【5】
中村綾乃の神経は緊張に包まれていた。桐山が指摘するとおり二体の遺体の状況は酷似しているのかもしれない。犯人の執拗な殺意と残虐性。もし桐山の推理のとおりなら、犯人は異常者である可能性もある。そう思った中村の背中に冷たい汗が流れた。
その特異な緊張を脱ぎ捨てるかのように、中村綾乃は意識を遺体から他に向けた。彼女は橋本の方を向いて質問を投げた。
「平山さんは、いったい何を調べていたのですか。その資料は誰に関する調査資料だったのです?」
橋本は少し驚いたように瞼を上げてから、彼女の質問に答えた。
「ユーチューバーの『撮りタイガー』という人物についての動向調査でした。二年前から調べていたようです」
「というと、平山さんが警察を辞めて、探偵事務所を開業した当初からですか?」
桐山の低い声が割り込んでくる。
「そうなるな。今朝届いた銀行からの回答によれば、平山の口座には漆原から毎月百万円が滞ることなく振り込まれているそうだ。奴が開業した当初から二か月前までな。平山は警察を退官後も安定した依頼案件と堅実なスポンサーかパトロン付きで安心して独立開業できたって事だよ」
「つまり、彼は漆原先生の実質的な手先として、そのユーチューバーを調べるために警察を辞めたと」
「そうなのかもしれん。この二年間ずっと、その『撮りタイガー』とかいう奴の動向を調査していたらしい。まあ、はっきり言って監視だな」
呆れ顔で両肩を上げた桐山の方を向いたまま少し考えていた中村は、ハッとしたように目を大きくして二人に質問した。
「二か月前で振り込みが止まっているのは、調査が終了したということですか? という事は、まさか……」
桐山刑事は中村の鼻先を指差す。
「そのまさかさ。俺たちも驚いたよ。その『撮りタイガー』という男は三か月前に死んでいた」
「ちょっと待ってください。その人物は何者なのですか。そもそも、どうやってその人物を特定できたのです。アカウントから個人を特定するのは時間がかかりますよね」
桐山は左右の掌を中村の前に突き出して、ゆっくりとした口調で言った。
「落ち着け。おまえ、本当に知らねえんだな。聞いたこともないか、『撮りタイガー』というハンドルネームも」
中村綾乃は黙って頷いた。
壁際で腕組みしていた橋本が説明する。
「動画系SNSでフォロワー数百万越えの、いわゆるインフルエンサーという奴ですよ。かなり儲けていたらしく、今ではそのハンドルネームのまま法人化して自前のスタジオ設備や編集機材で本格的な動画を配信しています。現在でも後継者が動画の投稿を続けていて、フォロワー数を伸ばしているようです」
桐山浩一郎は椅子の背凭れに肘を載せて体を斜めにしたまま吐き捨てるように言った。
「年商何億円だの、自分たちは最先端の利益追求組織だのと偉そうな事を言っているが、要はウケを狙って巷で迷惑行為を繰り返す、小学生レベルの知能しかない例の輩の類だ。それを組織的にやっていやがるだけさ。取り締まる法律が無いのが歯痒いよ、まったく」
橋本刑事が少し大きな声で意見を挿んだ。
「そうは言っても侮れませんよ。連中はこのネットビジネスでかなりの資金を得ている。死んだ初代『撮りタイガー』は運転手付きで移動しながら、高級車の中から中継動画を発信したりしていたようです。大手の弁護士法人を顧問に持ち、公認会計士や税理士を抱え込んでビジネスとして事業を展開しているんです。くだらない迷惑動画でも、百万越えのフォロワー数なら、一人が一円回したとすれば一回で百万円越えですからね。広告収入もあわせれば、一回数十秒の動画配信で何百万円も懐に入ってくる訳です。税金対策のために法人化するのも当然でしょうね」
桐山が机の上を掌で叩いた。
「では、そのくだらないカス野郎をどうやって特定したか。簡単だった。おまえもそいつの本名を聞けば分かるんじゃないか。ハンドルネーム『撮りタイガー』、コイツの本名は小野田琥太郎だ」
中村綾乃は両目を強く見開いた。微妙に両肩を震わせてもいる。
桐山は机の上に胸を出して中村に顔を近づけると、彼女の目を覗き込んだままゆっくりとした口調で言った。
「特徴的な名前だから覚えているだろう。そうだ、おまえが最初に担当した工藤玲奈ちゃんの業務上過失致死事件、あの事件の被告、つまり玲奈ちゃんを轢いた加害者だ」
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