声が……」

 橋本誠也がハンカチを中村に差し出しながら言う。

「まあ、でも、そんなオカルト的な話じゃ誰も動けなかっただろうし……」

「他殺説を主張したんだな。何を見た」

 桐山刑事は真剣な眼差しで中村に問うた。中村は橋本から受け取ったハンカチで目元を拭いながら言う。

「涙の跡です。微かですが、玲奈ちゃんの遺体の目の位置から耳の位置にかけて涙痕らしき色素変を確認しました」

「それを誰かに報告したのか」

「はい。報告書に意見として付記しました」

「誰に提出したんだ」

「平山検視官です」

 桐山刑事は中村からハンカチを返してもらっている橋本と視線を合わせると、呟くように言った。

「繋がったな」

 中村綾乃は鼻水を啜りながら、怪訝そうな顔で桐山に尋ねた。

「どういう事でしょうか」

 桐山浩一郎は背もたれに身を倒して言う。

「漆原健太郎が国会議員になる前は何をしていたか、知っているか」

 返答に窮している中村に橋本が教えた。

「清成建設株式会社の代表取締役ですよ。あの会社は漆原が一代で大手ゼネコンにまで成長させた会社なんです」

 中村綾乃は視線を左右に動かしながら考えていた。少し待った桐山は業を煮やしたように言う。

「まだ分からねえか。工藤玲奈暴行致死の主犯は漆原の息子の健次郎だ。こいつはサディストの変態野郎だ。さっきの動画を見ればそれは明らかだろう。その健次郎は当時、清成建設の次期社長という立場。そんな奴がこんな変態犯罪者だと世に知れたら、清成建設の信用も漆原の政治家としての信頼も地に堕ちる。だからトラック事故に偽装し、もう一人の関与者である小野田琥太郎にその罪を被ってもらったのさ。そして、漆原がお得意の政治的圧力で警察を動かした。たぶん、業務上過失致死で通すよう図ったのだろう。動いたのは平山だ。本庁の検視官がそう報告すれば、ほぼその路線で捜査は進む。他殺の可能性を視野に入れたおまえの意見付記は平山が握り潰したに違いない。結局、この件は事故として扱われ、捜査も所轄署に戻されて形式処理で終わったという訳だ。で、小野田は業務上過失致死で罰金刑。収監も無し。人間が一人死んでいるというのに。どうかしている」

 橋本刑事が確認する。

「中村さんが総務課に異動になったのは、その直後ですよね」

 中村綾乃は黙って頷いた。

「おまえは弾かれたのさ。漆原から」

 そう言って桐山が中村の顔を指すと、橋本刑事がその指を掴んで下ろしながら言った。

「それで全てが終わったはずだった。ところが二年前、小野田琥太郎が『撮りタイガー』として、犯行時の動画をネットに公開した。おそらく視聴アクセス数を増やして広告収入を得ようとしたのでしょうが、それが漆原の知るところとなった」

 桐山が人差し指を振りながら続ける。

「漆原は平山に警察を辞めて探偵として小野田を監視するよう命じた。もちろん、現職警官の中には他にも漆原の息がかかっていた奴がいたはずだが、忠誠心が最も強かったのが平山だったのだろう。だから漆原は平山の退職後も毎月経済的支援を続けていたのさ」

 中村は怪訝そうな顔で尋ねた。

「ネット上のこの動画を漆原健太郎や健次郎が放置したのは何故なのでしょう。一刻も早く削除したかったのでしょうに」

 橋本刑事が答える。

「ネットに上げられていた動画では、全ての登場人物の顔にモザイク処理が施されていました。それと、内容のあまりの熾烈さに、閲覧者のほとんどがフィクションだと思っていたようです。実際、そういった書き込みが散見されました」

「現実と虚構の区別もつけられねえ馬鹿共だ。この動画が投稿されて二年だぞ。もっと早い時期に誰かが警察に通報していれば、事態は悪化せずに済んだだろうによ! これ以上の被害者が出たとして、閲覧した連中の中で一人でも責任を感じる奴が誰かいるのか!」

 桐山の怒声が室内に響いた。

 中村が深刻そうな顔で言う。

「まだ被害者が増える恐れがあるのですか」

「おそらくな。この動画を見た健次郎の変態性癖に火が付いちまったのかもしれん。三人の被害者の殺され方は工藤玲奈のそれと同じだ。皆ボコボコに殴られている。それに、被害者は皆、過去の健次郎の悪行を知る人物たちだ。健次郎にとって、生きていてもらっては都合が悪い連中だよ。そういう連中が他にも居るかもしれん」

「でも、二人目の被害者の漆原健太郎は健次郎の父親ですよ」

「ああ。だが、健次郎は漆原の嫡出子じゃない。漆原が妾の女性に産ませた子だ。漆原は正妻との間に子ができなかった。だから、何ら交流も無い健次郎に会社を継がせるしか自分の地位と資産を守る方法がなかったんだ。それは健次郎にも好都合だろ。要は只の損得勘定さ。そんな希薄な親子関係なら、息子が自分の都合で親を殺しても不思議ではない」

「……」

 中村が押し黙ると、橋本刑事が場を繕うように言った。

「とにかく、さっきの動画から健次郎の犯行事実は明白です。我々は何とか健次郎の逮捕に漕ぎ着けたいと考えています」

 桐山刑事が椅子から腰を浮かせて言う。

「交通事故事案なら一事不再理にかかるが、これは全く別の強姦殺人だ。裁判所も逮捕状の発布に消極的にはならんだろう。すでに申請してあるから、今日中には発布されるはずだ。ただ確信を得るために、五年前の事情をおまえに確認しておきたかった。悪かった、時間を取らせて」

 桐山刑事はそう言って軽く手を振ると、橋本刑事と共に取調室から出ていった。

 出入口のドアは開けられたままだった。

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